第3話 『普通』の基準

 馬車からだいたい二〇メートルほど先、道の真ん中に複数の魔物がいた。


 遠目から見るに、あれは『ツッパリウサギ』である。その名の通り突っぱった性格をしており、他の生き物が近づけば積極的に襲いかかって来る魔物である。


「道に魔物が出るだなんてなぁ……。運が悪いよ」


 森の奥ならまだしも、この辺りは人の通る道近くにまで魔物が現れる事はほぼない。……のだが、絶対にあり得ないと言う訳でもない。行商人さんのぼやきももっともである。


 ツッパリウサギは好戦的ではあるが、大して強い魔物ではない。仮に襲われても痛い目に遭うだけが大半で、生命の危機に至る事はあまりない。が、戦闘経験のない一般人にとっては"魔物から攻撃される可能性"だけでも十分に怖いだろう。馬も魔物を怖がるし、このままでは馬車が先に進まない。


 この通り、この世界では人を襲う魔物が当たり前のように存在している。国や貴族も自前の兵力で対処してはいるがそれも完全ではない。だからこそ、冒険者ギルドという組織の存在が認められているし、必要ともされている。


 十分な戦闘能力を持たない一般人であれば、こういう場合は魔物がどこかへ立ち去るのを待つか、護身用に用意した武器などで何とか追い払うか、諦めて引き返すか……とするところだが。


 あいにく、ここにひとり戦闘能力を持った人間がいる。


 ……仕方ない、ここは俺の出番か。あんまり動きたくないんだけど、馬車に乗せてもらっているお礼代わりだと思ってちゃちゃっと片付けてしまおう。


「大丈夫です。俺が何とかしますんで」


「ああ、ノルさんは冒険者になるために村を出るんでしたね。……お願いしてもよろしいですか?」


「はい」


 俺は杖を手に、魔物達の方へと進む。


 俺の接近に気がついたツッパリウサギ達が、一斉にガンを飛ばして来た。『ンだテメェ、噛むぞコラ』とでも言いたげな視線である。


 構わず前へ。魔物の数は四匹。俺のファイアボールだけでも簡単に片づけられる程度の相手と数だ。


 杖の先端をツッパリウサギ達へ向ける。魔術の準備をするため、俺の意識を自身の内側に集中させる。


 魔術とは、この世界に満ちる魔力マナと呼ばれるエネルギーを使い、様々な現象を発生させる技術である。


 人間は自身が保持しているマナを自身の意思の力で干渉し、その性質を変化させる事ができる。それによって、人間は"魔術の使い分け"を行えるのだ。


 ……いや、俺はファイアボール一種類しか使えないんだけど。とにかくそういう概念なんだと思ってくれ。


 足を止めない俺に向かって、ツッパリウサギ達が一斉に駆けて来た。『チョーシくれてんじゃねえぞコラ』とでも言いたげな勢いである。


 迫る四匹の魔物。俺は手前の一匹に狙いを定め、発動準備を終えた魔術を解き放った。


「――ファイアボール!」


 杖の先端から現れたバレーボール大の火球が、まっすぐにツッパリウサギへと飛ぶ。


 命中。火球が爆ぜ、火柱が昇る。


 膨れ上がった炎が命中した一匹だけでなく、他のツッパリウサギ達をも飲み込

む。衝撃で焼けた小石が四方に飛び散り、熱を帯びた風が俺の体をなでつける。


 炎が消える。


 俺の放った魔術にこんがり焼かれた魔物達が、残らず黒こげになって地面に倒れていた。


 森の中で考えなしにポンポン火の魔術を使う訳にはいかないが、ここは地面が土になっている広い道だ。火事になる心配はない。一応、周囲に飛び火していないかざっと見渡して確認。問題なし。ついでに、他の魔物が潜んでないかも確認。異常なし。


 ひと仕事終えたと確信し、ふー、っと息を吐く。


 このくらいの相手なら、ファイアボールだけでも簡単に倒せる。


 しかし、俺が冒険者としてジジイの認める実績を残すためには、いずれもっともっと手強い相手とも戦って行かなきゃならない。


 そう考えると気が滅入る。果たして、どこまで通用する事やら……。


 取りあえず、ツッパリウサギ達の"魔石"を回収する。魔物の死体のそば、地面に四つ転がっている小石くらいの赤い水晶みたいな石を拾い上げる。


 魔石とは、ざっくり言うと"マナが結晶化したもの"だ。魔物が死亡する際に生み出されたり、マナ濃度の濃い場所で自然に生成されたりする。"マナを使って動く道具の燃料"として使用されるため、できるだけ回収するのがこちらの世界の常識である。


 行商人さんのところへ戻る。


 多分、慣れない戦闘を間近で見たので驚いているのだろう。行商人さんは呆然と俺の方を眺めていた。


「終わりましたよ」


「あ……ああ、はい……」


 我に返ったように行商人さんは口を開いた。


「……いや、助かりましたよ。ありがとうございますノルさん」


 感謝の言葉を述べ深々と頭を下げる行商人さんの姿に、心が洗われる思いだった。彼はジジイや村長のような、汚れた心を持った醜い大人達とは全く違う存在なのだ。


 人って信じられる生き物なんだなあ。ビバ人間の善性。


「いえいえ、こちらこそ乗せてもらってるんで。報酬代わりと思えばこのくらい安いもんですよ」


「……しかし、その……」


 行商人さんが口ごもる。どうしたんだろう?


「……? 何か?」


「ああ、いえまあ、あくまでもその、素人の目線でしかないのですが――」


 何とも歯切れの悪い前置きをして、行商人さんは言った。


「――あの程度の魔物に中位・・魔術を使う必要はあったのかな、と……」


 …………。


 ……はい?


「……はい?」


 思った事がそのまま口をついて出た。


「ああいえっ、すみませんっ!! せっかく助けて頂いたと言うのに、生意気な口を……」


「いえ、そうではなくて。……え? あの、中位魔術とは……?」


「……え? いえ、ですからノルさんが今使った魔術の事で……」


 何か会話がかみ合わない。そもそも俺は中位魔術なんて全く使えない。


「いえ、あれは下位魔術ですけど。知りません? ファイアボールって言って……」


 この世界での魔術は世間一般常識として広く知られている存在だが、かと言って全ての人間が魔術に詳しい訳ではない。さすがにファイアボールすら知らないのは珍しい事だと思うが、きっとそう言う人だっているのだろう。


 俺が伝えると、行商人さんは目をまん丸に見開いた。


「……あの、ノルさん。それ本気で言ってるんですか……?」


「……?」


「……本気、なんですね……」


 行商人さんは自身を落ち着かせるように一度深呼吸をする。


「……私は、何度か魔術師の方が魔術を使う場面を見た事があります。街道を外れた場所を通らなければならない時に冒険者の方を護衛をつけた事がありまして。その方々が魔物と戦っている時に魔術を使用していました」


「はあ……」


「……ノルさんが先ほど使ったファイアボール、普通の魔術師の中位火炎魔術デトネイション並みの――いえ、むしろそれ以上の威力があったのですが……」


 ……はい?


「……はい?」


 思った事がそのまま口をついて出た二回目。


「ですから私、てっきりデトネイションを使ったのかと思いまして。普通のファイアボールは握りこぶしくらいの火球が飛んで、ツッパリウサギを一匹焼くくらいの規模のはずです。あれだけの威力のファイアボールなんて、にわかには信じられません……」


 んなバカな。


 俺の方こそにわかには信じられない。


 冗談でも言ってるのか? と一瞬思ったが、到底そんな様子には見えない。この行商人さんは、本気であれをデトネイションなのだと勘違いした、と言う事だ。


 だがあれは普通に撃っただけの、何の変哲もないただのファイアボールだ。


 確かに俺はアウス爺さんから鍛えらシゴかれているため、ファイアボールの扱いにはそれなりに自信がある。威力だって高められてはいるはずだ。だからと言って、デトネイションと間違われるだなんてあるはずがない。


 実際、アウス爺さんが俺に見せたデトネイションはあんなレベルじゃなかった。一発撃っただけで、巨大な大岩が跡形もなく粉々に砕けるほどだった。爺さんが見せた――


 ……その時、脳裏である一つの考えに思い至り、電流のような衝撃が瞬時に全身を駆け巡った。


 魔術に関する俺の基準は、あの・・アウス爺さんだ。現役時代、あらゆる人々から天才と謳われたほどの実力を持つ男だ。


 そして、俺が魔術の訓練をする時は爺さんとのマンツーマンか俺ひとりだけで行わされるかのどちらかだった。思い返してみれば、俺達以外の魔術師が魔術を使っているところなんて見た事がない。せいぜい村人が魔術で明かりを灯したり、薪に火を点けたりするのを見た程度だ。


 一方で、行商人さんの基準はごく普通の魔術師だ。この世界において大多数を占める、標準的で一般的で常識的で良識的な魔術師達だ。


 ジジイと一般人の基準。果たしてどちらがおかしいのかと問われれば、議論の余地はない。


 疑うべきはジジイの方である。


 つまり。


 俺が今までアウスのジジイから"普通"だと思い込まされていた基準は、世間一般の基準から大きく逸脱している――


「……あんのクソジジイめがああああああああああ――――――――っ!!」


 行商人さんがビクッと体をこわばらせるのに構わず、俺は喉が裂けんばかりの叫びを天に向かって張り上げた。



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