第2話 馬車に揺られて

「……ああああああ……」


 馬車のほろつき荷台に揺られながら、俺は頭を抱えていた。


 あの後アリのエサよろしく村の外まで運ばれた俺は、村長の口添えで行商人さんの馬車に乗せてもらい、レット村から旅立っていた。


 一見すると村長からの親切に思えるが、裏に『俺を確実に村から引きはがす』ジジイの意図が見え隠れしているので素直に喜べない。


 木漏れ日の落ちる森の道を、馬車はのんびりと進んで行く。ガタガタと鳴る車輪の振動に混じり、馬のひづめの音と鳥のさえずり声が聞こえて来る。レット村は森の中に開かれた村なので、必然他の町村への移動は森の中を通る事となる。


「……ああああああ……」


 一体、なぜこんな事になってしまったんだろう。


 俺は決して多くを望まなかった。


 ただ、働かずに過ごす未来があればそれだけでよかったのに。


 そんな望みすら認められないというのか。


 そんな願いすら許されないというのか。


 創造神アルビオンはかくも残酷な運命を俺に課すというのか。


「……ああああああ……」


 この世界の理不尽に身を引き裂かれるような心地だった。


 心が汚泥の底へと引きずり込まれ、沈められるような心地だった。


 腹の奥から突き上げた慟哭どうこくが、荒涼とした闇の中へ虚しく消えていくような心地だった――


「……さーて、と」


 俺はさっさと頭を切り替える。


 ひととおり絶望し終えた事だし、これからの事を考えようか。


 あのクソジジイと暮らすには、このくらいの精神的タフさは必須なのである。


 まず考えるのは、どれだけの実績を残せばアウス爺さんに認められるのか、と言う点だ。


 実は結果どうこうに関係なく、できる範囲で精一杯がんばる姿勢さえ見せていれば最終的に認めてくれる……とか言うオチが待っているんじゃないのか?


『成果なんてどうでもいいんじゃ。必死に物事に取り組む事の大切さ、お前がそれを学び取ってくれればワシはそれで満足じゃ。その事に気づいて欲しくて、ワシはあえて厳しい事を言ったんじゃよ』


 ……みたいな結末を迎えるって可能性は――


 ねえな。うん。


 あのクソジジイにそれを期待するのは、ハバネロにまろやかな甘さを期待するようなものである。


 額面通り、"十分な実績"とやらを出す必要があるって事だ。何をどこまでやれば"十分"なのかはさっぱり分からない。


 ただ、少なくとも『上級冒険者』は目指すべきなんじゃないかと考えている。つまり『ギルドから特に優れていると認められた冒険者』を目指すべきだ、と言う事である。


 あの爺さんのスパルタぶりは"魔術の訓練"と称したシゴキで身にしみて分かっている。天才ゆえの悪癖と言うべきか、どうも他人への要求ラインが高すぎるところがあるのだ。並の冒険者として並に頑張りました、では到底納得しないだろう。


 言っとくが、こちとら下位火炎魔術ファイアボールしか魔術使えねえんだぞ? 上から『上位・中位・下位』と分かれている攻撃魔術の中で、"覚えるのが簡単だけど威力も低い"下位魔術を一種類だけしか使えねえんだぞ?


 一応、あの爺さんのシゴキに耐えてきたって自負はある。だからまあ、ファイアボールに関してだけはそこらへんの魔術師よりはうまく扱えるとは思う。


 が、それでも下位は下位でしかない。爺さんの使う中位魔術を何度か見た事があるけど、俺のファイアボールとは全く比べものにならないほどの威力があった。


 ファイアボールしか使えない俺が、上級冒険者を目指す?


 ……無理ゲーじゃね?


 いや、はっきり『上級冒険者になれ』と明言された訳じゃないけど、あのジジイが相手ならそれが最低基準と考えなきゃいけない。ムチャクチャだよ。


 そもそも『性根を直させるために冒険者へ』って思考がどうかしてるんだよ。

『礼儀を学ばせるために自衛隊へ』とか言い始める親か。大体あのクソ(以下略)


 ……閑話休題はなしをもどす。とにかくすっごいがんばる必要があるって事だ。すっごいげんなりする。


 気を取り直し、出発前に持たされたリュックの口を開けて中身を確認しておく。


 着替えなどの日用品を始め、大小のナイフが数本、水筒、毛布および雨具となるフードつき外套、木板とチョーク、回復薬ポーションを始めとしたいくつかの薬、裁縫具……などなど、冒険者として最低限の物資は入っている。


 ついでだし、今のうちに着替えておこう。ささっと部屋服を脱ぎ、用意された黒いシャツへ袖を通し、膝部分に補強の入った白いズボンへ足を通し、その上から赤いマントを羽織る。サイズも問題なし。おおかた、洗濯する時にでも測っていたんだろう。


 武器は木製の杖を渡されている。軽く俺のマナを通してみると、弱いながらも魔術的な補助機能が備わっているのが確認できた。魔術師が使う杖には、魔術発動の補助や威力の増幅を行う能力などが付与されている。


 魔物との戦闘には、この杖と大きめのナイフを一本使えばいいだろう。


 現金の入った麻袋も出て来た。俺の住むここ"エレンシア王国"では紙幣も発行されているが、あくまで主要都市でしか使われない。基本的には貨幣が主流である。


 中身をジャラジャラと床の上に出して数える。ギルドへの登録料を除くと、そう大した金額は残らない。安宿を選んで食事代を切り詰めれば、ひと月くらいは何とか持つだろう……といった額だ。


 要は『自分で稼げ』という爺さんからのお達しなのだろうが、これだけではちょっと心許こころもとないだろう。


 あらかじめ準備・・しておいてよかった。


 俺はさっき脱いだ自分の服から、財布である麻袋を取り出す。手のひらに乗せると、適度にとっしりとした心地よい重みが感じられた。


 なお、調達先はジジイのふところ・・・・・・・・である。ドサクサにまぎれてちょいとばかり拝借しておいた。


 口では嫌だと抵抗しつつ、最悪の事態にも備えていた俺の手腕が冴える。


 確かに、盗みはよくない事だ。立派な犯罪である。


 しかし、アウス爺さんの資産はいずれ俺のもの(予定)となる。それを少額前倒ししただけなのだから、俺の法解釈では罪に当たらない。


 それに、祖父が孫へ小遣いを与えるのと、孫が祖父から小遣いを失敬するのとでは、最終的な結果にそう違いはない。論理的に見ても俺の行動に全く破綻はない。


 何より、クソジジイと言う巨悪を前に些事は許容され得るのだ。奴が一方的に家を追い出すと言う邪悪に手を染めた以上、大義は俺にあるのだ。俺の行動は大義によって是認されているのだ。


 緻密な論理に後押しされて俺は麻袋の口を開き、大義の命じるがままにひっくり返して中身を床に落とした。


 石がボロボロ落ちてきた。


 最後に一枚の紙切れがひらひらと舞い落ちた。


 紙切れには、ジジイの筆跡で文字が書かれていた。


『ハズレ ※お見通しじゃ小僧』


 俺は紙を細切れに引きちぎり、石と一緒に荷台の外へブン投げた。


 ……別に悔しいとか全然ないし。こんなん最初から分かってたし。俺の方こそ全部お見通しだったんだし……っ!!


 ふと、馬車が止まった。少し待ってみるが、動き出す気配もない。一体何だ?


 様子を確認するため、俺は目元をぬぐってから荷台の後方から外へと出る。


「どうしたんですか?」


 前方へ回り込みつつ、行商人さんへ尋ねる。


「ああ、ノルさん。実はだね――」


 答えが全て返ってくる前に理由が分かった。


 進路の少し先、道を塞ぐように複数体の魔物がたむろしているのが見えた。



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