「僕らしく」

九々理錬途

「君らしく」

 僕のことなんか知らない癖に、どうしていつもそう言うんだろう。

僕のことなんか知らない癖に、どうして僕のことをわかっているような言葉を言うんだろう。


(頑張れ)

(きっと大丈夫だ)


僕がどれだけ辛いのか、苦しいのかなんて知らない癖に、無責任にそう言う。



(辛くて涙が出るのは、逃げないで立ち向かっているからだ)

(苦しいのに、死にたいのに、死なないのは、臆病なんじゃなくて、戦っているからだ)

(戦うことから逃げないから、今、そんなに辛いんだ)



何度も何度も同じ言葉を言う。次に何を言うのかも知っている。

それなのに僕は、

「だったら、助けに来てよ。どこかへ連れて行ってくれ」

眠れぬ深夜に灯りを消した部屋のベッドに寝転がり、天井へ手を伸ばす。

伸ばしたその手を誰かが掴んでくれることは無い。

そんなことは知っている。

「何度言われても同じことを間違うんだ。それを毎回毎回、見張っている人に揶揄われるんだ」

僕の呟きは、闇に溶けて行く。

誰も聞いていない。

「人の名前が覚えられないんだ。みんなは普通のことだって言うけど、僕には、本当に難しいんだ」



(自分は自分にしかなれないし、他人は他人にしかなれない)

(信じることとは、つまりは自分が自分を信じるだけでいい)

(夢があってやりたいことがあって、でもできなくて)

(そんな矛盾が、世界には雨粒と同じ程度に転がってる)



「そんなの知ってる。だってそれで僕は今、こんな風に、泣いて、るんだ、から」

涙がどんどん溢れてくる。

暗闇の中、誰にも見られることのない涙。

どうして泣いているのだろうか、理由はなんだろうか



(悔しいと思う時、自分の恥を思い出す時、どうしてか泣きたくなる)

(上手くいかない時はあるものだから、それでも、なんとか立ち上がれる方法を探すんだ)



立ち上がれる方法なんか無いよ。

知ってるなら教えてほしい。

何が良くて、何が駄目なのか。

それが明確にマニュアル化されていたら、僕はそのマニュアルを持ち歩いて、行動するし、人と会話をするのに。


(逃げても逃げても辛いなら、それはきっと逃げていない証拠なんだ)

(現実はとても厳しくて、辛い人なんかは沢山いるから、全員の気持ちを救える方法なんか無いんだ)



「だったらどうすれば良いんだよ。助けてよ。僕を助けてよ」

闇の中でもう一度手を伸ばす。まるで眠れる気がしない。

大嫌いな人の言葉ばかりを思い出し、笑われた事ばかり思い出す今のこの僕を助けてくれないか。

助けてと呟いて、闇に伸ばした手は、誰も捕まえてくれなくて。

いっそのこと、窓から飛び降りてしまおうか。そう思う。

胸が痛いのか、脳が痛いのか、それとも、見えないどこかが痛いのか。

分からないけれど、どこかが痛い。


(涙を拭いて、下を向いていたっていい)

(君がどんなに頑張ったかなんて、知っているのは君だけなんだ)

(他の誰かに分かるもんか)

(君がどれだけ必死になったかなんて)


「頑張ったよ、僕は頑張ったんだ。できないから、できるようになろうって頑張ったんだ。けど、そんなこと、他のできる人から見たら、当たり前のなんでも無いことなんだよ」

伸ばしていた手を引っ込めて、僕は流れた涙を拭った。



(君らしく頑張ればいい)

(君らしく頑張るしかない)

(君は君以外にはなれないのだから)



「だから、っ……そうした、けど。やっぱり、できないものは、…でき、ないんだ、よ」

僕の中から不平不満と悲しさ寂しさと羞恥心と自己嫌悪が吹き出して、それが涙になったみたいだった。後から後から流れてきて、僕の喉は短く痙攣した。叫んでしまいたかった。

他人の蔑んだ目つきと、腕組みをして見下ろす笑い混じりの口元と目つき。どうしたら忘れられると言うのだろうか。床に膝をついて、散らばった藁半紙を拾い集める、ただただ情けない僕の姿。



(必死な姿は、時として、他人には無様に見えるけれど)

(それも君が君であることの一つとしては思えないだろうか)

(失敗した自分を、自分が許してあげることはできないだろうか)


それができるのなら、僕は今、死にたいだなんて思いながら、暗闇の中で泣いたりしていない。

相談したって、誰かに打ち明けたって、結局最後は「気にしすぎだ」で終わるんだから。

どんなに苦しいのか知っているのか。どんなに辛いか考えたことはあるのか。



(他人が他人を分かることなんて永遠にない)

(言ってはいけない言葉だと飲み込んだのに、相手は平気で君にその言葉を投げつける)



そうだよ、それが理不尽でなくて何なんだ。

それとも僕も、言いたいだけ、言いたい言葉を喚いたら良かったんだろうか。

言いたいことは言わないと分からないという理屈は分かる、でも言ってはいけない言葉を言うのは違うのでは無いかと思うのだ。けれど、それも僕が弱くて言えないだけで、普通なら言っても構わない言葉なのだろうか。



(それでも成功は、他人の評価で決まるんだ)

(それも皮肉なものなんだ)



本当にそうなんだよ。自分が自分を認めるだけじゃあ、社会の歯車の中に入れない。

もうあの場所には行きたくない。朝なんか来なければいい。だってきっと、相手は僕のことなんて何も気にせず笑っているんだから。今だって、一分一秒毎に明日が迫って来ているんだ。

方法が無いわけじゃ無い。行かずにいればいいだけだ。だけど、そんなことをしたら後々どうなるか。

自分でしたことは自分で始末をつけなくちゃならないんだ。だから、だから出来ないんだ。

逃げられたら良いのに。溢れるほどにお金があったら逃げられるのかな。でも僕だけが突然、何の理由も無く、翌日に億万長者になってることなんて、それこそある訳無い。



(誰かが価値が無いのだといっても、それでいい)

(君が大事なものの価値は、君が決めるんだ)



僕だけが大事にしていることは、僕の人生を有利にしてはくれない。

そんなことはもう随分と前から知っている。

僕がされて嫌なことを、相手は平気でしてくるのに。それなのに、僕は相手にそれが出来ない。

死んでしまいたいくらいに追い詰められた経験は、他人を傷付けたら、自分と同じように死にたくなってしまうのかと、そんな想像をさせてしまうのだ。

だから、言えない。何も出来ない。



(君がもしも死んでしましたいと思うなら)

(死なないでいて欲しいと思っていることを伝えておくよ) 



僕のことなんか知らない癖に、名前だって本名なのかも分からない。

それなのに、僕は、その人の声を聞く。安価なイヤホンから聞こえてくるその歌声に、僕は。



(わかってもらえなくても、それでも君は)

(君を止めることなんてできないから)

(君自身の思う通りに、きっと無理をするんだろうね)



真っ暗な部屋で涙を拭いて、僕はそうしてその声を聞く。

そうだよ、僕はきっと、時間になったら起きて、着替えて、家を出るんだ。

死にたいと思いながらも死ねなくて、泣きたい時は誰も居ない場所を探して、声を出さずに泣くんだ。


こんな僕がその人の声を毎晩聴いているなんて知れたら、きっとその人も悪く言われてしまう。

揶揄われてしまう。だから誰にも言わない。本人は僕のことなんて全く知らないんだ、会うことも一生無い。



(悲しくなったら思い出して)

(死にたくなった夜のこと、そこから君はどうやって抜け出せたのか)


その声だけが僕を、綱渡のような明日へ向かわせる。

その声だけが恐ろしい夜の中で、僕に光をくれる。

その声だけが、許してくれる。

その声だけが、諭してくれる。

その声だけが、馬鹿にしないでくれる。



その歌声に、僕は誰にも言えない、————、………。



(同じ気持ちでいるんだよ)

(もうじき恋をするような暖かい春が来るから)



◇終

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「僕らしく」 九々理錬途 @lenz

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