絵描き勝負3

 しばらくして、再びファビアン公子が動き出した。

 彼は困惑した表情で、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「だが……だが……ルネーザンス家が代々支持する正しい芸術の大家、コモンドール先生の教えに従えば、絵は画面の細部まで妥協なく精密に描き込まなければならないんだ! ラントペリー男爵のように筆の跡を残すなど言語道断。やはり、マリオンちゃんの肖像画は正しい絵で残さなければ」


 ファビアン公子はボソボソと早口で呟いた。


「たしかに、正確な記録は大切です。ですが、十代のマリオン公女が持つ輝きや可愛らしさといった形のない魅力を表現する絵画にも、価値があると思いませんか?」

「それは……マリオンちゃんの可愛さはワンパターンな絵では表現しきらな……いやいや、何を言っているんだ、私は。そんなことはない! 私は、ルネーザンス家の嫡子として、〝正しい〟絵画を守らねばならない!」


 必死に今までの自分を正当化するファビアン公子に向かって、


「いい加減にして!」


 と、マリオン公女が一喝した。


「服の柄が何よ! 絵は、お兄様みたいにキャンバスに顔を寄せて見るものじゃないわ。ラントペリー男爵の絵は、ちゃんと私を描いている!」

「……マリオンちゃん、誤魔化されてはダメだよ。たしかにラントペリー男爵の絵も可愛く描けてはいるけど、こんな絵じゃあマリオンちゃんの成長記録にならないよ」

「違うわ! 違うのよ……むしろ、ジミーの方が私をちゃんと描いていなかったんだわ」


 心の底から言葉を絞り出すようにして、マリオン公女は意外なことを言い出した。


「ジミーの絵がマリオンちゃんじゃない? え……そんなはずないだろう?」


 ファビアン公子はきょとんとした顔になった。


 ジミーさんの絵は細かい部分まで念入りに描かれている。正直俺にも、俺の絵の方が盛っていて、正確なのはジミーさんのように見えるのだけど。


 しかし、マリオン公女の感性は、二つの絵を意外な見方で捉えていた。


「ラントペリー男爵の絵を見て分かったの。ジミーは、私の死体の絵を描いていたのよ!」

「なっ……!?」

「し……死体っ!?」


 マリオン公女の衝撃発言に、周囲がざわついた。


「ジミーの絵はたしかに形としては私とそっくりに描いてあるわ。でも、硬すぎる。生き物としての動きが全く感じられないの」

「そんな……」


 絶句する人々の中で、バルバストル侯爵が、


「ああ、なるほど」


 と呟いた。


「公女の肖像画がたくさん置いてある部屋に入ったとき、何となく不気味に感じていたんです。たしかに、死体の絵だと思うと納得ですね」

「な……おい、バルバストル侯、それは言い過ぎだろう!」


 バルバストル侯爵の言葉に、ファビアン公子が抗議する。


「言い過ぎじゃないわ! この絵の肌を見てよ。どれだけ私の肌をくすませれば気が済むの? 灰色を塗り重ねたような肌からは生命を感じない。ジミーの絵の中の人物は生きていない。重い、暗い、こんなの私じゃない!」

「い……いえ、公女、実際の人間の皮膚というのは、かなり灰色に近い色をしているものなのですよ」

「そうだぞ、マリオンちゃん。ジミーはコモンドール先生の下で長年修行して、正しい技法を学んでいるんだ。独学のラントペリー男爵とは違うんだ」

「そんなこと言うけど、現実的に、私たちが支援した国内画家の絵って、売れてないじゃない!」

「なっ……」

「売れな……」

「ジミー、他に仕事が入らないから、私の肖像画で食いつないでるって、知ってるんだからね」

「いや、マリオンちゃん、ジミーはマリオンちゃんの専属画家……」

「た……たしかに、私の作品は、ルネーザンス家の伝手がなければ売れておりません。義理で買われているようなものです。はい……」


 マリオン公女の言葉に、ジミーさんはかなりのダメージを食らっていた。


「それに、ウチのギャラリーにある絵って、何か野暮ったいのよね。何をテーマに描いているのかピンとこない絵も多いし。ラントペリー男爵の絵は、一瞬で目に飛び込んできたのにね」

「いや、ラントペリー男爵の絵は背景だって歪んで……」

「この際だから言っちゃうけど、正確に描いたからって何なの? ジミーのこの床の真っ直ぐな線、どう見ても絵にとって邪魔じゃない」

「なっ……」

「ダサい、暗い、野暮ったい! だから売れないのよ!」


 容赦ないマリオン公女のダメ出しに、ファビアン公子とジミーさんは膝から崩れ落ちた。


「ダサい……ですか。はは……薄々は分かっていました。私の絵には魅力がないんです。ロア王国の芸術界を発展させるために、頑張らないといけないのに」

「ジミー……」


 その場に膝をついたまま立ち上がれないジミーさんの背中を、ファビアン公子がさすった。


「そんなに気を落とすな。ジミーの絵はコモンドール先生だって認めていただろう」

「いえ……本当は、ファビアン公子もお気づきなのでしょう? 我々の絵に魅力がないから、ロア王国の人々は国内画家の絵に興味を持たなくなったと」

「ジミー……」


 ファビアン公子は目を伏せて、しばらく沈黙した。

 その後、顔を上げてもう一度俺とジミーさんの絵を見比べた。


「たしかに、我々は変わらなければならないのかもしれないな。我々の絵は、国内で求められていない。国内の貴族や金持ちは、自国の画家の絵ではなく、高価な外国人画家の絵を買っている。経済力をつけた平民たちは、ラントペリー男爵の絵を真似た素人画家の絵を売り買いしているようだ。それに――」


 そう言って、ファビアン公子は俺の絵をジッと見つめると、ジミーさんの方を振り返った。


「私も絵を見る教育はされてきたから、本心では気づいていた。……ジミー、正直に答えろ。ラントペリー男爵の絵は、異常だよな?」


 ――へ?


「はい。ラントペリー男爵は、我々の知っているあらゆる技法に習熟し、その上で未知の理論まで使われているように思います」

「あ……いや……」


 技法や理論って、そんな学んだわけじゃないんだけど。多分、前世でネットを通して大量の画像を見た経験にチートスキルが組み合わさって、こっちの世界の人の感覚ではあり得ない作品が描けていたんだろうなぁ。


「ここまでの天才が出現してしまったんだ。否応なく時代は変わるだろう。ラントペリー男爵に敵意を向けている場合ではない。意固地にならず、ラントペリー男爵から学ぶべきだ」

「はい。ラントペリー男爵と同じ画題で絵を描けて、良い機会でした。私の至らなさを痛感しました」

「あ……いや……」


 チートスキルをここまで持ち上げられると、ちょっと申し訳なくなってくる。

 それに、ジミーさんの絵は普通に上手いんだよ。マリオン公女は色々と不満が溜まっていたのか、ボロクソに言っちゃってたけど。それも単に、俺がチートスキルで彼女の好みを突いたから、極端に差がついて見えただけなのだ。


「俺はジミーさんの絵、良いと思いますよ」

「いえ。気を遣わないでください。それより、お願いがあります。ラントペリー男爵、どうか私の絵に助言していただけませんか?」

「へ?」


 いやいや。ジミーさんは、コモンドール先生とかいう偉い先生の弟子なんじゃないのか?


「お願いします! 私にラントペリー男爵の絵を学ばせてください」

「あ、いや、ジミーさんはすでに立派な先生について学ばれて、完成した腕をお持ちでしょう」

「いいや、私からも頼む、ラントペリー男爵! このままではルネーザンス家の芸術はダメになる。私も心の底では分かっていたんだ。どうか力を貸してくれ」

「えぇっ!?」


 ファビアン公子まで乗ってきて、俺に絵を教えろと言い出した。


「うんうん、それがいいわ。私はずーっと、コモンドール先生のやり方じゃ国民に支持される絵は描けないと思っていたのよ。良い機会なんだから、とことんジミーの画風を改造するわよ!」


 マリオン公女はもちろんノリノリだ。


 ――こ……断れねぇ。バルバストル侯爵と女王陛下の意向もあるし、ここは受けておくか。


「分かりました。ジミーさんの作品を見て、少し助言する程度ならやらせていただきます」

「よろしくお願いします!」


 そんな流れで、俺はジミーさんの絵に少しアドバイスすることになった。




 ジミーさんは、俺のチートスキルでいう〈緻密な描写力〉を天然で持っているような人だ。俺との差は〈神に与えられたセンス〉の有無なのだろう。

 俺は、〈神に与えられたセンス〉を使って、ルネーザンス家にあったジミーさんの作品の改善点を指摘しておいた。


「うんうん。これでルネーザンス家の若手は落とせたね。次は老人どもを……」


 俺がジミーさんにアドバイスする背後で、バルバストル侯爵は不気味な笑みを浮かべていた。

 大丈夫かなぁ。まだ、ルネーザンス公爵本人の説得が残っているんだよな。

 円満に話が進むといいんだけど。

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