布に絵を描く2

 ドレスの絵付けを始めた俺は、実験を繰り返し、ついに納得のいく生地を作ることに成功した。

 ラントペリー本家の織物工房の一室。

 俺は仕立てを終えたドレスに最後の刺繍をほどこしていた。


「刺繍までこんなに上手いなんてね」


 俺の様子を見に来たハンナが、呆れたように言った。


「妹が刺繍するのを見て、俺も少しやっていたんだ」


 以前にフランセットの刺繍道具を借りて試していて良かった。

 俺の持つ〈弘法は筆を選ばず〉スキルは、平面に描くものなら何にでも上手く対応できるチートな能力で、刺繍も能力の範囲に入っていたのだ。


 この刺繍を仕上げれば、俺の絵付けドレスは完成する。


「今日中にできるだろうし、皆に見せるのが楽しみだね」

「そうね。驚くよ、皆……」


 ガチャンッ!

 そこで、急に部屋のドアが開いて、エドガー兄さんが慌てた様子で駆け込んできた。


「大変だ、大変だ、大変だ。ヤバい、ヤバい、ヤバい」

「何、何、何? 大げさねぇ、どうしたのよ?」

「ドレス……王妃様に献上するドレスはどうなってる!?」


 と、エドガー兄さんは息を切らしながらハンナに尋ねた。


「とっくに完成してここに保管してあるわよ。それがどうしたの?」

「王妃様に献上するドレスのデザインが、スピオニア商会と被っていた」

「え!? どういうこと?」

「多分、スパイがいたんだ。それでデザインをパクられた」

「はぁ!? 何それ……」


 深刻な事態に、ハンナは顔を歪めた。だが、彼女はすぐに冷静になり、


「あのドレスは、ラントペリー商会の技術の粋を集めて作ったものよ。他の工房が猿真似で同じドレスを作っても、結局は私たちの品質が優れていると分かるはずだわ」


 と言って、気持ちを立て直した。

 しかし――。


「それが……敵は南方の希少な宝石を入手したらしくて、それをドレスに縫い付けたんだ。新しい物好きの国王夫妻に献上した場合、そっちを評価する可能性が高い」

「そんな……」


 ハンナの顔が曇る。

 王妃様が春の祝祭のドレスを有力商会全てに注文したことは、広く知られていた。もし、祝祭でドレスを着てもらえなければ、貴族たちの間でラントペリー商会の評価が下がってしまうかもしれない。


「商人の世界は厳しい。ドレスのデザインを盗まれたと訴えても、秘密を守れなかった俺たちが無能と誹られるだけだ。悔しいが、今から別のドレスを準備する必要がある」

「無理よ。新しく作ったところで、念入りに製作された他商会のドレスに勝てるわけが――」


 そこで、ハンナはハッとして俺の方を向いた。

 俺の手元には、もう少しで刺繍を終えて完成するオリジナルのドレスがあった。


「アレン……」


 目は口ほどにものを言う。

 俺は苦笑いしつつドレスをハンナに渡した。


 ――シルヴィアへのお土産は、また別に作ることになりそうだ。


 ハンナは俺からドレスを受け取ると、マネキンに着せてみせた。


「うおお、何だこりゃ!?」


 ドレスを見たエドガー兄さんが驚きの声をあげた。

 俺の絵付けしたドレスは、鮮やかな赤の地染めに、ピンクやオレンジ、黄色の花々、緑の葉、金の目を持つ鷹など、あらゆる色を散りばめて描かれていた。


「これ、どうなってんだ!? これだけ柄が入ってるのに、光沢がものすごい。織ってない? ……描いてるのか!」

「うん。アレンが生地に直接筆で柄を描いたんだよ」

「そうか、アレンはロア王国の宮廷画家だったな。――ってか、いくら画才があるからって、こんなに鮮やかに描けるもんなのか!?」


 エドガー兄さんはドレスに顔を近づけ、睨むように一つ一つの絵柄を確認しながら言った。


「いやあ、最高級染料や金粉をたくさん使わせてもらったんで……」

「たしかに染料は良い物をあげたけど、それにしても、ここまで鮮やかな色はなかなか出せないと思うわ」


 そうハンナが言うと、エドガー兄さんも頷き、


「これだけ色を置くと、普通はごちゃごちゃして汚く見えるもんだ。全ての色を鮮やかに見せるには、相当な腕が要る」


 と言った。

 ……流石、高級品を扱う商人。こういうデザインの質を評価する目があるんだなぁ。


 実際、絵として鮮やかな色を見せるというのは難しいことだった。

 前世のように理想の色を簡単に作れるデジタル環境で絵を描いた場合でも、配色が下手だと色同士が殺し合って絵がくすむのだ。

 たとえば、前世で俺が下手な絵を描いていた頃、画面にオレンジと青などを並べて置くと、それだけで色が濁って見えることさえあった。

 当時は憧れていたイラストレーターさんの真似をして同じような配色をしてもうまくいかなかった。でも、〈神に与えられたセンス〉を手に入れた今になって、前世で見てきたイラストの影響を正しく受けている気がする。

 どの色とどの色を並び置けば効果的か、前世の神絵師たちによって積み重ねられた経験を、今の俺は利用できていたのだ。


「すごいな。でも、これは王妃様用に作ったものじゃないんだろう? サイズは……」


 俺のドレスは、シルヴィアのサイズで作っていた。


「幸いなことに、肩幅や腰まわりはほぼ王妃様と同じみたいなの。胸まわりだけ大きいけど、まあ、調整可能な範囲よ」

「それじゃあ……」


 と言ったところで、二人はハタと気づいて俺の方を見た。


「アレン、勝手を言って申し訳ないんだけど、このドレス……」

「分かってる。良いよ、王妃様に着てもらえるなら光栄だしね」

「ありがとう、アレン」

「ありがとう。このドレスなら、前に準備していたものより良いんじゃないか?」

「うん。これでスピオニア商会をぎゃふんと言わせてやるわよ!」


 そう言って、ハンナとエドガー兄さんは強く頷き合った。

 こうして、俺のドレスは急遽、東の国の王妃様に献上されることになるのだった。

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