大人のお菓子5

 1カ月後。

 完成したチョコレートをフランセットに食べさせようと準備していると、女公爵となったシルヴィアが家を訪問してきた。


「ようこそいらっしゃいませ、レヴィントン公爵様」

「ダメ。ここにいる間は、今まで通りただのシルヴィアとして接してよ」


 部屋に入るなりそう言われて、


「なかなか難しいことをおっしゃる」


 と、俺は頭を掻いた。


「シルヴィア様~、お久しぶりです」


 シルヴィアがいると聞いて、フランセットもパタパタと客室にやってきた。


「久しぶりだね、フランセットちゃん。元気にしてた?」

「はいっ」


 距離感ゼロのフランセットはシルヴィアにもべったりとくっついていた。

 こうなると、フランセットをシルヴィアから引きはがすのは難しい。


 ――試作のチョコレートは、ここで出してシルヴィアにも食べてもらうかな。


 女公爵に新作のお菓子を出すって、本来すごくハードルの高いことのはずなのだけど、シルヴィアがしょっちゅう家に来ていたせいか、俺の感覚も麻痺しているのかもしれない。

 ダニエルに頼んで、俺は客室のテーブルに試作したたくさんのチョコレートの乗った皿を置いた。


「黒いお菓子? 初めて見るわね」


 皿に盛り付けられた一口サイズの固形チョコレートを見て、シルヴィアは不思議そうに言った。


「香りも独特ね」


 と、シルヴィアはチョコレートを1粒、口元に近づけた。


「カカオ豆っていう南西大陸産の食材を使ったお菓子で、チョコレートっていうんだ」

「え? チョコレート……??」


 俺がチョコレートの名を口にすると、シルヴィアはそれが危険物であるかのように、慌ててチョコレートを皿に戻した。


「南西大陸のチョコレート……それって……」


 シルヴィアの頬がカっと赤くなる。


「夜会で聞いた噂に、最近、チョコレートという媚薬びやくが、貴族男性の間でひそかに広がっているっていうのがあったわ。……それを、こんな昼間から堂々と、おやつ感覚で食べる気なの!?」


 ありゃ。チョコレートが媚薬だって話、シルヴィアの耳に入るほど広がってたのか。

 早めに誤解を解いておいた方がいいな。チョコレートは地球じゃ小学生が嬉々として食べていたお菓子だ。媚薬のわけがない。


「チョコレートはただのお菓子だよ。この通り、食べても何も起きないし。……うまっ」


 俺はシルヴィアの前でチョコレートを1つ口の中に放り込んだ。

 ダニエルが作った固形チョコレートは、俺が前世も含め食べてきたチョコレートで1、2を争う美味さだった。

 さすがダニエル。地球にいたら有名ショコラティエになってたかもな。


 美味しそうにチョコレートを食べる俺を、ドン引きしながらシルヴィアが見つめる。


「シルヴィアも1つ食べてみてよ。すごく美味しいから」

「そんな……いくらフランクな関係が良いって言ったって……」


 シルヴィアは頬を赤くして顔に手を当てた。


「いや、だから、これはお菓子だよ。フランセットに大人っぽいお菓子を食べさせようと思って、家の料理人と作ったんだ」

「フランセットちゃんに、大人のお菓子!? ア……アレン、実の妹に何考えてんの!???」


 赤かったシルヴィアの顔が、今度は真っ青になった。

 あれ? なんか誤解が深まっている……。


「……だから、媚薬じゃないって……」


 変態を見るようにさげすんだ眼差しを俺に向けるシルヴィアは、何度言っても聞いてくれなかった。


「んー。おしゃべり長いよ。私、早くお菓子が食べたい!」


 睨み合う俺たちにしびれを切らして、フランセットが皿の上のチョコレートを取ろうとする。


「ダメっ!! これは食べてはいけないものなのっ!」


 シルヴィアがすごい権幕でフランセットをさえぎった。


「シルヴィア!」


 俺もちょっとムカついてきた。

 せっかく頑張って作った美味しいお菓子を食べもせずにここまで否定されると腹が立ってくる。


「1つくらい食べてから言ってよ。シルヴィア、これは俺がダニエルと何度も試作を繰り返してやっと作ったお菓子なんだからね!」


 俺は少し興奮して口調を荒げて言ってしまった。


「私が……食べる?」


 俺の剣幕に、シルヴィアの肩がピクリと揺れた。


「うん。食べてよ」


 俺はチョコレートを一欠ひとかけら持って立ち上がり、ソファーに座るシルヴィアに近づいた。


「……あなたは恩人だし、大事な人だわ。でも……そんな」


 目の前でチョコレートをつきだす俺から、彼女は目を逸らす。


「食べてよ、シルヴィア」


 俺はそのまま強引にシルヴィアの口の中にチョコレートを含ませた。


「はふ……甘……」


 シルヴィアは頬を赤く染めて瞳を潤ませた。


 ……あれぇ。

 何か変だぞ?


「うぅ……甘い、媚薬……」


 体重をソファーにあずけ、身を守るように両腕を胸の前で交差させ、シルヴィアはぐったりとしている。


 ……だから、媚薬じゃないっ、媚薬じゃないって!


 彼女はチョコレートを媚薬だと思い込んでいた。

 そういえば、前世のテレビで、嘘の薬でも薬だと思い込んでいると効果が出ることがあるって、聞いたことがあったな。たしか、プラシーボ効果って言うんだっけ。

 まさか、思い込みでシルヴィアは……!?


 どうしよ。

 これ、どうやって収拾したらいいんだ?


 俺がその場に膝をついて頭を抱えたところで、部屋に間の抜けた声が響いた。


「2人とも、何やってるの~? 早く食べないと、私がお菓子独り占めにしちゃうよ?」


 フランセットは俺たちが見ていないすきをついて、大量のチョコレートを口の中に放り込んでいた。

 リスみたいな口で大量のチョコレートをモグモグしている。


「フランセット、お前っ、食い方……」

「美味しい。これ、めちゃくちゃ美味しいね~。人生で一番美味しいお菓子かも~」


 瞳をキラキラさせ、バクバクとテーブルの上のチョコレート菓子をむさぼり食う妹。


「フ……フランセットちゃんっ。それは、媚薬、媚薬なのよ。そんなにたくさん食べたら、あぁぁっ」


 我に返ったシルヴィアは、目の前の光景をこの世の終わりみたいに見て絶叫した。


「びやくぅ? 何それ、美味しいの?」


 コテンと首をかしげつつ、フランセットは食べる手を止めない。


「だから、チョコレートは媚薬じゃないって。フランセットを見てよ。全然平気そうだろ」


 信じられないことに、フランセットはテーブルの上にあった大量のチョコレートを、ひとりで食べきりそうな勢いだった。慌てて皿を取り上げる。


「ぶ~。もっと食べたかったのに。でも、美味しかった! お兄ちゃん、今度、地域の音楽会に行くときにもこのお菓子作って。お友達にも食べさせてあげたいの」

「分かった、いいよ。ダニエルに言っておく」

「ありがとう。お兄ちゃん、だーい好きっ!」


 そう言ってニカっと笑うフランセットは、やっぱり子どもっぽかった。



 その後、落ち着いたシルヴィアに、チョコレートは媚薬でないことをもう一度説明して理解してもらった。


 後日、俺はこんな誤解は2度とご免だとばかりに、チョコレートを各所で配りまくった。

 以前コーヒーを広めるために開いたカフェやバルバストル侯爵の集会などに持っていくと、チョコレートはすぐに注目を集めるようになった。


 需要が増えたことで、チョコレートを販売したいという事業者も多く現れた。そして、その頃にはチョコレートを媚薬だと思う人はいなくなっていた。

 やがて、チョコレート専門の工房が建てられ、ロア王国に1つの新しい産業が誕生するのだった。

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