笑顔の肖像画

 公爵家の邸宅。

 1階の庭に面した大きな窓から、明るい光が差し込んでいる。

 俺のキャンバスの前には、嘘偽りない笑顔のモデルがいた。


 彼女に似合うのは、神々しい朝日だと思い付いて、俺は画面の中でだけ嘘をつく。

 家具の影を引き伸ばし、光に黄色味を添加して。

 光の入れ方も、遠近法も、彼女を引き立てるためのもので、理詰めで考えれば全部嘘。でも、俺の心にとっては正しい描写だった。


 以前に悲しむ彼女を描いたときは、全て写実的にしようとしていたくせに。今の俺には、正直であることより、彼女を最大限に美しく見せることの方が大事になっていた。


「あなたのお蔭で、私は間違えずに済んだわ。ありがとう」


 薄い黄色の光を引き伸ばす俺に、ときどき、彼女が話しかけてくる。


「あのね……お友達になって欲しいの。あなたといれば、私はこれからも、間違えずにいられる気がするから。率直に話し合える関係になれたらいいなって。だから、プライベートの場では、敬語を使わないで、私のことも、名前で呼んで」


 唐突に言われて、俺は思わず大きなキャンバスから顔を出し、


「できませんよ」


 と、答えた。


「そう? でも、公爵家が断絶したら、私は平民ってことになるのよ。そうしたら、あなたとの間にある障害もなくなるんじゃない?」


 ケロっととんでもないことを言う彼女をとがめるように、


「シルヴィア様!」


 と、俺は彼女の名前を呼んだ。


「シルヴィア! ……様は要らないわ。あのね、私、公爵家を守ろうと思うあまり、大きな間違いを犯すところだった」


 彼女は静かに語りだす。


「公爵家が断絶したら、うちの伝統は失われ、長年仕えてくれていた者たちも寄る辺を失ってしまう。だから、私は我慢して、クレマンを後継者にするしかないと思っていた。そのせいで、アレがどういう者か気づいていながら、自分が我慢すれば何とかなるんだと、自分自身を騙そうとしていたの。あのままクレマンを暴走させていたら、レヴィントン家の名の下に、多くの人を不幸にしていたわ」


 彼女の表情に苦い痛みが混じった。


「あなたに会えてよかった。お蔭で気付けた。あなたは鏡のように私の本質を見抜いてしまう。ドレスを選んでも、絵を描いても。私がちょっと我慢して不幸になるだけで他の人が救われるなんてこと、ありえないわ。私も、もっと視野を広くして考えることにしたの。公爵家の新しい後継者を探すにしろ、このまま断絶した後のことを考えるにしろ、皆のために最善を尽くす」


 そう言った彼女の表情は明るかった。


「でも、これは大変なことだから、支えてくれる人が必要なの。だから、ねえ、私のお友達になってよ」

「シルヴィア様……」

「様は要らないって。呼び捨てで、ズバズバ言って」


 おどけた表情を見せる彼女に向かって、俺は、


「シルヴィア」


 と、彼女の名前を呼んだ。

 瞬間、彼女の大きな瞳が少しうるんで、唇と頬のピンク色が際立つ。


 その一瞬をとらえて――。


 穏やかな公爵邸で、俺はこの世界に来て最初の神絵を生み出しつつあった。





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