リスク
クレマンの血統鑑定証を書いた教会魔術師が破門されていることは、教会の記録に残っていた。教会は比較的クリーンな組織なので、教会内の不祥事の記録もちゃんと残っていて
「さて、どうしようか……」
この記録のことをシルヴィア様に伝えれば、クレマンを血統鑑定魔法で再検査するだろう。そうすれば、クレマンに公爵家の継承権がないことが確定する。
問題は、それを公爵家が望むかだな。
クレマンは最低な後継者だが、後継者がいなければ公爵家は断絶したことになってしまう。書類上問題のないクレマンをこのままにしておきたいと考えるかもしれない。
「どっちにしろ、シルヴィア様にこの情報を伝えるだけは伝えた方がいいだろうけど」
後の判断は公爵家の人がするだろう。
……場合によっては、これを伝えるのは俺の身を危険にさらす行動だ。公爵家が存続のために事実を封印したら、口封じに殺されるかもしれない。
でも、クレマンを放置もできない。アイツは転生直後の俺を殺害した。ゲームアプリのフォローがなければ、俺はあの夜会で死んでいたのだ。
クレマンは平気で人に暴力を振るう。そして、それを公爵家の権力でもみ消せることを知っている。
「やっぱり、アイツにこのまま権力を握らせておくわけにはいかない。覚悟を決めて、伝えよう」
金持ちの家に生まれて好きに絵を描いて暮らしたかっただけなのに、とんでもないことに巻き込まれたもんだ。
* * *
俺がシルヴィア様にクレマンのことを伝えようとしていた矢先、彼女の方から俺を訪ねてきた。
「私の見ていないところでのクレマンの行動を調べてみたら、色々ととんでもないことが分かったわ。彼は気に入らないことがあるとすぐに手が出るみたいね」
クレマンは俺の件以外にも暴力事件を多数起こしていたらしい。
「クレマンの別邸の執事が買収されていたみたいで、別邸で不当に暴行されて辞めていった使用人の報告が上がっていなかったの。もみ消しに協力した使用人を特定して解雇したわ」
シルヴィア様はクレマンの問題にしっかり向き合う気のようだ。……これなら、血統鑑定書の件を話しても大丈夫そうだ。
「あの、少々お伝えしたいことが――」
クレマンの血統を鑑定した教会職員が不正行為で解雇されていたことを伝えた。
シルヴィア様は思い当たる節があったのか、
「そう。……腑に落ちたわ」
と、妙に納得したように頷いた。
「クレマンは私の父にも、叔父様にも全然似てないの。母親似なのかとも思ったけど、実の母親とも違う容姿だったのよね。血統鑑定魔法で確認してみるけど、おそらく、当たりだわ」
そこまで言って一息つくと、シルヴィア様はジッと俺を見つめ、
「ありがとう。あなたのお蔭で、私は間違えずにすみそうだわ」
と、深く頭を下げた。
「いえ、たまたま耳にはさんだ情報というだけです。他の方には決して口外しないので、安心してください」
俺がそう言うとシルヴィア様は困ったように苦笑して、
「心配しないで。あなたの名前は絶対に出さない」
と、言ってくれた。
「今日来た理由はあなたへの謝罪だったのだけど、さらに大きな借りを作ってしまったわね」
「謝罪?」
俺が聞き返すと、シルヴィア様は真剣な表情で再び俺に向かって頭を下げた。
「私のいない夜会でクレマンがあなたに大怪我をさせていたと知ったわ。本当に申し訳ありませんでした」
シルヴィア様はクレマンの素行を調べ直して、彼の被害に遭った人たちに謝罪してまわっていたらしい。
「お……おやめください。シルヴィア様が悪いわけではないので」
どっちかというと彼女も被害者側だろう。
「いいえ。死ぬかもしれない怪我だったと聞いたわ。本当にとんでもないこと。――お金で済む問題じゃないけれど、賠償金を支払わせて」
そう言って彼女は分厚い封筒を俺に渡そうとしてくる。
「やめてください。俺の怪我は幸い後遺症も何もありませんでした。何より、公爵家の方に謝罪させて賠償金まで支払わせたとなっては、ウチは王都で商売できなくなります!」
大貴族に謝らせたなんて評判、商人は欲しくないんだよ。
俺が本気で嫌がっていることに気づいたシルヴィア様は困ったようにしばらく俯き、
「それじゃあ、以前と同じように、買い物で支払うわ。前に来たとき、あなたに肖像画を描いてもらうって話をしていたでしょう。その支払いで返すわ。芸術品の価格なら、私の気持ちで上乗せしてもいいでしょう?」
と言った。
「それなら……ありがとうございます」
俺が受け入れるとシルヴィア様はホッとしたようにほほ笑んだ。あ、その表情、かわいい。
「えっと、お時間が許すようでしたら今から描きますか? アトリエに道具はそろっているので」
そう俺が提案すると、シルヴィア様はハッとして頬に手を当てて首を横に振った。
「い……今すぐはダメ。笑顔の綺麗な状態で描いてもらう約束でしょ。もう少し待って。決着をつけてくるから」
彼女はしっかりとした声でそう言うと、急いで帰っていった。
俺は彼女を見送りながら、納得の行く決着がつくことを祈っておいた。
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