彼女の笑顔を描きたくて1

 デュロン婦人の劇場用版画の元絵を描いていると、もう何度目かになるシルヴィア様が来店したと告げられた。

 当座の接客は母がしてくれているが、俺が担当するお客様だ。

 俺は急いでインクのついた手を洗って、店に出られる格好に着替えた。


「お待たせしてすみません。ご来店ありがとうございま――!?」


 シルヴィア様は応接室のソファーに座っていた。その横になぜか俺の妹のフランセットがくっついている。


「フ……フランセット? 何で!?」


 びっくりしてシルヴィア様の接客をしていた母の顔を見た。


「お嬢様がお元気なさそうだったから、アニマルセラピー?」


 ……母さん、自分の娘を動物扱いですかっ。


 シルヴィア様はぼんやりとした表情でフランセットのふわふわの髪の毛をゆっくりと撫でていた。

 妹は先日俺が教えた折り紙をシルヴィア様に折って見せていたようだ。……ん? 俺が描いた劇場版画の原画まで持ち出してる。妹よ、それは大事な売り物だぞっ。


「こっちが、お兄ちゃんが私を描いた絵です。これは知らない女の人で……」

「そう。アレンは絵が上手なのね」

「はい。お兄ちゃんは暇さえあればキレイな女の人の絵ばっかり描いているんです。きっとシルヴィアお嬢様のことも描きたくてしょうがないと思います」

「へえ、そうなんだ~」


 妹よ、何言っちゃってんの。


 それにしても、シルヴィア様に元気がないというのは本当のようだ。どんよりして目の下に隈ができている。眠れなかったのかもしれない。


「お嬢様の右腕、赤くなってるの」


 こっそりと母が耳打ちしてくる。たしかに、よく見ると袖口からのぞく彼女の手首は赤く腫れていた。

 公爵令嬢に暴力を振るう……そんなことができる奴で思い浮かぶのは彼女の婚約者、クレマン一人だ。


 ――胸糞悪い。


 俺はこっそりと手のひらに爪を食いこませた。


「ねえね、せっかくだし、ここでシルヴィア様の絵を描いてみたら、お兄ちゃん?」


 大人の気も知らず、フランセットは無邪気に俺に絵を描くことを勧めてきた。


 ――いや、待て。いい手かもしれない。


 俺には<神眼>があるのだ。

 鑑定すればシルヴィア様を元気づける方法が見つかるかもしれない。


「そうですね。簡単な絵ならすぐに描けますので、ちょっと描いてみましょうか」


 俺はアトリエから道具を持ってきて、シルヴィア様の白黒の似顔絵を描くことにした。


 シルヴィア様を描いていると、無意識に俺の眉間にまで皺が寄った。

 サッと描くだけの絵でも、俺のスキルは内面の苦痛を押し隠したシルヴィア様を的確にとらえてしまう。


 できあがったのは、痛々しく無理にほほ笑む女性の姿。


「あ……」


 どうしよう。これ、見せられない。


「できたの、お兄ちゃん?」

「あ、えーと、その、失敗して変になった……かも」


 絵を隠そうとする俺を制して、フランセットが無理やりスケッチブックを覗き込む。


「……キレイだよ、お兄ちゃん?」


 そのままフランセットはシルヴィア様のところに絵を持っていってしまった。

 絵を見た彼女は力なくほほ笑む。


「なるほど。デュロン婦人があなたのことを天才画家と言ったのも納得ね」


 シルヴィア様は自嘲じちょうするような笑みを浮かべ、


「ごめんなさいね。あなたの絵のモデルになるなら、もっと調子が良いときにした方がよかったわ」


 と言った。


「えっと……はい。いつか、笑顔のお嬢様を描かせてください」


 そう俺が言うと、彼女は小さく頷いた。


「そうね。次は白黒じゃなくて、ちゃんとした油彩画で描いてもらいたいわ」

「はい」


 再びフランセットとお喋りを始めた2人と向かい合ってソファーに座り、俺はスキルの<メモ帳>を開いた。

 <神眼>の発動条件を満たした絵を描いたから、鑑定できているはずだ。


 鑑定には俺にとって役立つ情報が出ていることが多い。今回も、シルヴィア様の気持ちを浮上させるヒントがあるかもしれない。


《シルヴィア・レヴィントン 18歳 公爵令嬢

 実家であるレヴィントン公爵家を、偽りの後継者に乗っ取られそうになっている。彼女の性格は我慢強く、このままでは簒奪者のいいようにされてしまう》


 …………えっ!???


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