転生してすぐにトラブルに見舞われたけれど、問題のある婚約者と別れ、彼女のせいででた赤字を解消し、貴族の伝手も作って、俺の異世界生活は順調にまわりはじめていた。


 でも、最初のトラブルの元凶となった奴らは放置されたままだ。

 俺にとってはもう関わらなければそれでいい存在。しかし、奴らは俺の見ていないところでも不幸をまき散らしているのだった。



* * *



 サンテール子爵令嬢リアーナは荒れていた。

 イライラしながらクローゼットを開ける。そこに新しいドレスはなかった。


「私に同じドレスでパーティーに出ろって言うの?」


 ラントペリー商会の息子と婚約中、彼女には頻繁に新しいドレスが届いていた。

 シーズンごとに、大きな催しがあるごとに、ふさわしい上質なドレスが供される。

 16歳からそれを当たり前に過ごしてきた彼女には、普通の子爵家の娘が必死にやりくりしてドレスを用意していることなど、知る由もなかった。


「ドレスがないわ。商人を呼んで」


 屋敷の執事に告げる。だが――。


「申し訳ございません。今年のドレスは、先日お作りになられたもので最後にしてください」

「どういうことよ!?」


 怒りのままに彼女は執事を問い詰めた。


「今の我が家には、年に何着もドレスを作るほどの資金はございません」

「何でよ。ラントペリーから婚約解消の違約金を貰ったんでしょ?」

「あのお金は、すでに当主様が館の修繕に使ってしまいました」

「ふざけないで! あれは私のお金よ」


 苛立つリアーナ。だが、ひたすら頭を下げるだけの執事の気の利かなさも、その奥に見える壁紙の古さも、無言で彼女に現実を突きつけていた。

 子爵家の娘なんて、この程度なのだ。


 彼女が望む暮らしを手に入れるためは、結婚して家を出なければならない。

 彼女を愛してくれる素晴らしい相手ならすでにいる。今はただ、公爵家の病弱な現当主が彼に爵位を譲るのを待っているだけだ。


 ――でも、待っている間に、彼が私をみすぼらしいと思ったら……。


 リアーナは昨日の夜会を思い出して不安になる。

 あの日、見事な絹のドレスに身を包んだ公爵令嬢に、会場にいた男はみんな夢中になっていた。


 ――急がなきゃ。


 うんざりするような野暮ったい家の中で、彼女は焦りだしていた。



* * *



 夜。

 別邸にいるはずのクレマンが、不躾に公爵邸のシルヴィアの部屋を訪れた。


「ちょっと、深夜に何事ですの!?」


 驚いたシルヴィアが警戒する。


「俺はこの家の嫡子だ。本邸に居て何が悪い」

「私と正式に結婚するまでは別邸で生活するという約束でしたでしょう。婚前に、このような夜中に会うものではありませんわ」


 シルヴィアはクレマンをたしなめる。だが――。


「ハッ」


 クレマンはシルヴィアの言葉を鼻で笑った。


「昨日の夜会では俺以外の男に囲まれて上機嫌だったくせに、何をいまさら上品ぶってんだよ」


 最近のシルヴィアは、クレマンの目から見ても、外見だけは魅力的になっていた。

 彼はシルヴィアに近づいて彼女の腕をガシリとつかんだ。


「俺と結婚できなくて困るのはお前の方だろ。いつまで可愛げのない態度でいるつもりだ」

「クレマン様、それ以上は……!」


 慌てて部屋にいた従者がクレマンを止めようとする。


「うるさい!」


 クレマンは魔力を込めた拳で彼を殴り飛ばした。


 ガシャンッ!

 従者は飾り棚にぶつかりながら倒れ、酷い音が響く。

 何事かと屋敷の使用人が集まってきた。


「チッ……。シルヴィア、お前はこの家の女主人を気取っているが、お前に相続できるものは何もないんだぞ。……シルヴィアについている奴らも考えて行動しろ。俺が当主になったら、気に入らない奴は全員解雇することだってできるんだからな」


 シルヴィアと使用人たちに睨まれながら、クレマンは捨て台詞を吐いて屋敷を出て行った。



 シルヴィアは倒れた従者を助け起こした。


「顔が腫れている。すぐに冷やした方がいいわ……ごめんね」

「お嬢様こそ、ご無事ですか? ああ……酷い、痣になって……」


 さっきクレマンに掴まれた彼女の手首には赤くあとが残っていた。


「もう一度、旦那様に相談しましょう。あのような方が公爵家を継ぐのが正しいとはどうしても思えません」

「そうね。でも……」


 継承のルールは絶対だ。どんな酷い人間でも、血統が正しければ莫大な権力と財産を相続できる。

 そして、どんな奴であれ継承者がいないよりはマシなのだ。同じような男系相続の家で、女子だけを残して断絶した家もある。クレマンがいけ好かないからといって、継承者不在で家を潰してしまえば、長年公爵家に仕えてきた皆が路頭に迷ってしまう。


 ――誰が公爵になろうと、私が家を差配して公爵家が安定すればそれでいいのよ。


 シルヴィアは自分が我慢することで家を守れるならそれで良いと考えていた。


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