伯爵夫人の悩み
「デュロン夫人は、お一人で劇場の運営をなさっているのですか?」
お菓子を食べながら、俺はデュロン夫人に話を振ってみた。
「ええ。台本の修正、配役、予算の決定など、劇場全体のあらゆるところに首をつっこんで、決定権を持っているような状態なの」
「それはすごい」
俺は素直に感心してみせた。もちろん、各部門を支えるスタッフはたくさんいるだろう。しかし、彼女が経営するのは、王都で大人気の劇場だ。それだけうまくやれているのには、デュロン夫人自身の才能も影響してるんだろうな。
「夫人は経営の才能があるのですね。素晴らしいことです」
そう俺が言うと、デュロン夫人は困ったように首を振った。
「いいえ。実はうちの劇場は、少し赤字を出してしまっているの」
「……というと?」
「凝りすぎてしまうの。特に、亡くなった夫の脚本を私が完成させるんだと思うと、妥協ができなくなって。それで、予算オーバーよ。幸い、伯爵家はお金持ちだから、少しなら補填できるのだけど。でも、デュロン家の財産は息子に引き継ぐためのもの。私が自由にできる額は限られるわ」
夫人は力なく溜息をついて目を伏せた。
「お知り合いから後援者を募ったりは、なさらないのですか? デュロン劇場ほどのところなら、パトロンになりたいという方も多そうですが……」
そう俺が言うと、デュロン夫人は嫌そうに首を横に振った。
「お金だけを出してくれるパトロンというのは、そうそういないわ。お金を受け取ってしまったら、パトロンのお気に入りの女優の出番を増やせとか、もっと酷い場合は、女優を愛人によこせとか……ろくなものじゃない。私は夫の脚本も私たちの劇場も、そういうのに汚されたくないの」
と、デュロン夫人はきっぱりと言った。
彼女にとって演劇は大切な夫との思い出がつまったもの。そのこだわりを持ちつつ、現実的な経営で劇場を継続させないといけないのか。
うーん、難しいな。
「なるほど……私も何回か観劇して、デュロン劇場の舞台は名作揃いだと思いました」
重くなっていた空気を変えるように俺が言うと、
「ありがとう。天才画家に褒めてもらえて、誇らしいわ」
デュロン夫人はニコッとほほ笑んだ。本当に、気さくで良い人なんだよなぁ。
デュロン伯爵家の劇場には、俺も何度か行ったことがあった。
客層はさまざまで、立見席でカジュアルに見る平民から、特別席の貴族までいた。だが、どの席も常に満員だ。熱気がすごくて、あらゆる階層にファンを持っているようだった。そういう熱心なお客さんの様子は、日本で見てきたオタクに通じるところがあった。
――そうか!
日本でどういう商売をしていたか参考にすればいいんだ。
たしか、こっちの劇場って、チケットしか販売してなかったよな。でも、前世の日本の舞台やコンサートだと、オリジナルグッズの物販がかなりの収入になるって聞いたことがある。
――物販だ!
人気の舞台なら、相当に客単価を上げられるかもしれない。
「チケット収入だけで足りないのなら、パンフレットや役者絵を販売して、収入を増やすのはどうでしょう?」
「パンフレット?」
不思議そうに夫人が首をかしげた。
こっちの世界、活版印刷はすでにあって、簡単な印刷物なら業者に依頼できるのだ。
「劇の見どころを書いた小冊子を作るんです」
「まあ、それは素敵ね。それじゃ、役者絵というのは、どうやるの?」
日本だと、江戸時代の浮世絵で、歌舞伎の人気役者や上演場面を描いたものが庶民に売られていた。設備と人員を整えれば、こちらでもカラー絵を量産できるだろう。けど、とりあえずは扱ったことのある職人が多そうな、白黒の銅版画からかな。
「私が舞台の女優さんや俳優さんを描いて、それを銅版画にして刷ったものを売るのはどうでしょう」
「いいわね。あなたの描いた絵なら、絶対に人気が出るわ。でも、よろしいの? うちの劇場のために、そこまで……」
父は高額の結納金を払って俺を貴族と結婚させようとするほど、貴族との繋がりを強く欲していた。伯爵家と継続的にやり取りする機会を得られる投資なら、喜んで協力すると思う。それに、デュロン劇場の舞台は大人気だから、勝算もある。
「私の作品には、デュロン劇場の女優さんを描いた絵がもともと多かったですから。それを劇場のお客さんの手に取ってもらえるなら、私も嬉しいです」
「ありがとう。あなたが舞台をどう描くのか、私も興味があるわ」
デュロン夫人も乗り気になってきた。
「詳しいことは一度、商会に持ち帰って、父と具体的な契約内容を整えて、再度お伺いしたいと思います」
「はい。よろしくお願いしますわ」
家に帰って父に事情を話すと、「よくやった」と褒められた。
父はデュロン夫人の執事や劇場の支配人たちとも話し合って、計画を進めてくれた。
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