伯爵夫人の肖像画

「アレン様、今日もありがとうございました」

「こちらこそありがとうね、おつかれさま」


 今日は以前にも呼んだことのある劇場の女優たちにまた来てもらっていた。彼女たちの絵は顧客のウケが良かったから。

 俺の絵は順調に売れていた。


「そうだ、これを……」


 俺は女優のイレーナから一通の手紙を受け取った。


「私たちの所属する劇場――デュロン劇場っていうのですが、その持ち主であるデュロン伯爵夫人からのお手紙です」

「伯爵夫人……」


 いや、すごい人の手紙を帰り際にぞんざいに渡すなよ。――彼女たちは平民の女優さんだから、こういう作法の教育を受けてないんだろうけど。


「劇場にいらした夫人に、アレン様の絵のことを話したんです。そしたら夫人も肖像画を描いてもらいたいって」

「伯爵夫人が?」

「ええ。気さくな方なんです。それに、すっごい美人だし」

「君たちが美人って言うくらいだと、相当だね」

「はい。絶対に返事をしてくださいね。デュロン伯爵夫人はすごい方なんですから!」

「そりゃあ、するよ。ありがとう」


 ひょんなところから俺は伯爵家を訪問するチャンスを得た。

 これは、ラントペリー商会のコネ作りのきっかけになるかもしれない。




 デュロン伯爵夫人に手紙の返事を書いて、後日、約束した日に伯爵邸を訪問した。


「お初にお目にかかります。ラントペリー商会の長男、アレン・ラントペリーと申します」

「あら、聞いてた通り、ずいぶん若くて爽やかなのね。イレーナがあなたにメロメロみたいだったから、また悪い男に騙されてるんじゃないかって、心配してたのよ」

「は……はあ」


 デュロン伯爵夫人は30歳前後の妖艶な美女だった。口元にほくろがあって、色気がすごい。



 伯爵邸の一室にキャンバスを置いて、デュロン夫人と向き合った。

 彼女を描くのは、若手女優を描くのとはだいぶおもむきが異なる。


「私ね、3年前に夫を亡くしてるの。彼も私も演劇が大好きでね。理想の歌劇を追求するつもりで劇場を買い取って、夫の書いた台本で舞台を作っていたの」


 肖像画を描きながら、デュロン夫人のお話に付き合った。


「彼が亡くなった後も、私が中心になって上演を続けているのよ」


 彼女には貴族としてのプライドがあり、夫を亡くした後も劇場を続ける意志力を持っていた。それでいて、平民の俺にも丁寧で優しい。


 ――どう描くか。


 華やかにしすぎると嘘になる。

 彼女は一緒に舞台を作り上げるほど仲の良かった夫を亡くしているのだ。


 ――でも、人を惹きつける魅力がある。


 たしか、前世で学んだ知識だと、宗教画のような神聖なイメージを出したいときは人物画を真正面から描き、自然体に見せたいときは斜め向きにするんだったよな。

 だったら――。


 俺は正面から少しだけ斜めにずらした向きで彼女を描いた。


 伯爵家の重厚な部屋の雰囲気を、下地に暗褐色を塗った土台で表し、中央のモデルにだけ光を集める。

 キャンバスの中の彼女は、自然体だけどミステリアスだ。



「……だいたい描けました。後は家のアトリエで仕上げをして、ニス引きしてお送りします」

「そう。どんな感じかまず見せてね。あら……」


 伯爵夫人は驚いたように口元を両手の指先で覆い、


「あなたには、私が、こんなふうに見えていたのね」


 と、俺にほほ笑みながら言った。


 ――ど……ドキドキするなぁ。


「もう少し時間があるから、片付けたら応接室に来て。お菓子を用意してあげるわ」


 夫人に誘われて、俺は急いで持ってきた画材を箱に詰め直した。


 ――そうだ、<メモ帳>!


 <神眼>の鑑定能力は、絵を完成までさせなくても、ある程度見られる作品ができた時点で発動していた。もう情報を得られるはずだ。夫人とお茶する前に確認しておこう。


《マリーヌ・デュロン 32歳 伯爵夫人

 王都で人気の劇場を経営している。次の舞台に大がかりな予算をかけた作品の構想があるが、チケット収入でどれだけ制作費を回収できるか不安に思っている》


 おや……。

 伯爵邸はとても豪華で、夫人もゆとりがありそうに見えたから、彼女の悩みがお金の問題だとは思わなかった。

 いや、「制作費を回収できるか」という書き方をしてるから、お金がないっていうより、赤字体質で劇場を経営したくないってことかもしれない。本人から詳しい事情が聞けないか、それとなく話してみるか。

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