ラントペリー商会

「お客さんは帰ったようだな」


 モデルたちが帰って俺一人になったアトリエに、父が入ってきた。俺は後片付けの手を止めて顔を上げる。


「父さん、何かご用ですか?」

「ああ。……だが、その前に……上手いな」


 父はアトリエに置かれた俺の絵の数々に感嘆の息をもらした。


「お前はラントペリー商会の跡取りだから、正直、以前はお前が絵を描くことを良く思っていなかった。だが、これだけの才能があるなら描くべきだ。そして、売ろう。立派なお屋敷にお前の作品を飾ってもらおうじゃないか」


 父にとって「売れる」は最高の誉め言葉だ。


「ありがとうございます」

「……まあ、商会の跡取りと画家の二刀流をやってもらうことになるんだがな」


 ……に、二刀流! 大変そうだな。


「しばらくは絵の制作中心でいい。夜会の日にお前が大怪我をしたことは知れ渡ってしまったし、婚約解消もしたから、今はいろいろと噂されている。ほとぼりが冷めるまでは、上流階級に関わる仕事からお前を外しておく」


「ご迷惑をおかけします。――ところで、婚約解消、できたんですね」


「ああ、それを伝えに来たんだ。サンテール子爵令嬢との婚約は無事に解消した。王都の商人のことを普段から支援してくださっている侯爵様がいらしてな。その方に取り成しを頼んで、サンテール子爵も納得しているから、これ以上トラブルにはならんだろう」


「ありがとうございます。貴族との交渉は大変だったでしょう」


「そうでもない。こちらの非で婚約解消という形をとったから、サンテール子爵としては、詫び金だけもらって娘は別の貴族と縁を結ぶのに使える。何より、当事者のリアーナ嬢が婚約解消にたいそう乗り気だったからな」


 と、不愉快そうに父は言った。

 リアーナか。アイツは、レヴィントン公爵家の跡取りであるクレマンと浮気してたんだよな。


「リアーナは、公爵夫人の地位でも狙っているのでしょうか」


 俺と別れてレヴィントン公爵家の跡取りと結婚できるなら大勝利だろうよ。


「どうだろう。難しいと思うが……」

「身分差ですか?」

「いや、レヴィントン公爵家の特殊な事情だ。クレマン公子は現レヴィントン公爵の息子じゃないんだ」

「え、そうなので?」


「ああ。公爵には娘しかいなくてな。レヴィントン公爵家は歴史ある武門の家で、厳格に男系相続しか認めないんだ。今の公爵家に一番血が近い男系の男がクレマン公子になるらしい。彼は公爵の娘と結婚して跡を継ぐ」


「なるほど」


 そんな事情なら、クレマンがリアーナと結婚することはないだろうな。アイツ、どうするつもりなんだろう。


「ともかく、これで我々としては区切りがついた」

「そうですね。今後、商売のためにどうやって貴族と繋がっていくかは、考え直すことになってしまいましたが」

「……問題はそれだな」


 ラントペリー商会というのは、もともと東の国が発祥の商会で、父はこの国、ロア王国ラントペリー商会のトップだった。近年進出したこの土地で、父は有力者と繋がりを作って地盤を固めていかなければならない。


 俺とリアーナの結婚で、サンテール子爵家のコネが使えるようになるはずだった。それに、リアーナは見た目だけは良かったから、彼女にラントペリー商会のドレスや宝石を身に着けさせて、広告塔にするつもりだった。


 婚約が解消されたことで、ラントペリー商会のドレスとアクセサリーの販売戦略を見直さなくちゃならなくなった。父は何も言わないが、今回の件でかなりの損害を出してしまっただろう。


「俺のせいで……すみません」


「お前が謝ることではない。私の判断ミスだ。それと、お前にまたすぐに、どこぞの金に困った貴族と結婚しろなどと言う気もない。貴族との伝手は別に考える」


 父は情のある人だから、傲慢な貴族に酷い目に遭わされた俺を、また別の貴族と結婚させようなどとはしない。彼にとっては、商会も家族も、等しく大事なのだ。


「……そうですか」


 だが、跡取りの結婚ほど強いカードは他にない。ここは俺から申し出て、新たな結婚相手を探してもらうべきだろうか。


 ――いや、少し待とう。


 俺の考えとしては、そもそも政略結婚を、あまり良い手だと思っていない。家の利益を優先して子どもが望まない相手と結婚させるというのは、前世の現代っ子の感覚からすると受け付けない。

 今回の件だって、もともとリアーナの意志を無視した婚約をしていたから、彼女が暴挙に出たとも言える。……まあ、やったことは許せないけどな。


 それに、元婚約者のようなお嬢様育ちで恐いもの知らずの十代を商売の重要な要素に組み込むというのも、トラブルを生みやすい戦略だったと思う。


 いずれ政略結婚で家格を上げるにしても、18歳の俺には時間があるのだから、結婚を焦る必要はない。一時的にビジネスで協力してくれる有力者を探して、社交界で俺の結婚相手をしっかり人選した方が最終的にうまく行くだろう。


「高価なドレスやアクセサリーを売るには、上流階級の女性の協力者がいるのが望ましいです。でも、それが若い娘である必要はないでしょう。例えば、人生経験が豊かで慎重な行動ができる有閑マダムに伝手を作る方が、リスクが少ないかもしれません」


「なるほどな。それで、そんな女性の当てはあるのか?」

「いえ、全く」

「……そうか」


 父はガックリしたように言った。

 うーん、どこかに有力者で空気の読める大人のお姉さん、いないかなぁ。

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