妹を描いてみよう

 隣の部屋にあったのは、映画か何かのセットのような、昔の画家のアトリエだった。


「油絵か……」


 作業机にはたくさんの顔料の粉と数種類の油、何本もの筆、刷毛、パレットにペインティングナイフ――しかし、絵具のチューブはない。ああ、たしか、昔の画家は自分で顔料から絵具を作ってたんだっけ。

 絵に関するものが何でも好きだった俺は、デジタルイラスト以外にも、美術館に行ったり、N〇Kの芸術特集番組を見たりもしていた。でも、その浅い知識でいきなり顔料と油を練り合わせて油絵を描くなんてできるわけがない。


 ――どうしようか。


 白く塗装されたキャンバスと道具たちを前に俺が戸惑っていると、アトリエのドアが元気よく開いた。


「お兄ちゃん、お話は終わったんでしょ?」


 妹のフランセットだ。

 先ほど仕事に戻った父が、フランセットに声をかけていたらしい。


「私、今日はずっとお兄ちゃんと一緒にいる」


 妹は再びピタッと俺の腕にくっついてきた。

 前世では男兄弟しかおらず独身だった俺に、ゼロ距離女児っていうのは中々の衝撃なんだが……。


「あら、そうなの。お兄ちゃんはこれから絵を描くみたいだけど、どうしようかしら」


 そう母が言うと、妹は、


「だったら、私がモデルになってあげる!」


 と言って、キャンバス前に置かれた椅子に座った。


「フランセット、絵を描くのには時間がかかるのよ。ずっとジッとしていられる?」

「うん、任せて。私、もう立派なレディだよ!」


 たくさんのリボンがついたワンピースドレスを着た妹は、おすましした様子でお腹の辺りに両手を重ね、背筋を伸ばした。――何だこの可愛い生き物は……。


「ふふ。美人に描いてね、お兄ちゃん」


 と、キラキラした瞳のフランセットに言われる。


 ――ちょっと待て。俺、油絵の描き方なんか知らないって。


 焦る俺だったが、キャンバスの前に立って絵筆を持った瞬間、不安は全て消え去った。


 ――分かる。


 オートモード中に絵を描いた記憶があったのも大きいが、それ以上に、ゲームアプリで取得した<弘法は筆を選ばず>というスキルの威力を感じた。

 俺は顔料を土魔法で操り、一瞬で思った通りの絵具を作ってしまった。そして、太い筆で画面全体を何色かに塗り分けるだけでバランス良く構図を決めてしまうと、この世界で初めての作品制作に取りかかった。


 踊るように絵筆が動く。乾かすのに数日かかるはずの油絵具を風魔法で自由に乾燥させ、次々と色を乗せることができた。

 やがて、キャンバスに思い通りの可愛い女の子の姿が現れてくる。

 フランセットの亜麻色の髪の毛は絹のように艶やかでふわふわ、頬っぺたはお饅頭まんじゅう求肥ぎゅうひのようなふわふわ。俺の手は、その質感を自在に描き分けていた。


「ありがとう、フランセット。モデルはここまでで大丈夫だよ」


 小一時間ほど描き続けて大まかな形が見えたところで、俺はフランセットを解放することにした。子どもをいつまでも同じ姿勢で座らせておくわけにもいかない。


「長い時間頑張ったわね、フランセット」


 俺が絵を描くのを見ていた母が、フランセットを褒めた。


「うん。ねえ、絵はどんな感じ?」


 モデルの椅子から立ち上がると、フランセットは俺のキャンバスを覗き込みに寄ってきた。


「うわ~、すごい! 上手」


 俺の絵を見てはしゃぐフランセット。


「本当にねぇ。よく描けているわ」


 と、母も感心したように言った。


「そう? ここから仕上げおわるまで、まだだいぶん掛かるよ」

「そうなの? 完成した絵も気になるわね」

「私も見たい! 一番に私に見せてね、お兄ちゃん」

「分かった。できあがったらフランセットにあげるから、楽しみにしておいて」

「うん! ありがとう」




 翌日昼。

 夜更かしして仕上げた絵をフランセットに見せた。


「すごい、すごい! 私、かわいい」


 妹はすぐに気に入ってくれて、「お兄ちゃんすごーい」と、顔に書いてあるようだった。笑顔の破壊力がやべぇ。


「本当にね。この絵なら、けっこうな値段で売れるわよ」


 一緒に見ていた母は、商人の血がうずくのかそんなことを言って、


「ダメ! これは私の絵なのっ」


 と、フランセットに怒られていた。


「そうね。もちろん、これはフランセットのものよ。――それとは別に、アレンは人物画を描いた方がいいわね。以前に描いていたものも上手ではあったけど、理解できる人は少なそうだったし」


 俺はアトリエ内にある、オートモードの俺が描いたらしい絵に目をやった。

 ……バリッバリの抽象画である。しかも、テーマが暗い。


 絵具のチューブもない時代に、現代アートを暴走させたような抽象画。オートモードの俺の絵を理解できる人は、今の俺の周囲には誰もいなかった。

 好意的に考えれば、オートモード中に目立ちすぎることを避けて、ゲームアプリのAIが、わざと注目されにくい変な絵を描いていたんだと思う。……クソゲーアプリAIの感性がイカレてた説も捨てきれないけど。


「ねえ、アレン。他にも人物画を何枚か描いてみない? 絵が売れるようになったら、今後のあなたが絵を描き続けるのもやりやすいと思うわ」


 と、母が提案してきた。

 俺は商会の跡取りなので、絵ばかり描いていると、両親にも店の従業員にも良い顔をされなかった。でも、ラントペリー商会は高級品を扱う店なので、その顧客に評価される作品を描く能力を俺が持っているってことは、店の信用にもつながるだろう。


「わかりました。やってみます」

「良い返事ね。ちょうど、元婚約者と夜会に出る必要がなくなって、あなたの時間も増えたことだし、どんどん描いてみるといいわ。私の知り合いに頼んで、良いモデルさんを連れてきてあげるから、楽しみにしておいて」


 そう言った母は嬉しそうで、ちょっとホッとした様子だった。事件の後でも俺が元気なのを見て、安心したのかもしれない。


 ――そういえば、絵に描いた対象を鑑定する能力を貰ってたな。


 俺はゲームアプリからもらった<神眼>という能力のことを思い出し、<メモ帳>を開いた。

 <メモ帳>には新しいページが増え、以下のように記入されていた。


《フランセット・ラントペリー 8歳

 ラントペリー家の娘。好きなものは、「ぶどう・生クリーム・お兄ちゃん」である》


 ……どうしよう。俺の妹が可愛すぎる。


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