家族

 しばらくして、部屋に俺の両親と妹が入ってきた。


「お兄ちゃん、起きたんだね。良かったぁ」


 10歳年下の幼い妹が涙を流しながら俺の腕に抱きついてくる。

 俺は妹のふわふわの髪の毛を撫でた。


「心配かけてごめんね、フランセット」

「本当によ。息子を失うかもしれないと思って、目の前が真っ暗になったんだから」


 そう言って、俺のこの世界での母親も涙ぐんでいる。


「無事に目覚めて、本当に良かった」


 父は泣いてはいないけど、数日前よりどっと老けたようになっていた。


 ピタリとくっついて離れなくなった妹を落ち着かせるために、俺は彼女の背中をやさしくさすった。

 その様子を眺める両親の目には、寝不足からの隈ができている。

 彼らの存在は、この異世界に強いリアリティを与えていった。

 クソゲーアプリめ。本当に転生するなら言っておけよ。そうしたら、いい加減なAIに彼らの大事な息子を預けたりしなかったぞ。


 しばらくして、父はメイドのエイミーを呼び、妹を部屋の外に連れて行かせた。


「幼い子には聞かせられない話になるだろうから、フランセットはエイミーと遊ばせておく。何があったのか詳しく教えてくれないか?」


 俺は両親に、子爵令嬢の不貞と浮気相手の男について話した。


「リアーナ嬢……。若く浅はかなところはあったが、ここまで酷い裏切り方をしてくるとは……」


 父が頭を抱えた。

 サンテール子爵令嬢リアーナというのが、俺を裏切った婚約者の名前だった。


「それで……あなたを傷つけた犯人が誰かは、分かっているの?」


 ベッドに座る俺の両腕を震える手で掴んで、母が俺に問うてくる。


「……はい」


 商人の子として、上流階級の人々の顔と名前を覚えさせられていた俺は、当然、浮気男が誰だか知っていた。


「私に向けて致命傷となる威力の風魔法を放ってきたのは、レヴィントン公爵家の後継者、クレマン公子でした」


 俺の言葉に、2人はハッと息をのんだ。


「レヴィントン公爵家の跡取り……もの凄い大物が出てきたな」


 父が苦い顔で言い、母は真っ青になって言葉を失ってしまった。

 相手が悪すぎる。


「私の至らなさが招いたことです。クレマン公子を糾弾するような気持ちはありません。ですが、リアーナ嬢との婚約は、解消していただけませんか? さすがに彼女と結婚する気にはなりません」


 俺が言うと、父は急にガバリと俺に向かって頭を深く下げた。


「すまん……本当に、すまん。目先の利益で、素行の悪い疑いのあった令嬢を婚約者に選んでしまった。私の過ちのせいで、お前をこんな目に……」

「いえ、悪いのは父さんじゃないです! 婚約者の行動を把握できていなかった俺にも責任があります」


 俺が咄嗟にそう返すと、うつむいた父は拳をグッと握り、


「婚約は解消する。……取りなしてくれる有力者を探して、こちらから違約金を払って、穏便に……。情けない父で……すまない」


 と、血を吐くような悔しさを滲ませて言った。

 相手が100%悪かろうが、平民が婚約破棄などと子爵家を侮辱する行動をとれば、貴族社会全体が黙っていない。

 父の肩には、ラントペリー商会で働くたくさんの従業員の生活がかかっている。どんな怒りにも飲まれるわけにいかなかった。俺も転生前はアラサーだったのだ。彼の立場は分かる。父に対し情けないとか冷たいなどと思うことはない。


 でも――。

 俺の心は激しく憤り始めていた。

 父の姿に、転生直後でどこか実感がなく他人事だった俺の感情が覚醒していく。


 ――両親に、このまっとうな大人たちに、何て表情をさせているんだ! 


 急に激しく渦巻く怒りと悔しさ。それは、ここが虚構の世界じゃない、地球と同じ、理不尽で不平等な人の世だと訴えていた。


「…………」


 感情と思考の波に翻弄される俺を、母が心配そうに見つめる。


「ねえ、話はここまでにしましょう? アレンは大怪我からやっと目覚めたばかりなのよ。無理させてはダメよ」

「そうだな。婚約解消については私が処理しておくから、お前は気にせず休んでいなさい」


 父はそう言って、さらに、


「そうだな……久しぶりに、絵でも描いてみたらどうだ?」


 と、提案してきた。


「……絵?」

「あら、いいわね。最近のアレンは、子爵家のつながりで夜会に出てばかりだったけど、本当はずっと家で絵を描いていたいっていうような子だったものね。動けるなら、今すぐアトリエに行ってみる?」

「はい、ぜひに!」


 俺は母の手を借りてベッドから出て、隣の部屋にあるというアトリエに連れて行ってもらった。

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