山羊と羊・中

 木々が鬱蒼と茂っている。光源は半分になった月明かりと、満天の星のみだ。草原で寝転がっていたら幻想的な風景かもしれないが、今は不気味にカーブがかかった名前も知らぬ木々ばかりが、光を塞いでいる。オオカミや悪い精霊が、人間を食べたり惑わそうとして、茂みからカサコソと音をたてている。


 僕らは丁度いい広場を見つけて、そこで寝ようとしていた。普通ならもっとちゃんとした寝床を作ったほうがいいのかもしれないけれど、僕も少女もそういう知識はなかった。だから寝床は、地面の上に敷く布と、少女が被る布2枚だけの簡素なものだった。




「くらい、こわい。たべられる」


 布を鼻までかけて、少女は涙をぽろぽろ流していた。僕は彼女の隣に座って、励ますことにした。


「大丈夫だよ! オオカミや悪い精霊が出てきても、きっと僕が追い払うから! 僕はせいれいさんだから、寝なくてもいいし、ずっと君のことを守れるよ!」


 自分の腕を折り曲げて、力拳をみせる。すると、彼女は泣き止んで、笑ってくれた。嬉しい。


「えへへ、たのもしい、な」


「だからさ、安心して寝てていいよ」


「うーん、せいれいさん」


「なに?」


「せいれいさんのおはなしして!」


「うーん、別にいいけど、どうして?」


「いっぱい、むらのはなしした。こんどは、せいれいさんがはなす。もっと、なかよし、なる! ……あと、ねられない、から」


 そうか。少女の身の上話を聞くばっかりで、僕のことは何も話してなかったな。


「……うん、いいよ」


 僕は一回深呼吸をして、話しはじめた。


「……僕、ちょっと前までは家族がいて、仲間がいて、たくさん尊敬されて……愛し合ってて、楽しかったんだ。でも、単純なきっかけで、いつからか独りで暮らすようになったんだ。僕はずっと寂しかった。いっそのこと、最初から独りぼっちだったら良かったのに、なんて、暗い穴の中で思ってたんだ」


 彼女に核心を突かれないように、ゆっくりゆっくり言葉を選ぶ。


「独りの時さ、たまに、おまじないをしてたんだ」


「おまじない?」


「そう。元気になれるおまじない。自分のやるべきことがわかるおまじない」


「どういうの? いま、くらい、こわい。げんき、なりたい!」


「うん、じゃあ、今からやって見せるね……」


 僕は指でてのひらに星を描いた。


「こうやってさ、手に星を描いてね、口に飲み込む仕草をするんだよ。やってみる?」


「うん!」


 少女は僕の指の動きを真似て、丁寧に、しかし伸び伸びと描いた。下側のただ一つの頂点を手首まで伸ばしていて、ちょっと歪だが、元気な星が描けていた。


「描くの、上手いね。大きくのびのび描けてるよ。これを飲み込んだらとっても元気になれそうだよ」


「へへ、げんき! げんき!」


 彼女は描いた星を飲み込んで、パチパチと手を叩いた。


「げんき、なれるのかな」


「なれるさ」


「ねむい」


「そう。……じゃあ、もう寝ようか」


「おやすみ」


「……おやすみ」


 少女は目を閉じた。


 ……あとどれくらい、森を彷徨えるだろう。僕は微かな月の光を睨みながら、それだけを夜通し考えた。何も音はしなかった。









「おはよー!」


「ああ、おはよ」


「げんき、なった! せいれいさんは?」


「ああ、元気だよ。昨日のおまじないのおかげかな?」


「そう、かも! 」


「さ、きょうも頑張って歩こうか。ほら、今日の朝ごはんだよ」


 僕はあらかじめ用意しておいた朝ごはんを出す。少女は無邪気に「わーい!」と言いながら、ガツガツと朝ごはんを食べた。僕はその様子を淡々と眺めながら、今日は彼女にどんな話を振ろうかと考えていた。









 少女は今日も僕に騙されて、同じ道を歩く。……はずだった。


「あ、ひと、いる!」


 曲がり角を先に進んでいだ少女は、突然そう叫んだ。僕はびっくりして聞き返した。「……人?」


「うん!」


 僕が起こした幻覚には、人なんていないはずだ。なのに、なぜ? 僕は急いで角を曲がった。


  僕をからかっているだけだという祈りも儚く、そこにはおばあさんがいた。




 そのおばあさんは、なんとも奇妙な姿をしていた。血のように赤いローブを纏い、同じ色のフードを、顔が見えないくらいに深々と被っている。


 その姿を見ていると、なぜか心は落ち着かず、イライラした。僕の想定外の存在が現れた、というだけではない。彼女には何か……


 おばあさんは僕らを見るなり警告した。


「そっちに行っては、いけないよ。そっちは森の出口。地獄への道さ」


 少女もおばあさんを見て、何か危険を感じたらしい。ちょっと怯えながらもおばあさんを睨みつけた。「……まじょのことば、しんじない。まじょ、わるい」


「そっちは地獄だよ! わしには分かる」「ちがう、おうちがあるもん!」「今のお前に帰るべき家はない! 天国でさえもね!」「ひどい! なんてこというの!」「事実を言ったまでさ!」「うそつきまじょ!」「嘘だと? 嘘をついているのはお前の方だろう!」「うそ、ついたことない!」「嘘つきはみんなそう言うんだよ!」「うそ、つかないもん……!」「ふん!」


 おばあさん……魔女の気迫に怖気づいたのか、少女はポロポロと涙を流した。しかし、彼女は魔女を睨み続けて、無言の抵抗を続けていた。


「へっ! なら、お前はどうかね? 大きな大きな山羊ヤギの角を持ったお前さんは?」


「えっ! えっと……」


 突然話を振られて、僕は口ごもった。僕の頭は混乱していて、言葉を話す余裕もなかった。しかしおばあさんは、まだまだ僕を問い詰める。「彼女を信じてしまうのかい? 彼女におうちはあると思うのかい?」


 ここで何も言わないわけにはいかなかった。何も言わなかったら、何かを見抜かれてしまうという、予測という名の確信が僕の頭を支配したのだ。だから僕は一つ、二つ、深呼吸をして、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「あっ、あっ、えっと……ぼ、僕は彼女を信じます。僕は彼女に信じられました。だから僕も彼女を信じる義務があります」


「そうか、ふむ……ほうほう」


 魔女の頼りなく垂れた顔面と、存在を穿うがたんばかりの剣幕の不協和音に、僕は恐ろしくなった。はやく離れたくなった。


「なぁ、もう、行こう」


 彼女の手を引っ張って、僕らは森の奥へ進もうとする。魔女は追いかけてこない。僕らを睨むだけだ。


「……ふん。頑固な子たちだね。なら行きゃあいいさ! 後悔しても、知らないよ。ただ……」


「怖くなったら、儂に祈れ」


 魔女はそんな捨て台詞を吐き、僕らの視界から消えた。








「……まじょ、わるい、ちがうかも」


 最初に無言を切り裂いたのは、少女だった。僕らはそれぞれで魔女のことについて考えながら歩いていた。


「え?」


「さいご、こえ、やさしいかった」


「そうかな」


「やさしい、やさしい!」


「……」


「せいれいさん?」


 ……何を話せばいいのだろう。何も思いつかない。僕の頭はあの魔女のことでいっぱいだった。


「せいれいさん!」


少女に呼ばれて、できる限り優しく話そうと努める。


「あ……なあに?」


「うそ、ついた」


「嘘?」


「まま、すてた」


 少女の声は震えていた。「まま、じめん、へんなの、かいて、ころそうとした。おでかけ、ちがう。いけにえ」


「生贄……」


「でも、にげた。でぐちのぎゃく、にげた。こわいかった。けど、どうくつ、みつけた。そこで、ねた。これがほんとう」


 少女は生贄にされそうになったことを思い出して、ぽろぽろと涙を流した。


「まじょ、うそ、みぬいた。だから、はなそう、おもった。うそついてて、ごめん」


「いや……いいよ。話してくれてありがとう」


 僕は少女の頭を優しくなでた。彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「まま、かえる、みた。だから、おうち、いる」


「君はおうちに帰りたいの?」


「うん。でも、おうち、いくの、だめ、いわれるかも。そのときは……」


 少女は深呼吸して、改めて言った。「そのときは、せいれいさんのおうち、いきたい」

「……うん、いいよ」


 光が、だんだんと大きくなってくる。外だ。森の外に出てしまった。


「やったあ! そとー! そとー! おうち、近い!」


「外……」


 優しく吹いているはずの風が冷たかった。

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