見失った羊を見つけてから
八百本 光闇
山羊と羊・上
洞窟の入口に、少女が落ちていた。12歳から15歳ぐらいの、大人になる期間の少女だった。僕は彼女の肩をとんとんと優しく触れながら、声をかけてみた。
「おーい。大丈夫?」
しかし、僕が何回言っても、少女の体はぴくりともしない。心臓は普通に鼓動していたので、死んではいないようだった。でも、体は泥や葉っぱで汚れているし、体中すり傷や切り傷だらけだった。外は土砂降りだ。屋根を探してここまで来たのだろうか。
「……見捨てるわけにもいかないよなぁ」
僕は小さく呟いて、少女を洞窟の奥に運んでいった。
*
少女は目をこすりながら起き上がった。ちょこんと座って、辺りをキョロキョロ見渡している。
「うーーん?」
「あっ、起きたんだ」
「おはよー!」
少女は初対面にも関わらず、親しみを持って挨拶をしてきた。
「ええっと……おはよう」
僕がとりあえず挨拶を返すと、少女は純真な瞳で僕をまっすぐ見て、首を傾げた。
「だあれ? かみさま?」
「え?」
「すごく、たすけてくれた! からだ、いたくない! かみさま!」
「……僕は神なんかじゃないよ」
たしかに僕は人間の言葉が喋れるし、傷もすぐに治せるけれど、今はそれだけだ。
「じゃあ、せいれいさん!」
「うーん、そうなのかなぁ? 」
「せいれいさーん! せいれいさん!」
少女は大きくパチパチ手をたたく。思春期くらいの子供にしては、余りに仕草と口調が幼かった。精神年齢が5歳か6歳に見えた。そういう彼女の幼さに、僕はあたたかいため息をついた。
「うーん、そういうことにしておくよ」
「やったー!」
少女は僕が誰かという疑問を一つ解消すると、また新たな疑問を僕にぶつける。「ここ、どこ?」
「洞窟の奥。君が入り口で倒れてたから運んできたんだ」
少女はこくこく頷きながらも、簡素な机に置かれた食べ物によだれを垂らしていた。
「これ、たべる。いい?」
「もちろん、いいよ。君のために用意したから」
洞窟は薄暗く、じめじめしていたが、美味しそうに食べ物を頬張る少女の爽やかな笑顔のおかげで、なんだか明るい雰囲気になったような気がした。
「おいひい。おいひいの、たべる、ひさひふり」
少女は満足そうに笑いながら、病的に細い腕を食べ物から口の中へ、しきりに動かした。儚い感じがした。
「……そうなんだ。じゃあ、思う存分食べてね」
「――それでさ、なんでこんなところに来れたの?」
少女のお腹が満足げに膨らんだのを見計らって、僕は彼女に問うた。こんな森の奥の洞窟にどうして来れたのか。
「うーん。おでかけ、まいご!」
彼女は元気に言った。家族か何かと出かけてて、迷子になったのか。森には悪い存在がたくさんいるはずなのに、なぜ死なずに来れたのだろう。神の奇跡か。神がこんなところまで守るわけがないと思うけれど。
「迷子になったの?」
「うん。……よる、さむい、こわい、どうくつ、やすんでた!」
少女はずっと笑顔だったが、その奥にはたぶん、寂しさが隠れている。
「そうか……」
「おうち、かえりたい」
「おうちって、森の外にあるの?」
「うん!」
「うーん」
このまま放っておくのも何か後味が悪いな、と思った。
「じゃあさ、僕と一緒に行こう。おうちへ。森のことは色々知ってるから、出口までなら案内できるよ」
だから思わず、こう言った。少女は「やったー!」と、手をパチパチさせてはしゃいだ。
*
深い森は、昼でも暗い。大きな木々が太陽をさえぎって、暗い影を落とすのだ。森の静寂は、僕たちの足音と会話で破られていた。
「それで、家族は? 何人いるの?」
「えっとね……」少女は、歩きながら、小さな指を折り曲げて、ゆっくりゆっくり家族を数えていく。
「まま、ぱぱ、にぃに、おとおと、あと、ねぇね、いた!」
彼女は揚々と手のひらをパーにして掲げた。
「6人家族か……?」
「ろくにん? ごにんだよ」
「君も入れたら、6人だろ」
「うーーん?」
少女は首を傾げた。どうやらあまり意味が分かっていないようだ。
「まぁ……とにかく、家族がたくさんいるんだね」
「うん! まいにち、たのしいよ! ままとのおでかけも、たのしいかった!」
「お出かけは、ままと行ったんだ」
「うん!」
「ままは、まだ君のこと探してると思う?」
「さがす、ない!」
「え?」
「まま、おうち、いる! もり、よる、きけん! かえる、やくそく!」
少女は自信満々たった。そんな彼女の態度を、僕は壊したくはなかった。
「……うん、そうか。じゃあ、ままは君の無事を心配しているよね」
「うん!」
「じゃあ、早く帰ろう。君のおうちに」
「そう、だね!」
*
それから僕らは、森を夜になるまで歩き通した。少女は何度も疲れて、その度に休んだ。僕は彼女のことについてたくさん聞いた。好きな食べ物とか、遊びとか、生活とか。その度に彼女は喜んで、僕を大切な存在だと思ってくれた。
僕は嬉しかった。こういうふうに親しみを持って人と話すのは久しぶりだったから、僕はずっと話していたかった。
*
……だからわざと迂回した。本当はこんな森、出口まで半日歩く必要なんてないほどの距離なのに、僕らは同じところをぐるぐる回った。彼女は当然、気づかなかった。景色が変わっているように見せたからだ。彼女の脳を僕が侵すのは、言いようもない享楽だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます