見失った羊を見つけてから

八百本 光闇

山羊と羊・上

洞窟の入口に、少女が落ちていた。12歳から15歳ぐらいの、大人になる期間の少女だった。僕は彼女の肩をとんとんと優しく触れながら、声をかけてみた。


「おーい。大丈夫?」


 しかし、僕が何回言っても、少女の体はぴくりともしない。心臓は普通に鼓動していたので、死んではいないようだった。でも、体は泥や葉っぱで汚れているし、体中すり傷や切り傷だらけだった。外は土砂降りだ。屋根を探してここまで来たのだろうか。


「……見捨てるわけにもいかないよなぁ」


 僕は小さく呟いて、少女を洞窟の奥に運んでいった。









 少女は目をこすりながら起き上がった。ちょこんと座って、辺りをキョロキョロ見渡している。


「うーーん?」


「あっ、起きたんだ」


「おはよー!」


 少女は初対面にも関わらず、親しみを持って挨拶をしてきた。


「ええっと……おはよう」


 僕がとりあえず挨拶を返すと、少女は純真な瞳で僕をまっすぐ見て、首を傾げた。


「だあれ? かみさま?」


「え?」


「すごく、たすけてくれた! からだ、いたくない! かみさま!」


「……僕は神なんかじゃないよ」


 たしかに僕は人間の言葉が喋れるし、傷もすぐに治せるけれど、今はそれだけだ。


「じゃあ、せいれいさん!」


「うーん、そうなのかなぁ? 」


「せいれいさーん! せいれいさん!」


 少女は大きくパチパチ手をたたく。思春期くらいの子供にしては、余りに仕草と口調が幼かった。精神年齢が5歳か6歳に見えた。そういう彼女の幼さに、僕はあたたかいため息をついた。


「うーん、そういうことにしておくよ」


「やったー!」


 少女は僕が誰かという疑問を一つ解消すると、また新たな疑問を僕にぶつける。「ここ、どこ?」


「洞窟の奥。君が入り口で倒れてたから運んできたんだ」


 少女はこくこく頷きながらも、簡素な机に置かれた食べ物によだれを垂らしていた。


「これ、たべる。いい?」


「もちろん、いいよ。君のために用意したから」




 洞窟は薄暗く、じめじめしていたが、美味しそうに食べ物を頬張る少女の爽やかな笑顔のおかげで、なんだか明るい雰囲気になったような気がした。


「おいひい。おいひいの、たべる、ひさひふり」


 少女は満足そうに笑いながら、病的に細い腕を食べ物から口の中へ、しきりに動かした。儚い感じがした。


「……そうなんだ。じゃあ、思う存分食べてね」






「――それでさ、なんでこんなところに来れたの?」


 少女のお腹が満足げに膨らんだのを見計らって、僕は彼女に問うた。こんな森の奥の洞窟にどうして来れたのか。


「うーん。おでかけ、まいご!」


 彼女は元気に言った。家族か何かと出かけてて、迷子になったのか。森には悪い存在がたくさんいるはずなのに、なぜ死なずに来れたのだろう。神の奇跡か。神がこんなところまで守るわけがないと思うけれど。


「迷子になったの?」


「うん。……よる、さむい、こわい、どうくつ、やすんでた!」


 少女はずっと笑顔だったが、その奥にはたぶん、寂しさが隠れている。


「そうか……」


「おうち、かえりたい」


「おうちって、森の外にあるの?」


「うん!」


「うーん」


 このまま放っておくのも何か後味が悪いな、と思った。


「じゃあさ、僕と一緒に行こう。おうちへ。森のことは色々知ってるから、出口までなら案内できるよ」


 だから思わず、こう言った。少女は「やったー!」と、手をパチパチさせてはしゃいだ。









 深い森は、昼でも暗い。大きな木々が太陽をさえぎって、暗い影を落とすのだ。森の静寂は、僕たちの足音と会話で破られていた。


「それで、家族は? 何人いるの?」


「えっとね……」少女は、歩きながら、小さな指を折り曲げて、ゆっくりゆっくり家族を数えていく。


「まま、ぱぱ、にぃに、おとおと、あと、ねぇね、いた!」


 彼女は揚々と手のひらをパーにして掲げた。


「6人家族か……?」


「ろくにん? ごにんだよ」


「君も入れたら、6人だろ」


「うーーん?」


 少女は首を傾げた。どうやらあまり意味が分かっていないようだ。


「まぁ……とにかく、家族がたくさんいるんだね」


「うん! まいにち、たのしいよ! ままとのおでかけも、たのしいかった!」


「お出かけは、ままと行ったんだ」


「うん!」


「ままは、まだ君のこと探してると思う?」


「さがす、ない!」


「え?」


「まま、おうち、いる! もり、よる、きけん! かえる、やくそく!」


 少女は自信満々たった。そんな彼女の態度を、僕は壊したくはなかった。


「……うん、そうか。じゃあ、ままは君の無事を心配しているよね」


「うん!」


「じゃあ、早く帰ろう。君のおうちに」


「そう、だね!」









 それから僕らは、森を夜になるまで歩き通した。少女は何度も疲れて、その度に休んだ。僕は彼女のことについてたくさん聞いた。好きな食べ物とか、遊びとか、生活とか。その度に彼女は喜んで、僕を大切な存在だと思ってくれた。


 僕は嬉しかった。こういうふうに親しみを持って人と話すのは久しぶりだったから、僕はずっと話していたかった。



 ……だからわざと迂回した。本当はこんな森、出口まで半日歩く必要なんてないほどの距離なのに、僕らは同じところをぐるぐる回った。彼女は当然、気づかなかった。景色が変わっているように見せたからだ。彼女の脳を僕が侵すのは、言いようもない享楽だった。

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