菜種梅雨

増田朋美

菜種梅雨




その日は、前日にやたら雨が降ったあとでなんだか、晴れたり曇ったり変な天気になっていた。そんな日は、大概の人は気にしないでいられるものでもあるのだが、中にはそうはいかない人もいる。そういう人にどう対処したらいいのかわからなくて、より混乱している人もいることだろう。

そんな中、吉田素雄さんのスマートフォンがなって、また依頼人の家に呼び出されることになった。依頼人の階級は様々である。とんでもなく大金持ちの人だったときもあれば、1000円払うのがやっと、という人もいる。いつも、呼び出し料金は、1000円に統一しており、決してこの仕事は儲かる商売ではないことはたしかなのだが、依頼して来る人は、確実に増えてきている気がする。

素雄さんは、うまく動かせない足をうごかして、依頼人の家に行った。依頼人は、ごく普通の一軒家ではあった。でも、洗濯物を出していないところから判断すると、人には言えない問題を抱えているんだろうな、ということがわかる。

インターフォンを鳴らすと、とりあえずどうぞという音がして、素雄さんは、中に入った。玄関で依頼主が待っていた。依頼主は、中年の女性だ。素雄さんが何が起きたのかを聞くと、娘が突然暴れだして、自分では説得しきれなくなったので、呼び出したという。

「そうですか。娘さんは何を仰っておられますか?」

素雄さんが、そう聞くと

「わかりません。ただいきなり死にたいと口走って。」

と、女性はいった。

「それでは、その前後のことを話してください。まずはじめに、皆さんは何をしていたのですか?食事していましたか?テレビを見ていましたか?それとも、お茶やお菓子など食べていましたか?」

素雄さんは、できるだけ選択肢をつけていった。こういうときは、考える余裕などないことが多いため、できるだけ選択肢をつけて聞くのが、手っ取り早いのである。

「食事していました。」

と、お母さんは答えた。

「食事をしていたときの娘さんの様子を教えて下さい。普段と変わりませんでしたか?何か怖がっていましたか?妄想に怯えているような仕草をしましたか?」

「いえ、それはありませんでした。普段と変わらないように見えました。」

お母さんは、そういうのだが、実はこれが大変難しいところであった。精神障害者は、普段と変わらないように見えても、実はそうではないことが多い。逆に妄想を口にするなどがあった方が、可視化できるからわかりやすいかもしれない。普段と変わらないから、不用意な一言でおかしくなるケースは非常に多いのだ。

「分かりました。じゃあ、食事をしていた様子を話してください。食べたものはなんですか?」

「今日は仕事が忙しくて、お昼を作る暇がなかったので、寿司をスーパーマーケットで買って食べました。」

と、お母さんは答えた。買ったものか

家族が作ったものかも精神障害には大事なことだった。意外に買ったもののほうが、精神障害には、良いようなきがする。

「分かりました。それでは具体的なことを伺います。食事をしていたとき、何をしていたのか、を少しずつ話してみてください。まずはじめに、誰と食事をしたのか、教えて下さい。」

「娘と二人で食事をしました。時間になりましたので、いつもどおり、天気予報を見ようとテレビをつけました。」

と、お母さんは、いった。素雄さんも、予測できるパターンに近づいてきた。テレビは、どこの家庭にも一台はある時代だが、本当に必要なのか、疑問に思うときがあった。

「はい、テレビをつけたんですね。何が映りましたか?」

と、素雄さんがきくと、

「はい、いつもどおり天気予報をやっていました。明日は、雨が降るようで、雨雲の予測とか、風の様子とか、放送していました。」

と、お母さんは答えた。

「それで、雨が降る確率を話していたとき、娘が突然怖いと叫びだしたので、私はまたかと思いまして、いい加減に馴れなさいと思わず言いました。そうしたら娘が、大声で泣き叫び、死にたいと言って、暴れました。」

事件の概要がこれでやっとつかめた。お母さんも、どうしたらいいのか、わからないという顔をしている。素雄さんは、とりあえず必要なことを言わなければならないと思った。

「まずはじめに、娘さんが暴れたり、テレビに対して過剰な反応を示したのは、お母さんの責任ではありません。それは、精神疾患であれば、誰でもなりますことで、育児に失敗したとか思わないでください。それをするなら、はやく他人を呼び出してください。」

素雄さんは、大体の家族がしてしまう間違いを言った。

「それで、娘さんはどうしていますか?もし、自殺のおそれがあるのなら、また別の手段を考えなければなりませんが。」

「ええ、自室に行っています。いまは睡眠剤と精神安定剤をもらっているので、それが効けばある程度は静かになります。」

薬は役に立たないと主張する人もたまにいるが、一時しのぎには役に立つものである。特に、恐怖を和らげるには良いものであると思う。だから、必要ないものではなかった。素雄さんは、医療用の注射をしてもらうことがもう少し恥ずかしいことでなくなれば、救われる人も、大勢いるとおもっている。違法薬物などではない薬物であれば、役に立たないことはない。逆に意思に関係なく作用してくれるのは、薬しかないのも、また事実なのであった。

「本当に一体何があったのでしょう。昨日まで明るくて、夏休みには、どこかへ行こうとか、そういうことを言っていた子が、急に死にたいと言い出すようになるなんて。」

ある意味これは、日本語の言語の問題かもしれなかった。日本語には、体調を表す語彙が少ないなと思うときがあった。ましてや、若い女性であれば、なかなか自分のことを言うのは難しいだろう。自己主張が強いタイプの人であればまた違うと思うが、大体のひとは、指示をされて動くしかない人間を良い人ということが多いので。

「大丈夫です。彼女がおかしくなったわけではありません。ただ彼女が感じたり認識したりする機能が病んでいるというか、他の人と違うだけの話です。例えば足が不自由で車いすにのる、それと同じことです。ただ、日本には車いすのような部品がまだないだけのこと。彼女と話をすることは、可能ですか?」

ここで初めて、素雄さんはこの言葉を使った。お母さんが素雄さんを呼び出したことを、娘さんは、お母さんに捨てられたと思い込んでしまう場合もある。これを利用した引き出し屋という商売もあるから、それとは区別しなければならない。当事者と話すには、まずはじめにその家族と、友好関係を作ることが必要であった。家族が、自分のような仕事をしている人を崇拝するような、仕草をみせたら、それこそおしまいである。

「ええ、幸い泣いているかもしれませんが、話すことは可能ではないかと思います。ですが、どうして、ああいうふうに怒鳴るのでしょうね。私の伝えたいことは何も伝わりません。」

「ええ、無理なことはむりです。家族にはできないこともあります。そういうときは、無理して伝えようとしないで、誰かに頼ってください。それが、ご自身のためでもありますし、娘さんのためでもあるんです。そうすれば、最近よくある事件も、少し減るのではないかと思います。」

これは通じるかなと思いながら、素雄さんは言った。結論から言ってしまえば、まさにそのとおりなのだ。なんでも自分たちなんて、できるわけがない。家族だって所詮人間の集まりであり、完璧な答えなど出せるはずがない。だから、他人に頼ってほしいとおもうのだけど、日本の、家族はそれをしない。

「分かりました。おねがいします。美栄子と話をしてください。」

幸いこのお母さんは、そのあたりをわかってくれているようだ。素雄さんは、それなら話せるかなと思い、お邪魔しますといって、部屋の中に入った。お母さんに美栄子さんの部屋を案内してもらった。

「失礼いたします。私、お母様によびだされました、吉田といいます。」

素雄さんは足を引きずりながら、美栄子さんの部屋に入った。部屋は一見するときれいにかたづけてはあるが、壁にはところどころ穴が空いていて、彼女の症状を語っていた。

「吉田さん?」 

美栄子さんは、布団の上に起きた。

「寝たままでかまいません。そうです、吉田ですよ。佐藤美栄子さん。お母様から、あなたの気持ちを聞きたいということで、呼び出されてまいりました。お母様が、あなたに怒鳴ってしまったことをとても後悔しているそうです。ですが、そのことを直にあなたには伝えられないので、私を呼び出したそうです。」

素雄さんは、そういった。

「そうなんでしょうか。母や他の家族はどうして私にできないことができるのでしょうか。私はなぜ、母や他の人ができることや、できなくてはいけないことができないのでしょうか?」

「いえ、お母様には、ご自身の気持ちを伝えることは、できません。それで、私が呼び出されたのです。それに、完璧になんでもできる人間などどこにもおりません。勉強ができたとしても、こうして私を呼び出すのであれば、誰でも同じことです。みんなできないことがあるから、餅は餅屋でできる人を呼び出してやってもらうのですよ。それに、善や悪をつける必要はありませんよ。」

美栄子さんの言葉に素雄さんは言った。

「そうでしょうか。人は人として基本的なことができなければ人ではないと言われたことがありますが。」

「学校の先生なんかはそう言いますが、それは、ありえない話ですよ。家を直すことだって、自分たちではできないではありませんか。誰かに助けを求めるのは、悪いことでもありません。」

素雄さんはできるだけ優しく言った。

「でも、母がいいかげんに生活になれるように言いました。だからできなきゃいけないんじゃないかと思います。それができない私は、やっぱりだめなんじゃないかと思います。」

「それもまた人間ですからね。鵜呑みにしてしまう必要はありません。できないからといって、犯罪者みたいになる必要もありません。例えば、普通の人には、トンカチ一つ動かすことさえできないじゃないですか。でも、人間って変な生き物で、時々トンカチを動かせるような気持ちになってしまうときもあります。多分きっと、そういうときというのはですね、完璧に良かったということはなく、誰か別の人が犠牲になった上でそうなったのだとおもいますが、それに気が付かないだけのことじゃないかと思います。もし、不条理なことを言われたら、ああまた言ってるな、位の気持ちで構えてください。その人だって、所詮、大したことはできませんよ。それは、誰でもそうですから。そう考えると、暴れる必要はございません。」

美栄子さんが、泣きながら言うことに、対し、素雄さんは、慰めるより事実を述べているような喋り方でいった。

「今日は、そうですね。一日、休みをもらいましょう。疲れ切った心には休ませる時間が必要です。決してタイムロスをしたとは思ってはいけませんよ。機械だって、長時間使い続ければ壊れるのと同じことです。お母さんと食事が苦痛なら別でもよいです。人間なんですから、いつも同じことはできませんよ。そう割り切って行動するのも大事なことです。」

基本的にお客さんが男性であると、この辺りで完結することがおおいのであるが、女性の、場合はそうはいかないことも素雄さんはしっていた。

「でもわたし、お母さんにしっかりしなきゃって言われたし、気にするなということが、どういう感覚なのか、私はわかりません。」

「そうですね、それなら、雨が降らないうちに外へ少し出てみましょうか?大丈夫です。大雨が降るとか、そういうことは、あくまでも予測に過ぎませんよ。」

女性の場合は、視覚的に切り離すのが必要なときがある。そこら辺は、いかに男女平等といっても、絶対平等にはならないような気がする。

「よし、少しあるきましょう。」

素雄さんにいわれて、美栄子さんは布団からたった。

そして、お母さんにちょっとでかけてきますと言って、素雄さんに言われるがままに、自宅を出ていった。

美栄子さんが道路をあるくと、外は曇りだった。素雄さんは、美栄子さんをバラ公園まで案内し、東屋に座らせた。

「いつごろから、感情が不安定とか、極端に恐怖を、感じるようになりましたか?」

素雄さんは、彼女にきいてみる。

「この間、関西の方で、大雨が降りましたよね。あのとき、盛んに報道されて、私は怖くなりました。」

美栄子さんは素雄さんの質問にこたえた。

「そうですか。たしかにテレビは必要のないことまで報道してしまいますし、帰って、有害だと思うことは私もあります。まあ、それを変えようとしても仕方ないのですが、あまり不安を煽るのも、良くないですよね。」

「ええ。スマートフォンさえあれば十分です。」

と、美栄子さんは言った。

「やはり感じ過ぎてしまう私が悪いのでしょうか?」

「いえ、そのようなことはございませんよ。ただ、そのせいで生活に支障があるのが問題です。そこは、足の骨が折れてしまって治療が必要なのと同じことですから、精神科で薬をもらいながら、ヒプノセラピーとか、カウンセリングとか、そういう、専門的な知識がある人にお話したほうがいいですね。」

素雄さんはやっと、アドバイザーらしいセリフを言った。

「そういうところって、怖くありませんか。世間体が悪いとか。」

これまた、日本人の、悪いところというか、直さなければならないところでもあった。足を骨折したのに、世間体もなにもないのに、なんで精神関係は、世間体が悪いというのだろう。

「大丈夫です。セラピーやチャネリングは、何も怖いものでもないし、悪いものでもないですよ。足のリハビリとおんなじだと思っていただければそれで構わないですよ。」

素雄さんは、ちゃんと、アドバイザーらしく言った。

「それに、治療に問題がありましたら、私に言ってくれれば、大丈夫です。治療者の意見は絶対ではないときもあります。」

素雄さんのような人は、医療コーディネーターのような存在だった。体の具合が悪くなり、難しい手術などが必要になる場合、医療コーディネーターに相談に行くこともあるだろう。素雄さんの、メンタルケアアドバイザーというのは、患者さんをセラピストや、精神科医などに引き渡す仕事である。決して引き出し屋ではない。

「大丈夫ですよ。決して悪いようにはいたしません。そんなことをしたら職務怠慢。それは、しませんから、責任をもって、治療者を紹介いたします。」

「ありがとうございます。」

美栄子さんは、やっと嬉しそうな顔をしてくれた。それと同時に、空が暗くなってきて、いかにも雨が降りそうな感じになってきたので、

「じゃあ、お家に戻りましょうか。お母様に笑顔で戻りましょう。きっと、あなたのことを心配しているはずです。」

「はい。」

素雄さんがそういうと、美栄子さんも嬉しそうな顔をして、東屋を立った。二人はもと来た道を帰って自宅に戻った。美栄子さんはお母さんに、自分は極端すぎるから、精神科などで見てもらいたいというと、お母さんは、それを待っていたかのようで、にこやかに笑って許可してくれた。

ここまでが、素雄さんの本日の、業務であった。美栄子さんもお母さんも、1000円では申し訳ないといったが、素雄さんは、それしか受け取らなかった。

「では、私はこれで失礼しますが、何かあったらいつでも、相談に乗りますので、お電話するなりしてくださいね。」

素雄さんがそういうと、

「ありがとうございました!」

美栄子さんも、お母さんもにこやかにいった。

「いいえ、お二人が、よくなってくださることをいのって、おります。」

素雄さんは、動けない足を引きずり引きずりしながら、美栄子さんの家を出ていった。

素雄さんは、そのまま、富士駅に向かった。本日は大掛かりなアドバイスだったため、少し休みたかった。駅の、カフェに入って、コーヒーを飲んでいると、

「よう、素雄さん、元気かい?」

いきなり声をかけられて、振り向くと杉ちゃんだった。

「ごせいがでますね。こんなお天気が悪いのに、仕事だなんて。」

一緒に来ていたジョチさんが、コーヒーを隣のテーブルに、置きながらいった。外を見てみると雨が降っていた。

「もう雨ですか。この時期には必ず雨がふりますね。菜種梅雨というのでしょうか。本当に不便な季節になりますな。」

素雄さんがそういうと、

「でも、素雄さんによって、晴れにしてもらったひとはたくさんいるのでは?」

と、杉ちゃんに言われてしまった。

「しかし、よく、やりますね。メンタルケアアドバイザーなんて。そんな人の繊細な部分を扱う仕事なんて、僕にはできません。何かきっかけが、あったんですか?患者を、医療者や、チャネリングと引き合わせる仕事。」

ジョチさんが、そうきくと、素雄さんは少し考えて、

「そうですね。誰にでも幸せになってほしいからやるのではないでしょうか。」

といった。

「誰にでもできるもんじゃないよ。素雄さん、日本一かっこいい!」

杉ちゃんがお世辞を言うと、

「かっこよいなんて、そんなことありませんよ。引き出し屋に間違われたり、クライエントさんに信じてもらえなくてすごすご帰ったこともあります。人間は、不完全ですから。ときには誤解で怒ったり八つ当たりしたりもします。それを肯定してあげないと、このしごとはできません。」

素雄さんは、小さい声でいった。

「そうでしょうね。たしかに引きこもりをむりやり矯正施設に連れて行くのを正義と思う援助者は多くいますよね。でも、そうじゃないってはっきり言えるのは、すごいことじゃないかなと思いますよ。頑張ってください。」

ジョチさんにそう言われて、素雄さんは、思わず苦笑いをした。

外は雨だった。菜種梅雨から、本格的な梅雨にかわるのも、遠くなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

菜種梅雨 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る