無信仰者は祈らない
第2話 三つの神理(しんり)
白い空間が広がっている。広い世界にはなにもない。まるで漂白された海中のような、空間や時間という概念すらない、そんな場所。
そこに一つの魂がいた。生まれる前の状態なので自分が誰かも分からない、体もないので目も耳もない。そんなぼんやりとした意識が辺りを漂う。
「ようこそいらっしゃいました。はじめまして。わたくしは人々が住まう世界、天下界(てんげかい)の案内を務めさせていただいております、名もなき案内人にございます」
そこへ声が掛けられた。正確には声ではないのだろうが耳がなくてもなにを言っているのか分かる。
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね。この世界には神が住まう天上界(てんじょうかい)と人々が住まう天下界があります。そしてここはその中間、輪廻界(りんねかい)になります。あなたにはこれから天下界に行っていただくのですが、人として生まれ祝福されるその前に選んで欲しいものがあるのです」
人として生まれる前に選ぶもの、それはいったいなんだろうか。
「選んでいただきたいものとは、あなたが天下界で生きていく際の『神理(しんり)』、要は信仰になります」
人として生まれる前に選ぶもの。神理。神の理(ことわり)と書くもの。
「輝かしい誕生を前にして言いにくいのですが、人生とは幸福ばかりではございません。ですが人生の苦難に立たされた時、あなたの信仰が道を示してくれるでしょう。これは親や環境に左右されることなく、自分の意思でどの神理を信仰するか選択できる配慮なのです。あなたが選び、あなたが生き方を決めるのです」
何を信仰するか。それは生き方にとても影響してくる大事なことだ。習慣も、食事も、それは結婚まで関わってくるだろう。信仰に人生を左右されると言っても過言ではない。しかし、その大事なことを親や環境によって決められてしまったら? それほど不公平なことも不幸なこともない。これはそうしたことがないよう配慮したことのようだ。
「よろしいですか? では、どのような神理があるのかご案内をさせていただきます。天上界(てんじょうかい)には三柱(みはしら)の神がおり、選べる神理も三つとなっております」
人生が始まる前の、最初の選択だ。
「第一の神理は、苦しんでいる者を皆が助ける思想。皆は一人のために。一人は皆のために。誰もが相手を助け思いやることで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」
それが第一の神理――慈愛連立(じあいれんりつ)。
「第二の神理は、己を鍛え強靭(きょうじん)な肉体と精神を身に付けることにより感じる苦痛を無くす思想。誰もが強き者となることで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」
それが第二の神理――琢磨追求(たくまついきゅう)。
「そして第三の神理が、己の内から苦痛を無くす思想。欲を捨て物事を達観することで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」
それが第三の神理――無我無心(むがむしん)。
説明された三つの神理に魂は考える。
「これらが選べる三つの神理となります。あなたに合った神理はどれでしょうか。どれも方向性は違えど、きっと役に立ってくれるはずです」
重要な選択なだけに答えに迷うが、魂は決断したようだ。
「お決まりになりましたか? 分かりました。それではこちらへどうぞ。これから天下界へと降りていただき、あなたの誕生となります。あなたの物語が始まるのです」
魂は導かれ引き寄せられていく。まるで自身が落下していく感覚に襲われた後、肉体を得た実感と共に誕生の産声を上げる。
「オギャア! オギャー!」
こうして天下界にまた一つ、新たな命が生まれたのだった。
「それでは、いってらっしゃいませ。あなたの人生に幸多きことを」
人生の、始まりだ。
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