第20話

 そして、舞踏会当日——。


 もちろん、出席を断ることはできた。舞踏会の誘いは、強制ではない。王家と各貴族家の力関係は思いのほか複雑で、貴族は王族に対して絶対服従というわけでもない。逆に王族側が有力貴族の顔色を覗うこともあるくらいだ。だから――ジュリアス殿下からの求婚を拒絶するのであれば、そうすべきだった。この舞踏会に出たら『ジュリアス殿下の意中の令嬢』として認識されることになる。そうなればもう逃げられない。逃げようとしても外堀から埋められることになる。


 しかしなぜか、そういうつもりになれなかった。


 ドレスは自分で選んだ。ジュリアス殿下の色、ラベンダー色のドレス。大粒のエメラルドをあしらった貝細工の髪飾り。真珠のイヤリング。サファイアの指輪。猫目石の指輪。オニキスの腕輪。化粧もバッチリ。うん。完全武装ね。


 中の上に過ぎないわたくしでも、これだけ着飾れば美女に見えるのだから不思議だわ。


 ジュリアス殿下は、確かに結婚相手としては申し分ない。政略結婚として考えるなら、凡庸な容姿のわたくしにはこれ以上の殿方は望めないのだろう。


 それでも迷いがあるのは、やはりジュリアス殿下に対いて抱くこのぼんやりした気持ちが『異性に対する好意』であるかわからないからだろう。


「ねえメグ」


「なんでしょう」


 わたくしを飾り立ててご機嫌なメグに、わたくしは問いとも言えない問いを投げかける。


「恋、とはどんなものかしら?」


「それは、人それぞれ形が違いましょう」


 おずおずとしたわたくしの問いに、メグは迷いもなくそう答えた。


「人それぞれ」


「ええ。熱く燃え上がるような恋もあれば、春の陽だまりのような恋もありましょう。あるいは、足を踏み入れたら抜け出ることの敵わない底なし沼のような恋も。ですから、恋が何か――と問われると、一概にこうであるとは申し上げられませんわね。ただ――」


「ただ?」


「ただ一つはっきり申し上げることができるのは、恋とは『始まり』に過ぎないということでございますわ」


 それまで鏡に向かっていたわたくしは、体ごとメグの方に向き直る。


「男女が――淑女同士、殿方同士の場合もありましょうが――出会って、恋に落ちるというのは始まりに過ぎないと言うことです。その泡沫の如き胸の高鳴りを真実の愛だなど抜かす輩もおりますが、それはほんの一時のこと。そんな二人が結ばれ、永遠に愛し合い続けるのはとても難しいことです。そうでなければ、どうしてこの世の中に離縁する者や、他の異性に目を奪われる者がおりましょうか」


 それは、その通りだ。激しい胸の高鳴りが真実の愛ならば、この世に不倫も離縁も存在はしないでしょうね。


「恋など、必要ありませんわ。愛へと一足飛びに進んでおしまいなさい。大切なのは、これからの長い時間を、その方と共に歩んでいけるかどうかではございませんか?」


「長い時間を一緒に歩んでいけるか……」


 結婚と離婚、両方を経験しているメグの言葉には含蓄がある。


 うん、さすがわたくしの信頼する侍女ね。わたくしも腹を括ることにするわ。


 ジュリアス殿下とお話しするのは居心地がいい。高貴な方であるのに構えずにいられるし、向こうも女性嫌いであるのにこちらに対して構えていないのを感じる。


 きっと、あの方となら。


 そんなわたくしの思いに水を差すのは当のメグである。


「それにこの機会を逃したら、お嬢様は一生ご縁に恵まれない気がいたします」


「ちょっとメグ? さすがに失礼じゃない?」


 わたくしが侍女にじとっとした目を向けると、部屋の扉がトントン、と軽くノックされた。


「王家からの馬車――ジュリアス・クリスティアン・グリトグラ殿下がお迎えにいらしておられます」


 ついに、来た。準備が間に合ってよかった。


 わたくしは大きく息を吸い込むと、はっきりとした声で言った。


「すぐに参ります」

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