第13話

 セルマ女史に案内されて、わたくしたちはカチュア殿下の部屋の前に通された。

 

 そこは西風の宮の中でも特に寂しい一画だった。他の場所と比べて、明らかに手入れが行き届いていない。他の場所では季節の花が生けられていたが、ここでは花が生けられているどころか、埃がたまり、蜘蛛の巣が張っている。メイドたちがカチュア殿下の部屋の前だけ、掃除をしていないのは明らかだ。


 わたくしは屈んで、床の埃を人差し指でつつとなぞる。それからふー、と人差し指に息を吹きかけると、結構な量の埃が中空に舞い散った。


「メイドたちの仕事は、随分丁寧なようですわね。指示は誰がなさっているのかしら」


 わたくしがそう言うと、つかつかと一人の中年女性が進み出て来た。


 眼鏡をかけた厳めしい表情の中年女性。明らかに水属性とわかる青みがかった黒髪と青い瞳。金縁のモノクル。


 情報にあったメイヴェル・ワークス伯爵夫人だろう。元々侍女として勤めていた方で、子供に手がかからなくなったからという理由で王宮に戻り、カチュア様付の侍女頭になったとのこと。


 ただこの情報……少し引っかかる点がある……。


「指示はわたくしがしております。使用人たちの安全に配慮をしてのことでございますわ。ご存じの通り、カチュア様は頻繁に魔力を暴走させますので」


「あら、メイヴェル伯爵夫人。それはあなたがたのお仕事ぶりに不足があるからではなくて? 貴き方が心安らかに過ごせるよう配慮するのも侍女として使える者の務めだと、わたくしは存じておりますが」


 わたくしの直截な物言いにメイヴェル夫人はピキリときた様子だったが、すぐに持ち直す。


「もちろん、わたくしども侍女一同、カチュア殿下が心安く過ごせるよう誠心誠意尽くさせていただいておりますわ。ですがそれに主たる方が応えてくださるかはまた別の話でございますもの」


「なるほど。よくわかりました」


 わたくしが頷くと、メイヴェル夫人は勝ち誇ったような顔をした。


 それを見たわたくしは、優美な笑みを浮かべて言葉を続ける。


「あなたがたが無能で、いくら話を聞いても無駄だと言うことが」


 挑発的なわたくしの言葉にメイヴェル夫人の顔色がさっと朱に染まる。


「無能なあなたがたでも話は聞いてらっしゃいますわよね? 今日からわたくしたちが、カチュア殿下の家庭教師およびご学友として王城に上るよう、王命が下っていることは」


「――伺っております。どうぞ、お部屋にお入りください」


 挑発はさすがに通じなかったようだ。この様子だとメイヴェル夫人は白——かしらね。言動からしてカチュア殿下に対する忠誠心や愛情がないのはわかるし、侍女頭として不適格なのは確かでしょうけど。


 メイヴェル夫人は戸をノックし、


「カチュア殿下。新しい家庭教師とご学友をお連れしました」


と部屋の中に声をかける。すると——


「お連れして」


 と、意外に落ち着いた声が返ってくる。——やはりおかしい。聞いた話ではカチュア殿下は手が付けられないほどのひどいかんしゃく持ちであったはず。シェリーも多少かんしゃくはあるが、元々落ち着きがないし——嫌な予感がするわね。


 わたくしは小さな声で後ろに続くシェリーとユージンに声をかける。


「二人とも、わたくしの後ろから離れないように」


 シェリーとユージンには状況を説明してある。シェリーは魔力暴走を何度か引き起こしているから、その危険性も身をもって理解しているはずだ。


 扉が開かれると、そこには一人の侍女と、恐ろしく美しい少女がいた。緑がかった金髪と翡翠色の瞳は、強い風属性の魔力を持つことを示している。侍女の髪の色は臙脂色。こちらはおそらく火属性だ。右耳にルビーのイヤリングを付けている。銀色に輝くイヤリングの材質は——銀でも白金でもない。おそらくミスリルだ。


 わたくしたちの姿を見ると、緑の髪の美少女——カチュア殿下は深々とため息を吐いた。


「新しい家庭教師もお友達もいらないと、お兄様には言伝をいたしましたのに——」


 カチュア殿下が言葉を発したのと同時に、侍女がルビーの耳飾りに触れたのが見えた。


(——あれはやっぱり……)


「あなたが魔法を教えてくださる家庭教師ね。まあ、お母様と同じ、素敵なくろか、み——」


 そこまで言うと、カチュア殿下の表情がみるみる内に変わっていく。これまでのどこか達観した落ち着いた表情から——怒りを通り越した憤怒の形相へ。


「——家庭教師なんていらない! お友達もいらないわ! もう、うんざり! 誰もわたくしを見てくれない! わたくしの視界から消えなさい!」


 わたくしは素早く呪文を詠唱する。


「闇よ! 深遠に沈みしものよ! 魔力を打ち消せ! 『魔法消失アンティ・マジック』!」


 一瞬カチュア殿下の体から風が吹き出すが、わたくしの闇魔法によって暴走した風の魔力が打ち消される。床を蹴りながら、わたくしは続けざまに呪文を唱える。


「闇よ! 深遠に沈みしものよ! 彼の者に安らぎをもたらせ! 『沈静化トランキリティ』!」


 カチュア殿下が茫然と膝を突いたのを横目で確認しながら、部屋の中にいた侍女の腕を掴み、その体を地面に押し付け、しっかりと関節を極めた。


「な、何を……王宮でこのような騒ぎを起こして、許されるとでも」


 床に顔を押し付けられた侍女が、苦し紛れにわたくしを脅しつける。だが、知ったことではない。こちらはジュリアス殿下と国王陛下のご下命で動いているのだ。


「許されるかどうか、ご心配なさるのはあなたの方ではなくて?」


「あっ」


 わたくしは侍女からルビーのイヤリングを取り上げた。


「これは魔道具ですわね? ルビーが使われているところからすると、火属性の、それも極めて強力なもの」


「さあ、なんのことだか——ぎぃっ」


「や、やめて! エリアルは悪くないのよ、わたくしがきちんと魔法を扱えないのが悪いの!」


 わたくしがヒューストン流の格闘術で侍女——エリアルの関節をぎっちり極めているのを見て、立ち上がったカチュア殿下が慌てて止めに入る。


「カチュア殿下のご下命と言えども、それは承服できかねます。殿下の周りに入り込んだ『虫』を見つけ出すことは、国王陛下とジュリアス殿下から与えられた使命にございますれば、カチュア殿下のそれよりも優先されます。メイヴェル夫人」


 わたくしは部屋の外で見ていたメイヴェル夫人に水を向ける。


「何でございましょう」


「侍女がこのような宝飾品を身に付けることは、王宮の規定で許されておりますの?」


 メイヴェル夫人は少し躊躇った後、苦い顔で答えてくれた。


「——場合によります。主人より地味なものであれば許可されますが、基本的には高価なものですし、紛失や盗難の可能性を考慮して身に付けないのが慣例となっております」


「カチュア殿下は宝石のついた宝飾品を身に付けてらっしゃいませんわね」


「おっしゃる通りです。エリアルの振る舞いは、服務規程違反。本来なら一週間から三週間の謹慎となります。ただ例外がありまして——」


 そこまで言って、メイヴェル夫人は言いよどむ——。


「正直に仰って。あなたやそのご家族に害が及ばぬよう、国王陛下やジュリアス第二王子殿下に、わたくしからもしかと進言いたしますわ」


 そう言うと、メイヴェル夫人は大きく息を吸い込んで、そして言った。


「その侍女——エリアル・エイジー男爵令嬢は、元々エイプリル第二王妃殿下お気に入りの侍女でした。そのルビーの耳飾りは、エイプリル殿下にお仕えしていた時に下賜されたものと伺っております。侍女や女官にとって、主人の持ち物を下賜されることは大変な名誉。勲章のようなものですから、これについては多少華美なものであっても、身に付けていても服務規程違反にはなりません」


「なるほど。エイプリル殿下に下賜されたものと——」


 わたくしは視線を下げ、抑え込んでいる侍女エリアルの様子を確認する。彼女は顔を真っ青にして、がちがちと歯を鳴らしている魔法との親和性が高いミスリルを使っていたことからしても、この耳飾りはかなり精度の高い魔道具。その出所がエイプリル第二王妃殿下であると知られてしまった。


 そして何より、自分がカチュア殿下に魔法をかけた実行犯であることも知られてしまったのだ。


 魔道具に込められた魔法についてはアカデミーに戻って分析する必要があるが、王族に害ある魔法をかけたとあれば不敬罪どころか反逆罪が適用される。そうなれば本人どころか一族連座で縛り首だ。お家も取り潰しになるだろう。


 とはいえ彼女にも何か事情がありそうではあるが——法律ばかりは国王陛下のお力を以ってしてもどうにもならないところがある。


 わたくしは気付かれないようため息を吐くと、部屋の外にいるメイヴェル夫人に声をかける。


「メイヴェル様。ジュリアス殿下と衛兵を呼んでください。侍女エリアル・エイジーを拘束いたします」


「ッ! 承知いたしました!」


 メイヴェル夫人が素早く周囲の侍女に指示を出す。侍女が素早く離宮の外へ向かって駆け出していった。ジュリアス殿下と衛兵がやってくるまで、それほど時間はかからないだろう。

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