第8話
「先触れを出したジェフリー・ヒューストンだ」
店内に入ったジェフリーは、威厳のある声と態度で店員にそう告げた。まだ少年期の声で体付きではあるが、その体から放たれる覇気は人をまとめる貴族としての才能が満ちていることを表している。
「お待ちしておりました」
にこりと慇懃笑みを浮かべた男に、わたくしたちは商会の応接室に通される。メグとジャスパーは付いてくるが、護衛騎士二人は外で待機。ちなみに、わたくしたちは武器を持ち歩いていない。ジェフリーは氷魔法で剣を作り出せるし、わたくしの特技は徒手格闘と無詠唱魔法による相手の殺害、ないし無効化だ。魔力が底を突きさえしなければ、自分の身は自分で守れる。
応接室では、髭をたっぷり蓄えた壮年の男性がソファに座っている。テーブルにカップが並んでいるところを見ると、すでにお茶の準備は済んでいるらしい。
「ごきげんよう。今日は「よそいき」のドレスをいくつか仕立ててもらおうかと思って」
わたくしが淑女の礼をとってからそう言うと、壮年の男性は目的を理解したようでにこりと微笑んだ。ちなみに目の奥は笑っていない。
「ヒューストン侯爵家直々の御依頼とあれば、我がスチュアート商会も全力を尽くしましょう。茶会用と夜会ようのドレスが数着と言ったところですかな?」
顎ひげをいじりながら言ったスチュアート会長に、わたくしは小さく頷いてから答える。
「お茶会用のドレスと夜会用のドレスをとりあえず三着、お願いできるかしら」
「期限は?」
「三週間以内にそれぞれ一着ずつ仕立てていただければ問題ない。ジュリアス殿下とのお茶会の予定があるので、お茶会用が最優先。夜会にもできるだけ早く出席いただきたいので、最低でも二着。後の二着は——できるだけ急いでほしくはあるが一か月から二か月程度と言ったところだな」
ジェフリーが言うと、スチュアート会長は頷いた。
何か今不穏な言葉が聞こえたような気がするが、気のせいか?
「よろしゅうございます。急ぎの注文となると料金が多少かさみますが」
「質が落ちさえしなければ、料金が多少増えても構わない」
そこでジェフリーがわたくしの方をちらりと見た。わたくしは小さく頷く。
ヒューストン家では子供たちそれぞれに生活や社交のための予算が割り振られている。今までわたくしはそれを友人との外食や書跡の購入などに宛てており、実を言うとかなりのたくわえがあるのだ。少し割高になったところで問題はない——というか、侯爵家の予算として正式に計上されることになるので、わたくしの懐がいたむことはあり得ないのだが。
「では会長、いくつか生地のサンプルを見せていただけませんでしょうか」
わたくしがそう口に出すと、出されたお茶に口を付ける間もなく、別室へと案内された。
***
「漆黒の髪——とても手入れが行き届いておられますね。けれどこの髪色に負けない色味の生地があるかしら」
採寸をしながら、店員の女性がそんなことを呟く。他国はどうであるかは知らないが、闇属性を示す黒髪の持ち主は珍しい。国民の大半が大なり小なり魔力を持ち、その魔力は髪や瞳の色として現れる。
わたくしの髪は真っ直ぐに長くのび、光を反射すると艶やかな光沢を放つ。侍女による日々の手入れの賜物だ。侍女が髪の手入れをしている間、わたくしは大抵居眠りをしていたりする。侍女は何も言わないが、たぶん諦めているのだろう。
うーん。自分に何が似合うかと言われても、あまり考えたことがないのよね。
「失礼だが、生地のサンプルを見せてもらえるだろうか」
口を挟んだのはジェフリーである。普通は殿方こういう場に殿方にいることは珍しいのだけど、ジェフリーはその容姿と社交界での評判、ヒューストン侯爵——お父様の名代として先触れを出していたこともあって特別に入室を許されている。
店員の女性から察しを受け取ったジェフリーは、素早く目を通すと、わたくしの方に視線をやりながら、いくつかの生地を指さして、女性店員に持ってくるように命じた。
女性店員は頷くと、二十反ほどの生地を持ち出してくる。——ジェフリー、あの一瞬でそれだけピックアップしていたの? それを瞬時に覚えられる店員もすごいわね。令嬢の間で評判になるわけだわ。
「姉上、まず夜会用のドレスの生地を選びましょう。エミリー嬢、青系の布地を」
あれ? 店員さんの名前を知っているの? ――ジェフリーのことだから事前に下見に来たのかも知れない。その上で優秀な店員がつくように根回し……あり得る。十分にあり得る。
「姉上、青と言ってもこれだけの数がございます。姉上にお似合いになりそうなものをいくつか見繕いましたが、お好みのものを選んでいただければ」
目の前には四つの布巻がある。どれも『青』にしか見えない。
「違いが判らないのだけれど」
この中から選べと言われても困ってしまう。わたくしは眉根を寄せて首を捻った。
「ふむ――この瑠璃に近いシルクなど、姉上によくお似合いになると思うのですが」
わたくしがファッションに疎いことはジェフリーも十分理解している様子で、とくにそこには触れずに、青い布地の一つを取り出して、わたくしの体に宛がった。
「やはりお似合いです。エミリー嬢、取り急ぎ、この布で姉上のドレスを仕立てるよう手配してくれ。装飾は——布地の縁に金糸と、クリスタルガラスをいくらかちりばめてくれ。細かいデザインは任る」
「承知いたしました」
「ね、ねえ。金糸とクリスタルガラスだなんて、少し派手すぎないかしら?」
わたくしが慌てて口を挟むと、エミリー女史がにこりと微笑んで答えた。
「そのようなことはございません。失礼ながら、ブリジット様はお化粧映えのするお顔立ちでいらっしゃいます。紅をひいた女性が地味な服装をしていると、お顔か服のどちらかが浮いてしまいます。それにブリジット様は上背も高く、所作も洗練されておりますから、大抵の服は着こなせますでしょう」
そ、そうかしら……。営業トークに騙されているような気がしてならないわ。確かにあまりお化粧をしないのは事実だけれど……。
「姉上、次は赤です」
ジェフリーが次に持ち出してきたのは鮮やかな赤の布地だ。かなり発色がよく、派手に見えるくらいだ。
「え、これはちょっと色味が明るすぎないかしら?」
「夜会では派手を通りこして下品な服装の女性もいらっしゃいますよ」
今『下品』って言い切ったわね、この子……。
「ご安心ください、当商会では、そのような服作っておりませんので」
ジェフリーの言葉を受けて、エミリー女史がにっこりと微笑む。鍛え抜かれた営業スマイルが眩しい。
「こちらは元の布地の色が強いので、無駄な装飾は不要だろう。できるだけ簡素なデザインに仕上げてくれ。刺繍は銀糸によるものを、布地の色を引き立てる程度で構わない。メグはどう思う?」
「坊ちゃまの仰せのようになさるのがよろしいかと」
「御意に」
メグが追従し、エミリー女史が頷くと、ジェフリーは続いて紫の布地を手に取る。
「紫は種類が少ないのだな」
「染料が高価なものですから、どうしても種類は少なくなりますね。布地自体も高価になります」
少し悩んだジェフリーが手に取ったのはラベンダー色の布地だった。それをわたくしに宛がうと、満足気に頷く。
「お嬢様には青や紫がお似合いになるようですわね」
と、メグ。心なしかいつもより楽しそうだ。そうね、わたくしが買い物って言ったら書店に立ち寄るだけだものね……。
「この布地は多少時間がかかっても良いので、しっかり仕上げてほしい。金糸や銀糸による刺繍とクリスタルガラスをふんだんにあしらうように」
「ちょ、ちょっと、さすがに派手過ぎないかしら?」
「姉上、ベラ夫人もおっしゃっていたではありませんか。社交の場においてドレスは鎧、宝飾品は武器だと。華美なくらいでちょうど良いのです。姉上はデビュタント以来社交の場にほとんど姿を表しておられなかったのですから、地味な服装では我が侯爵家が侮られます」
ジェフリーの言葉にエミリー女史も頷く。
「ええ。地味過ぎてもいけませんし、ご婦人がたの持つ美しさを損なうような派手過ぎるものであってもいけません。ですがどうぞ、ご安心ください。ブリジット様にお似合いの、素晴らしいドレスを仕立てて見せますわ」
それからお茶会用のドレスの布地を選んだ。これもわたくしには微妙な色味の違いがよくわからず、ジェフリーに任せきりになった。アイボリー、グリーン、ブルーの三色。直近のお茶会にはグリーンのドレスを着ていくことになるらしい。
淡い色味がわたくしに似合わないという認識はジェフリーもエミリー女史も同じなのね。なんだか微妙な気分だわ。
ジェフリーは刺繍用の糸やもこもこした生地を買っていたようだけど、弟の数少ない楽しみなのだし、そこについてはそっとしておこう。
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