第9話
さて、続いてやってきたのは宝石店だ。バタール島にはエメラルドを産出する鉱山があるから、エメラルドを身に付けるのは決定事項としても、それだけでは足りないだろう。
「ねえ、ジェフリー……いくつくらい宝飾品を買うつもりなの」
「最低でも十個ですかね」
十個! 十個と来たか……。
わたくしが言葉を失っていると、ジェフリーがじろりと視線を向けてくる。
「その年になって宝飾品の一つも持っていない姉上がおかしいのですよ。いずれ母上が手持ちの装飾品をお譲りになることもありましょうが、基本的には僕の妻となる方にお譲りになるはずです。仮にも侯爵家の財産を、易々と外部に持ち出せませんからね。ですから、姉上個人の宝石を持っておくのは必要なことです。嫁ぎ先で何かあった時、売りに出せばお金にもなりますからね」
ジェフリーの言うことはまったくの正論である。
「ジェフリー坊ちゃまの言う通りですよ、ブリジットお嬢様。お館様も何らかの形で資産を譲っておきたいとおっしゃっていました。直接お金をお渡しても、書物に使うだけだと、嘆いておいででした」
ジャスパーがそう言うと、何も言い返せない。いずれ嫁に出る娘に資産を譲る方法は限られている。お金は支度金という形で手渡される。王国においては他家に嫁いだ娘に財産や領地の相続権はない。その点で宝石やドレスは、女性が所有できるもののなかでかなりの資産になる。馬車が止まる。この宝石店ならわたくしも名前は知っている。ヒューストン侯爵家がエメラルドを卸してしている王都でも著名な超高級店だ。
当然警備も厳しく、入り口の前には槍を手にした宝石店の私兵がぴしっと起立している。剣でなくて槍なのは、「その気になればいつでも刺し殺せるんだぞ」という示威行為だろう。おそらく、
「価格については、姉上が気にされる必要がありません。エメラルドを卸している我が家の機嫌を、あちらも損ねたくはないでしょうから、足元を見られる心配はないでしょう。ジャスパーやメグも、こうした高い買い物をする時のために知識を持っています」
ジェフリーが言うと、メグとジャスパーは力強く頷いた。実際、ガラス玉を高価な宝石であると偽って販売する詐欺師は珍しくない。商売は信用が第一だが、それでもそのような詐欺をしかける商人はいるのだ。
だから宝石のような高い買い物は信用のおける商店で行うべきだし、それでもふっかけてくる可能性はある。買い取りや売却の価格交渉に相当な時間がかかることも多い。
ただ今回ジェフリーは「最低でも十個は買う」と言っているので、価格について譲歩を引き出せる可能性はかなり高い。
わたくしたちは馬車を降りる、と——また奇妙な視線を感じた。
振り返っても誰もいない……。
「どうかなさいましたか、お嬢様」
「何か視線を感じたのだけれど……気のせいだったみたい」
「護衛騎士に探らせましょうか?」
「いいえ、下手に相手を刺激したくないし、もうしばらく様子を見ましょう。特に悪意を感じるわけではないし……」
わたくしとメグは、小さな声で言葉を返す。
ジェフリーがこちらをちらりと見て訝し気な顔をしたが、ひとまず追及はしないことにしたらしい。後をつけられている……なんてジェフリーが知ったらひと騒ぎ起きそうだものね。聞かれていなくてよかったわ。
「先触れを出したヒューストン侯爵家のジェフリー・ヒューストンだ」
ジェフリーの名乗りに衛兵の背がぴしっと伸びる。
「ジェフリー様とブリジット様ですね。お待ちしておりました。主人が応接室におりますので、奥にお入りください」
例によって護衛騎士ふたりは外で待機。ジェフリーを先頭に、わたくし、メグ、ジャスパーの順で店内に入る。店内はかなり豪奢に——要するに金ピカである。まさか純金ではないだろうから真鍮かメッキだろうけれど、それでも豪奢に見えることに変わらない。
女性たちの視線は主にジェフリー、たまにジャスパーに向けられている。ジャスパーは少し粗野な感じがするけれど、美丈夫ではあるのよね。口を開かなければ。ええ、口さえ開かなければ。
応接室に通されると恰幅のいい壮年の男性が出迎えてくれた。我が家の立場を考えれば、おそらく商会長。傍らには秘書らしき中年女性。男性が宝石を付けることもないわけではないが、宝石商の顧客は大抵女性だ。女性を相手にするならば、同じく女性が商会側にいるとご婦人たちは安心して買い物ができる。くわえて、男性から「最近女性たちの間ではこれが流行っている」と言われても信用できないが、女性から同じことを言われるとかなり印象が変わってくる。
そういう意味で、この商会はうまくやっているのだろう。
「ようこそ起こしくださいましたな、ジェフリー様、ブリジット様。今日はブリジット様が身に付けられる宝石を選ばれるということで、当商会を選んでいただいたこと、光栄でございますぞ」
「いや、そちらとは今後とも懇意にしていきたいからな。まずはここに足を運ぶべきだと思ったのだ。納得のいく品がなければ他の店に行くが、そんなことはあり得ないだろう?」
「ええ、もちろんでございますとも」
ジェフリーの言葉に恰幅のいい商会長は快活な笑みを浮かべると、ベルを鳴らして使用人を呼び出す。使用人がやってきたら、ただちに商品を持ってくるように申し付けた。
宝飾品は高価だから、普段は鍵のかかった専用の部屋に厳重に保管されているのが普通だ。ガラス玉やメッキ細工で作ったサンプルを店頭に並べている店も、ないではないけれど、高級店であるこの店は違う。
「現在のところ、すぐにお持ちできるのはこちらですな。大粒のものなど、高価なものについては銀行に預けております。模造品であればご用意できますが、いかがなさいますか」
「お願いできるかしら?」
わたくしがそう言うと、商会長は再び使用人に指示をだした。模造品も含めれば、商品の数はかなりの量である。
さっきはジェフリーに主導権を完全に握られていたから、ここはわたくしが頑張らなければ。姉として。そう、姉として。幸い魔法には宝石を利用する場合もあるから、宝石の知識はあるのだ。
わたくしは目の前に並んだ豪華な宝飾品の数々を慎重に吟味する。
指輪、首飾り、耳飾り、髪飾り——最低限でもこれは必要よね。腕輪は——あればなおよし、というところかしら。材質は、財産として取り扱うなら金が一番良いのでしょうけど、侯爵家から予算が出るのなら白金をいくつか購入してもいいかも知れない。
バタール領はエメラルドの産地だから、社交界にはエメラルドを必ず身に付けて行かねばならないでしょうね。それを抜いた3つないし4つで1セット。3セットくらい購入すればジェフリーも納得してくれるかしら。
「このオパールの耳飾り、着けて見てもいいかしら」
まずわたくしが目を付けたのはオパールをあしらった金の飾りだ。光の角度によって輝きを買えるオパールは、わたくしの黒髪にも負けない輝きを放っている。
「メグ、髪を上げてもらえる?」
「かしこまりました」
メグに髪を後ろでまとめてもらい、わたくしはオパールの耳飾りを身に付ける。オパール自体はさほど大きなものではないが、金細工は蝶を象ったもので、かなり腕の良い細工師が手掛けたものであることがわかる。
「素敵だわ。どこで作られたものなのかしら」
「王都に腕の良い金細工師がおりまして、その者に作らせました」
「なるほど。我が家のエメラルドもその方に是非取り扱っていただきたいわね。他にもその方が手掛けた品はあるの?」
「はい。例えばこちらのルビーの指輪ですね」
「これは——薔薇の花を象ったものかしら? ルビー自体は小粒だけれど、細工の技術は本当に繊細ね。ええ、いいでしょう。この耳飾りと指輪。いただきましょう」
「ありがとうございます」
「首飾り——ああ、そうだわ。恐らくバタール算出のエメラルドを必ず身に付けることにはなるでしょうから、それもその方にお願いしたいわね。髪飾りと首飾りをお願いしたいのだけど、可能かしら」
「その者は腕が良いのですがまだ若いため実績がなく——ですが『バタールの魔女』とも称されるブリジット様に身に付けていただき、さらにはバタール産のエメラルドを扱う許しも得たとなれば、不眠不休で作業を行うでしょう。モチーフの希望はございますか」
ん? 何ですか『バタールの魔女』って。あまりいい意味じゃなさそうなんですけど。
――追及したら藪蛇になる気がする。とりあえず聞こえなかったことにしておこう。
「不吉なものでなければ、その方の思うようにしていただいて結構よ」
「承知しました。ではそのように」
エメラルドの扱いを新進気鋭の細工師に任せることが決まったところで、わたくしは一つの髪飾りに目を止める。
「この髪飾りは?」
わたくしが目を留めた髪飾りは、虹色の輝きを放つ、不思議な材質で作られた髪飾りだ。虹色の光沢も目を引くが、網目を幾重にも重ねたような精緻なデザインもまた目を引く。かなりの腕前の細工師が作ったものであることは、わたくしにもわかった。
「ああ——一応お持ちしましたが、螺鈿——というより貝細工でございますね。大きく成長した貝殻をそのまま切り出したもので、庶民にとっては高価なものですが、ヒューストン侯爵家の家格を考えると、ブリジット様が身につけるようなものでは——」
「安い、高いは関係がありませんわ。この髪飾り、とても魅力的に見えます。細工師の腕もかなり良いのでしょうね……こちらも買い取りましょう。ちなみにこれはどなたが?」
「細工——というより民芸品に近いものですね。王都の南方に漁村がありまして、そちらの海女が漁に出られない時の手慰みとして作ったものと聞いております」
「手慰みにしてはかなりの腕前ね」
「庶民が身に付けるものとしては、かなり高価なので。海が時化る季節のために漁村の民はこうした技術を身に付けるものだと聞いております。農村における木工と似たようなものにございますね」
「なるほど」
会長の説明に、わたくしは納得した。バタール島でも木工は盛んに行われている。庶民が身に付けるアクセサリーとして木や獣の骨、角でできた装飾品はかなりメジャーだ。
「ちなみに、この材質でさきほど話に上がった金細工師にエメラルドの髪飾りを作っていただくことは可能かしら?」
「不可能ではないと思います」
「では、そのようにお願いするわ」
「かしこまりました」
商会長が頷き、その背後に立つ秘書の女性がカリカリとメモを取っている。録音の魔道具があればそんな必要はなくなるが、まだあれは高級品だ。この商会の規模なら買えないわけではないけれど——後でアカデミーの伝手を紹介しておこう。
「あとは——そうね、真珠とムーンストーンはあるかしら?」
「こちらに」
わたくしの黒髪には、真珠やムーンストーンが映えるとメグやヴァネッサがよく口にし
ている。他国では真珠の光沢は長く持たないと言われているが、魔法の発達しているこの国においては、土属性の魔法によって加工が施されるため半永久的に光沢が持続する。
一通り品物を見たわたくしは、真珠とムーンストーンの耳飾りを一つずつ購入を決める。
もうこれで十分だろう——と思うのだけれど、ジェフリーが納得しないでしょう。十個は買うって行っていたものねえ。予算はお父様からたっぷりもらっているのでしょうし……。
「あら、この黄色い宝石の指輪は——猫目石ね。珍しいわ」
「そうですな。宝石自体は珍しくないのですが、このような模様を出すのは珍しく。先触れをいただいておりましたのでこちらからご紹介申し上げるつもりだったのですが、その前に目を留められるとは、さすが『バタールの魔女』と謳われるだけのことはありますな」
魔道具を作る際に宝石を使うことがあるのでわたくしは宝石を始めとした鉱物類の知識にそれなりに長けている。猫目石の希少性は知っているつもりだ。それをここで出したということは『お得意様専用の品物』ということだろう。
それにしてもまた『バタールの魔女』……。わたくし、王都でどういう認識を受けているのかしら?
「ではこれもいただきましょう」
「かしこまりました」
他にわたくしが選んだのはオニキスの腕輪、青メノウの腕輪、アクアマリンの指輪、サンストーンの指輪、サファイアの指輪、ラピスラズリの髪飾り、サンゴの髪飾り、水晶の髪飾り、トパーズのネックレス、インカローズのネックレスだ。
アメシストを選ぼうとしたら、なぜかジェフリーが全力で止めて来た。弟の考えることは時々よくわからない。
石自体の価値はそれほど高くないものもあるが、金や白金で作られたものが大半なので資産としてもそれなりの価値になるだろう。メグは納得したようだったが、ジェフリーは「もっと買えばいいのに」みたいな顔をしている。
確かにうちは裕福な家だけど、宝石を大量買いしたところで仕方ないじゃない……?
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