第6話

 グリトグラ王国の領地の八割は、北方のグリ島、南方のグラ島である。その他の領土は王都のあるユーリエ島や我がヒューストン侯爵家の領地であるバタール島を含めた島嶼地域である。


 ユーリエ島はグリ島とグラ島の間を流れるキャロリエ海峡に浮かぶ島だ。王城を中心に島全体が街になっており、資源については外から船で運び込まれている。そのため物価は少々高い。ただ先代国王の代からグリ島、グラ島とユーリエ島を橋でつなぐ計画が進められており、実際グランド・グリ・ユーリエ大橋がすでに完成し、陸路による通商が開始されている。


 グラ島とユーリエ島を繋ぐグランド・グラ・ユーリエ大橋は現在施工中で、ジュリアス第二王子殿下が陣頭指揮を執っている。ジュリアス殿下は他にも色々と政務を任されているところからも、国王陛下の期待度が高いことは明らかだ。


 セオフィラス殿下? ヴァネッサの話によると王都でぬくぬくと社交に精を出しているらしい。まあ、王族や貴族にとって社交が必要な仕事であることは否定しないけれど、ちょっとは政務も手伝いなさいよ、と思わないではない。それに追従する貴族たちも大概だけれど。


 さて、王都のタウンハウスで暮らしているわたくしとジェフリーにとっては喜ばしいことに、シェリーとユージン、それからベラ夫人が王都で暮らすことになった。大人たちで話し合った結果、やはり二人にはきちんとした魔法の教師を付けるべき、という結論になったみたいね。三人はもうタウンハウスに越してきて、王都での暮らしを始めている。


 今まで領地の屋敷の中庭を好き放題していたシェリーは、庭が狭いのが少し不満みたいだけれど。——両親を恋しがっている様子はない。ドンマイ。


ユージンは剣術や体術などの武芸の稽古も始めることになったみたい。費用は亡きファルス男爵の遺産から持ち出しらしい。


 ユージンはこれまでも領地の騎士から多少武術を教わっていたみたいだけれど、この国の騎士は剣術、体術、馬術を身に付けているだけでは務まらない。槍術、弓術、短剣術、軍学、あとは野営などの知識も必修科目だ。本気で騎士を目指すなら、ユージンは目が回るほど忙しくなるだろう。


 聞いている話だと弓術の筋がいいみたいね。光属性の魔力持ちは回復役として後衛に回ることが多いらしいから、ユージンは天運に恵まれているのかも知れない。本当に将来が楽しみな子だわ。


 ちなみに我が弟ジェフリーは武芸もそれなりにこなすけれど、本質はやはり『魔法師』だ。剣術も修めているのは身を守るための細剣術だし、後は馬術と体術くらいね。弓術は魔力が底をついた時に有効らしいけど、そこまでは手が回らなかったみたい。武器の扱いにあまり習熟していないのは、体が小さいのも関係しているかも知れないわね。


短剣術と体術の嗜みならわたくしにもある。淑女がそんなことを——と大人たちはいい顔をしなかったけれど、小一時間暴れたら教わることができた。魔法が使えない時に、身を守る術があることは悪いことではないもの。


 さて、わたくしとジェフリー、シェリー、ユージン、ベラ夫人は朝食の席に集まっている。わたくしとジェフリーは今日お休みをいただいていて、王都にて服を見て回る予定だ。もちろんヒューストン侯爵家にも懇意にしている商会があって、そちらにお願いしてもいいのだけれど、都市部において店を見て回るというのは女性たちの数少ない娯楽でもある。


 平民には平民向けの、貴族には貴族向けの流行というのがあって、それぞれ着飾ることを楽しんでいるのね。王都は物価も高いけれど、国政の中心部だけあって人の物も多く集まるし、賃金も他の土地に比べて高い。だから庶民でも買い物を楽しめて、いつだって景気がいい。


多くの商会がここに拠点を置いているし、中央の情勢を見逃さないよう、よほどの貧乏貴族でない限りはいわゆる領地貴族であっても王都の貴族街にタウンハウスを置いている。


 あとは、そうね——芸術文化の中心地でもある。これは先代王が力を入れていた事業で、とても立派な劇場があることも有名ね。わたくし、ヴァネッサ、スザンナの三人で歌劇を見に行くこともあるわ。平民のスザンナに合わせて一般席だけれど、堅苦しい思いをしなくて良いので却って気が楽ね。


「お姉様とお兄様は今日おでかけになられるのですよね」


 シェリーが口元をナプキンで拭いながらそう言った。心なし拗ねているように見えるのは気のせいではないだろう。食事の席にベラ夫人とユージンを同席させているのは、シェリーのご機嫌を取るためでもある。二人は被雇用者とその子供という立場だから、本来はよくないのだけれどね。ただお母様とベラ夫人が話し合って、わたくしを含めた全員のマナーを監視できるのでちょうどいい、ということになったみたい。――長姉の立場としてはすっかり気が抜けなくなってしまったわ。


「ええ。夜会用のドレスを選びに行くことになったの。ジェフリーはお茶会や夜会によく出ているから、流行についてもよく知っていると思って」


 それでも不満げな妹の表情があんまりかわいらしいものだから、わたくしは微笑んで言葉を続ける。


「今度、ヴァネッサとスザンナも呼んで内々のお茶会を開くつもりよ。その時にあなたとユージンも紹介したいと思っているから、二人の服も選びに行きましょうね」


「ですがブリジットお嬢様、我が家には資金が……」


 ベラ夫人が口を挟む。実際のところ、ユージンの養育費でいっぱいいっぱいなのだろう。お母様のことだからいらないと言っているだろうし、実際何かあった時のためにわけて保存しているのだろうとは思うけれど、ベラ夫人は律儀だからお給料から屋敷での生活費を我が家に渡しているのではないかと思うのよね。


 その上で各種武芸と魔法の先生も遺産から捻出——となるとかなり苦しいはず。服を買っている暇なんてないでしょうね。ましてや子供服なんて、成長すれば着られなくなることがわかりきっているのだもの。


 でもそこはわたくし流のやり方で説得させていただくわ。


「ユージンに服を見繕うのは、そう——そうね、わたくしの趣味のようなものよ。かわいい子を着飾らせて何が悪いと言うのかしら。わたくしが趣味で行うことなのだから、わたくしのポケットマネーから出させてもらうつもりよ」


「姉上は書物くらいしか買いませんからね……。今回のドレスや装飾品についても、何点か購入するつもりではありますが、社交のため——家全体の利益に関わることなので母上から予算をいただいています。それにベラ夫人にはきょうだい一同お世話になっているのですから、そのお礼としても不足があるくらいです」


 わたくしの言葉に、ジェフリーが口添えしてくれる。相変わらず表情は顔に出ていないが、声音が穏やかだ。ジェフリーの洗練された所作や教養は、ベラ夫人が叩き込んだものなのよね。お陰で十三歳という若さで宮廷や社交界でもやっていけているのだから、わたくしよりよほど、ベラ夫人への感謝や尊敬の念は強いのでしょう。


 さすがに雇い主の子供にして生徒二人にこう言われては、ベラ夫人も引き下がざるを得なかったらしい。


「お二人がそうおっしゃるのであれば……お二人に限って心配はしておりませんが、ユージンに贅沢を覚えさせないようご留意くださいね」


 ベラ夫人のこの心配はもっともとだろう。侯爵家が後ろ盾についているとなれば、小さな子供が増長してしまう可能性は十分にある。


 ベラ夫人はその辺り、躾はきちっとする方だし、ユージン自身も穏やかな性格だから心配する必要はないと思うけれど。


「王都には素敵なレストランもあるし、お菓子屋さんもたくさんあるわ。南国から渡ってきたチョコレートをふんだんに使ったケーキとコーヒーがわたくしのお気に入りなの。コーヒーは——あれは苦い飲み物だから二人にはちょっと早いかも知れないけど。街にお出かけする時には、一緒にいただきましょうね。そう言えばベラ夫人は、昔王城で女官をしていたのよね?」


 わたくしが水を向けると、ベラ夫人はパンを千切る手を止めて小さく頷いた。


 ちなみにこの屋敷で出されているパンは、貴族が好む白くてふわふわのパンではなく、ライ麦を配合して黒いパンだ。軍の食糧として配給されるものはとんでもなく固いらしいが、小麦とライ麦の配合が絶妙らしい。香りの癖はやや強いが、歯ごたえがあり、慣れれば病みつきになる。


 バタール島ではこのパンが主流だ。グリトグラ王国の気候は年中通して寒冷で、小麦の産地は概ね南のグラ島に集中している。このため小麦だけで作ったパンは高級品なのだ。まず庶民の食卓には上らない。貴族でも、慶事以外には我が家のようにライ麦を配合したパンを食べるのが普通である。


逆にお菓子は他国に比べてかなり安く、庶民の口にも入る。さすがにカカオを使ったお菓子——チョコレート菓子は高価だけれど、我が国では北のグリ島で甜菜糖の生産が盛んなのだ。砂糖は我が国の重要輸出品目であり、政治的駆け引きにも使われている。いうこと聞かないと関税を引き上げるぞとか、輸出を差し止めるぞとか言ってね。


 砂糖は我が国以外だと、長い航海を経て南方に出向かないと手に入らないから、砂糖の値上がりは贅沢が身に沁みついた貴族たちにとって重要なことなのだろう。


「楽しみです」


 そうやってにこにこと笑みを浮かべるユージンは王都に来てからというものかなりご機嫌だ。おっとりしているけど騎士を目指している子だし、ちゃんとした教師について武芸や魔法を学べることが楽しくて仕方がないのだろう。


 ユージンと遊ぶ時間が減ったシェリーは不満そうだけれど、令嬢は令嬢で学ぶことがたくさんあるのよ? ベラ夫人の前についていた家庭教師が無能だった分、それを取り戻すためにわたくしに課せられた指導はかなり厳しいものだった。


わたくしは皮肉交じりに「お嬢様は要領がよろしいですね」と言われていたけれど、シェリーは逆に、要領が悪いうえ、机の前に座ってじっとしているのが苦手なたちだ。要は、勉強嫌いである。


ベラ夫人の指導も厳しいものになるでしょうね……。できの悪い生徒に、ベラ夫人は容赦をしない。その分、確実に一人前の淑女に育ててくれるでしょうけれど。


「ねえお姉様、島にいた時みたいに、庭で魔法の練習をするのはどうしてもだめなの?」


 シェリーが上目遣いに問うてくる。


 その問いに、わたくしは小さく首を横に振った。


「それは許可できないわ。タウンハウスにはお客様がいらっしゃることも多いし、領地のお屋敷のように広いお庭ではないもの。どうしても領地の屋敷でやっていのと同じようなことをやりたいのであれば、庭師に付いてお庭のことをきっちり学びなさい。もちろんチョーカーを外せるようになってからね」


 わたくしがそう諭すと、シェリーは「はぁい」と生返事をした。わかっているのかしらね? このままだとその内ユージンと釣り合わなくなるわよ。


 お母様ははおっとりした優しい女性だが、人にものを教えるのには向いていない。シェリーは数年間、母から魔法を教わっていたはずだが、未だに魔力制御が正しく身に付いていないのがその証左だろう。才能自体は間違いなくあるのだけれど……。


「ジェフリー、朝食を食べ終わって着替えたら早速でかけましょう。あなたのことだから、目ぼしいお店は見繕ってくれているのよね?」


 わたくしはジェフリーに確認すると、ジェフリーは頷いた。


「はい。評判の良い仕立屋をいくつか」


「さすがはジェフね」


 弟のしっかりした受け答えにわたくしも満足して頷く。


「そういうわけで、支度が整い次第わたくしたちは街に出ます。帰りは遅くなるかも知れないわ。せっかくのお休みなのに一緒にいられなくてごめんなさいね」


 わたくしはシェリーに向けてそのように謝罪した。甘ったれの末娘は、かまってあげないとすぐにむくれるのだ。


 わたくしの言葉に、シェリーは力強く拳を握った。


「平気ですわ、お姉様。わたくし、きちんと我慢できます」


 だといいけど——まあユージンとベラ夫人がいるなら平気でしょう。

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