第4話

「それでその日のお茶の時間は、ジェフからずっとお説教を受けたの。暗殺魔法ってとても有用じゃない? すごくお金になると思うの。なのにお叱りを受けるだなんて、不本意だわ」


「うふふ、姉弟仲が良くて、うらやましいです。うちは一人娘だから、兄弟って馴染みがなくて」


 春休みの休暇が終わって、わたくしは王都に戻っていた。


 寮住まいの生徒もいるけれど、わたくしは王都にあるヒューストン侯爵家のタウンハウスから馬車でアカデミーに通っている。向かいに座るスザンナ・ベプルは王都の平民街にあるパン屋の一人娘で、八大属性すべての魔力を持っていることが検査で判明し、特待生としてアカデミーに通うようになったと言う経歴を持つ。


 もともと読書や算術を学ぶのが好きだった子で、魔法を学ぶのは肌に合っているらしい。髪の色はこの国では珍しい桃色がかった金髪に緑色の瞳持ち、小柄な体格も相まって容姿はどこか小動物めいている。貴族にもてはやされる華やかな美貌ではないが、どこか愛嬌があって愛想もよく、その才能と共に男子学生には人気があった。


 わたくしたち二人は、昼食をとるためアカデミーの食堂に来ている。貴族の子弟が多いアカデミーのランチは無料だけれど、メニューはとても充実している。魔力量の多い平民の特待生も珍しくないので、楽しみにしている者も多い。研究室に寝止まりする時は、多少のお金を払えば朝晩の食事や夜食・間食も出してもらえる。


 今日は休暇明け初の登校日だ。女の身でわざわざアカデミーに通う学生はかなり熱心なので、休暇の間も自己研鑽に励んでいた。


 わたくしもスザンナも、専門分野は魔道具の作成だ。もちろん魔道具と言っても用途は多岐に渡るが、基礎理論は同じ。お互いの深い研究内容まで尋ねないのがマナーだが、魔法研究について話が盛り上がることは多い。


 もちろん、普通の淑女らしく、家族の話題や王都のお店の話題、あるいは、よさげな男子学生の話題で盛り上がることはある。今がそうだった。


 わたくしが暗殺魔法などと口にしても、スザンナは目くじらを立てたりしない。まあ、暗殺魔法はすでに実用レベルには達しているのだけど、わたくしが自衛目的以外でそれを行使することがないと信頼してくれているからだ。


 身内が害されるようなことがあれば、どうなるかは自分でもわからないけれどね。


「年頃の淑女二人揃ってなに暗殺魔法がどうとか、何を不穏な会話してますの?」


 わたくしたちの会話に割って入ってきたのは、トレイを手にした友人の公爵令嬢、ヴァネッサ・ウィリアムズだ。火属性の魔力を示す赤い縦ロールとキツい眼差し、口元のほくろが印象的な、派手な美貌の持ち主である。


 ヴァネッサはわたくしと違って骨の髄まで貴族の令嬢である。衣服も立ち居振る舞いも洗練されている。バタール島って王都のあるユーリエ島にかなり近いんだけれども、それでも離島には違いない。まあつまり、田舎なのよね。


 その点ウィリアムズ公爵家は王家の縁戚でもあるから、ヒューストン侯爵家のようは『地方貴族』とは立場が異なる。王家から領地を預かってはいるが、それはそれとして宮廷貴族としての立場も保持しているのだ。一代限りのものも含めていくつかの爵位を王家から授かっており、『ウィリアムズ一門』として国内で大きな勢力となっている。


 もちろん、ウィリアムズ公爵家が大きな権力を持ち過ぎないように人員配置を行うのも王家の大事な仕事だ。当代だと確か――ウィリアムズ一門は文官が多かったはずね。ヴァネッサのお父様である宰相閣下がその代表格。代わりに武門では出世できないようにパワーバランスを調整されていたのではないかしら。


 まあ、今はたまに魔物や野盗が出没する以外平和だから、武官の仕事ってあまりないのよね。そういう意味で言うとウィリアムズ一門はかなり優遇されているわね。


 結果王国騎士団を筆頭に武官たちの反発を買ってるから、抑え込みに必死だったりするのよね。そう言う意味ではうまくバランスが取れているの――かしら? まあいずれにしてもわたくしにはあまり関係のないことね。


 ちなみにヴァネッサの研究テーマは魔法陣による魔力増幅を利用した『大量殺戮戦術魔法』よ。


 何を思ってそんなもの研究しているのかわからないけど、そんな危ない思想の女に不穏とか言われたくないわよね……。


 なんで? って聞いたら『派手でかっこいいから』とか返ってきそうでもあるけれど。


「弟の話よ」


「ああ、例の妖精ちゃんね」


 さすがヴァネッサ、伊達や酔狂で頻繁に社交の場に出入りしているわけではないらしい。ジェフリーの本性をきっちり見抜いている。


「わたくしは立場上直接お話できないのが残念だわ。遠目に見てもかわいらしい方よね」


 ヴァネッサはテーブルにトレイを置くと、スザンナの隣に腰を落ち着けた。アカデミー入学当初は自分が平民であることに引け目を感じていたらしいスザンナだけれど、ヴァネッサやわたくしがあんまりにも『気にしない』ので、最近は対等に話してくれる。


 もちろん、彼女なりに相手はきっちり見極めているみたいだけれどね。やっぱり、貴族の中には平民を見下している方もいらっしゃるから。


「ああ、そうだわ。妹と、ほら、うちで預かっているファルス男爵家のご令息も王都のタウンハウスに来ることになったのよ。妹はお母様から魔法の手解きを受けていたのだけれど――なんというか、お母様の教え方って大雑把なのよね。王都できちんとした先生について魔法を学んだ方がいいんじゃないかって結論になったの。ファルス男爵家のご令息——ユージンって言うんだけど、その子は光属性でね。バタール島には教師になれる人がいないから」


「光属性の子を囲い込んでいるなんて、ヒューストン侯爵も抜け目がありませんわね」


「失礼ね、たまたまよ。お母様のお友達が旦那さんを亡くして働き口に困っていたから、わたくしたちの家庭教師になってもらったの。そのお子さんが、たまたま光属性だっただけだわ。もちろん、我が家としては魔法師として囲い込んでおきたいって気持ちもなくはないけれど。最終的に進路を選ぶのはその子よ」


「家庭教師のお子さんがお屋敷に一緒に暮らしてるんですか?」


 疑問を呈したのはスザンナだ。貴族とはいえ使用人の子供が屋敷で一緒に暮らしているというのは、平民の彼女にとって不思議なことらしい。


「ファルス男爵家は領地なしの貴族家なのよ。我が家と同じ魔法師の家系ね。隣国と戦争があった時に功績を立てて、騎士爵から男爵に格上げになったらしいわ。もっとも、光属性が生まれたのはユージンが初めてらしいけど。ベラ夫人——イザベラ夫人が来た時、彼女もうちのお母様もお腹が大きかったから、一緒に育てるのがちょうどいいんじゃないかって話になったらしくてね。かわいいわよ、双子の兄妹みたいで」


「いいわねえ、ブリジットのところは。平和そうで」


 そうサンドイッチを手に取りながらヴァネッサがため息を吐く。


「うちのお兄様たちなんて、誰が後を継ぐかでいつも揉めてらっしゃるわ。妹は妹で当てこすりしてくるし、王妃殿下もセオフィラス殿下も……とにかく面倒だったらないのよ」


 ヴァネッサが王妃——正確には第二王妃エイプリル殿下について口ごもったのは、どこに人の耳があるかわからないからでしょうね。


 ヴァネッサの言わんとすることは理解できる。ウィリアムズ公爵一門は、権力志向の強い家柄だ。そして、家督を継げず、手に職もない貴族令息の行く末と言うと、大抵みじめなものになる。まあ、ウィリアムズ公爵家なら自領の騎士団か魔法師団で飼い殺しというところかしらね。あとはせいぜい、どこかの街の代官か。


 公爵閣下の場合は複数の奥様がいらっしゃるから、子だくさんでもあるのよね。跡取りを残さなくてはならない貴族家としてその選択も間違いではないのだけれど、家中の揉め事の種にもなる。


 ヴァネッサとセオフィラス殿下との婚約を決める時にも、色々とあったことは予想がつくわ。


 うちが平和なのは、男児がジェフリーしかいないのと、権力志向の強くない家柄だからだわね。


 それで、エイプリル王妃殿下——正確には、エイプリル・ディオール・グリトグラ第二王妃殿下ね。ディオール公爵家の次女で、類稀なる美貌と光属性の魔力の持ち主。ただし――性格は最悪。侍女を始めとした使用人をいびるなんて日常茶飯事で、権力志向がとても強く、おまけに嫉妬深いお方ってことで、国内ではとても評判が悪い王妃様。


 そんな方だから当然国王セドリック陛下との間に愛など生まれようはずもない。国王陛下は三年前にお隠れになったクラリッサ・クリスティアン・グリトグラ第一王妃殿下を今でも深く愛していらっしゃるらしいわ。だから今でもエイプリル王妃殿下が第一王妃に格上げにならない。それが市井での評価。


 まあ、国王陛下がクラリッサ王妃殿下を深く愛してらしたのは事実なのでしょうね。ジュリアス殿下が生まれて十三年してから、クラリッサ王妃殿下との間にカチュア王女殿下がお生まれになっているのがその証左だと思うわ。


 でも嫉妬深いエイプリル王妃殿下はそれが我慢ならないのでしょうね。ジュリアス殿下やカチュア殿下に色々嫌がらせをしているって話も聞くし、対抗勢力だったクラリッサ王妃殿下がお隠れになったのをいいことに、セオフィラス殿下共々贅沢三昧って風聞もあるわ。


やんごとなき方なのは事実だからジェフリーは言葉を濁していたけれど、相当好き放題やっているのは察しがつくわね。ジェフリーに被害が及んでないうちは、お父様も口を挟むつもりはないみたいだけど。


「愚痴なら今度我が家にいらっしゃいな。いくらでも聞くわ。我が家には防音室もあるしね」


「そうさせていただくわ」


 ヴァネッサはくたびれた様子で言うと、サンドイッチを口にする。彼女が『大量殺戮戦術魔法』を研究しているのは、ストレスが原因なのかも知れないわね。彼女が将来の王妃になって、セオフィラス殿下が傲慢なままで、しかもエイプリル王妃殿下が王太后——地獄絵図しか見えないわ。


 ジュリアス殿下の社交嫌いのお陰で、婚約者が決まっていないのもよろしくない状況よね。一応クリスティアン侯爵家が後ろ盾ではあるけれど、ウィリアムズ公爵一門とディオール公爵一門が後ろ盾になっている第一王子殿下の派閥と比べると、少し弱い。


 もちろん能力的に優れたジュリアス殿下を推す声も強いのだけれど、本人があまり王座に就くことに意欲的ではないのも問題ね。


 ――まあいずれにしてもヴァネッサとセオフィラス殿下の婚約が破棄されることは早々ないでしょうから、殿下が改心なさらない限り彼女の未来は暗いわね。


「ねえ、ブリジットやスザンナはいいひと、いらっしゃらないの? 二人だってもう年頃でしょう?」


 サンドイッチを飲み込んだヴァネッサが身を乗り出して尋ねてくる。


 まあ、そうね。この国の女性からすると十八歳になるわたくしたちは結婚適齢期ではあるのよね。


「ほら、ブリジットは、ユリシーズとはどうなっていて?」


 ヴァネッサのこの問いに、さすがにわたくしは顔をしかめた。


「ユリシーズは無理よ。べつに、嫌いではないけれど。彼自身はともかく、クラウン伯爵家の方々は魔法嫌いですもの」


 実のところ、婚約話が持ち上がったこと自体はある。ただ当時、ユリシーズとお父君は進路でえらく揉めてたのよね。ユリシーズは魔法師団への入隊を希望していたんだけど、クラウン伯爵閣下は猛反対。で、結局わたくしとの婚約話をなしにする代わりに、軍医として騎士団に入隊することで和解した――というのがユリシーズから聞いている話。


 幼い頃からお互い知りすぎているからそんな気になれないのはわかるけれど、わたくしをダシにしないでいただきたいわ。


「スザンナは? スザンナは気になる殿方とかいらっしゃらないの?」


 ヴァネッサに水を向けられたスザンナは、目を丸くしてから口の中のものを水で流し込み、それから答えた。


「あたしですか? あたしも特にそういう人は……そもそもあたし、特待生だし。今は勉強の方が第一です」


 いかにも優等生的——いや、実際優等生なのだけれど——なスザンナの答えに、ヴァネッサの機嫌は急降下する。


「つまらないつまらないつまらないわぁ! なんでうら若き乙女が揃って枯れてらっしゃるの! 恋の話の一つや二つ、捻り出せばおありになるでしょう!?」


 ごね始めヴァネッサに、わたくしとスザンナは顔を見合わせる。


 察しのいいスザンナが素早く切り出した。


「えーと、これはあたしが5歳の頃の話なんですけど」


「わたくしが求めているのはそういう思い出話じゃなくってよ!?」


 スザンナが幼少期の甘酸っぱい初恋の話を始めようとするのを、ヴァネッサが遮った。


「じゃあお話を少し変えましょう。お二人は結婚するならどのような殿方がよろしいの?」


 ヴァネッサは『現在進行形の恋の話』から『好みの殿方のタイプ』に話を切り替えた。


 この立ち直りの早さは見習いたい――いや、というかあの王子が婚約者だとこうでもないとやっていけないのかしらね。


「お仕事に理解のある方かしら」


「あたしもです」


 わたくしとスザンナは揃ってそのように答えた。


「はあ、あなたたち、乙女として本当にそれでいいの?」


「だって貴族ですもの。そりゃあ、ロマンス小説みたいな恋に憧れがないわけではないけれど、まずは家と家のお話になるでしょう? そう考えたら、お相手に多くは望めないわ。それでも、妻が魔法の研究なんてしていたら、嫌な顔をする殿方の方が圧倒的に多いのではないかしら」


 これがわたくしの見解。


「平民でも同じですよ。結婚する前は理解のあるフリしてても、いざ結婚したら家のことはぜーんぶ奥さん任せって男の人、本当に多いんです。それで離縁になったおうち、下町にはたくさんあるんですから」


 スザンナは難しい顔でそう言った。


 都市部における平民の女性の仕事って言ったら、メイド、行商、産婆、お針子、宮廷の侍女や女官は貴族じゃないとなれないし……あと何かあったかしら。平民女性はあと――未婚女性は文官とか役所の職員、代書屋になったりもするらしいけど、結婚すると退職を迫られることも多いと聞いたわね。


 結局、家を守るのが女の仕事、という風潮は貴族でも平民でも変わらないらしい。もちろん、女性が大黒柱になっている家庭もあるんでしょう。貴族社会においても女性に爵位が授与されたり、あるいは継承したりすることもある。ただ、貴族社会におけるそれは一代限りのものであったり、男子の後継者が見つかるまでの一時的なものであったりする。


「おやおや、男には耳が痛い話をしておるようだな」


 女三人でかしましくしていると、渋いバリトンの声が割って入ってきた。


 わたくしたちにとっては耳慣れた、国民として決して聞き違えてはいけない声。わたくし、ヴァネッサ、スザンナは口を閉じてぱっと立ち上がる。


「よい、よい。お忍びできたのだ」


 他ならぬグリトグラ王国国王、セドリック・ケルビム・レクス・グリトグラ陛下である。


 白髪に髭を蓄えているが、まだ四十代後半。かなり若々しいし、第三王妃——あるいは空席となっている第一王妃の座を狙って言い寄る女性が後を絶たない、素敵なおじさまである。公務にあたっては厳めしい顔を作っているが、普段は笑顔を絶やさない穏やかな人柄で、任せられることは他に任せ、譲れないことは何があっても自分がやる、という政務のスタイルを取っている。基本的に善政を敷いており、穏やかな人柄もあって国民人気は極めて高い。


 白い髪は老化の影響——ではなく、生まれつき魔法を使えない体質の故である。たればこそ国王陛下は魔法の有用性を深く理解し、魔法学にも造詣が深い。王立魔法アカデミーの平民特待生枠はセドリック陛下の代になって大きく増え、逆に貴族の学生に対する試験は厳しくなったと言われている。


 結果、王宮魔法師団は忠誠心が強く、魔道具に関する技術はここ十数年で大きく発展した。これは近隣諸国に対する大きな抑止力になっている。特にグリトグラ王国は海洋国家だ。海戦における魔法の運用研究にも王国は力を入れていて、強力な攻勢魔道具や優秀な魔法師を載せた船は、他国にとって恐るべき脅威である。


 魔法師の育成は諜報分野でも役に立っていて、これはそう、例えばわたくしの扱う闇魔法などがそうだ。闇魔法特有の術として、「相手の精神に干渉し、その機能を低下、消失させる」という系統のものがある。眠らせたり、あるいは理性を奪って自白を強制したりと言った類の術ですわね。


 最近になって闇属性の魔力持ちが注目されているのはこういう理由だ。『消す』という闇属性ならではの特性は、突き詰めれば突き詰めるほど恐ろしい。優秀な闇属性の魔法師なら大抵の魔法は無効化できるし、防具など無視して相手の肉体そのものを抉り取る――魔力量が強ければ消滅させることだって可能。


 お祖母様の代では闇属性の地位は低かったけれど、今わたくしがこうして自由に過ごしていられるのは今代の国王陛下のお陰と言っても過言ではない。


 その敬愛すべき国王陛下は、よくお忍びでアカデミーを視察にくる。魔法が使えない体質故に魔法への憧れが強いのか、あるいは怠けがちな貴族子弟を引き締めにきているのか。


 とにかく国の首長であるセドリック陛下が学生と同じようにトレイを持ち、わたくしたちとテーブルを囲むというのは、なんというかシュールである。


 まあ、いつものことではあるので、わたくしたちもいい加減慣れてきた。席に着いて食事を再開する。


「不肖の息子が苦労をかけるな、ヴァネッサ嬢」


「聞いておいででしたか」


 困り顔で言う国王陛下に、ヴァネッサが苦笑する。


「エイプリルもセオフィラスも、下手に光属性など持って生まれたばかりにもてはやされて増長しておる。クラリッサが逝ってからは猶更な。その癖魔法の学習にも、武芸の修練にも身が入らなんだ。魔力障害を持つ余に国王が務まるなら、自分にも容易いと考えておるのだろうな」


 そう言って国王陛下はハンバーガーを豪快に口に入れた。ハンバーガーの隣にはフィッシュ・アンド・チップスが並んでいる……視察というか、ジャンクフード食べに来てるんじゃないのかしら、この方。


「ジュリアスを立太子したいところではあるが、あれは中々首を縦に振らんでなあ。セオフィラスが政務を碌にせんから、その分の負担がジュリアスにすべて回っておるのだ。そのせいで国王になるのを嫌がっておる節があるのだよ。なまじ優秀なばかりに、文官たちがジュリアスに裁可を押し付けようとしたがるのも問題でな」


 その分国王陛下が政務を引き受ければ良いのでは――という考えは胸の内にしまっておこう。


「――それでだな、ブリジット嬢。ジュリアスと婚約するつもりはないか?」


 国王陛下の落とした爆弾に、わたくしは思わず咽た。


「ごふっ、げふっ、陛下、突然何を」


「いや、冗談ではないぞ? 国内の魔法師の崇敬を集めておるヒューストン家がジュリアスの後ろ盾に付けばそれに追従するものも多いだろう。実際、ヒューストン侯爵と同じくジュリアスは騎士団や魔法師団からの信望が厚い。それに、そなたの弟であるジェフリーも行儀見習い、という名目ではあるが従卒としてジュリアスに従っておる。あの少年も中々見所がある。侯爵家は当面の間安泰であろうなあ」


 わたくしはハンカチで口元を拭きながら陛下の言葉にやんわりと反駁を試みる。


「あの、あのあの陛下? 弟を評価していただけるのは嬉しゅうございますが、王子妃などわたくしには荷が勝ちますわ。賞賛されるような美貌や所作など持ち合わせておりませんもの。それに殿方は、わたくしのように頭でっかちで、背の高い女はお好みになりませんでしょう?」


 しかし、国王陛下はそんなわたくしのことをにこにこと微笑んで見やると、こう答えた。


「頭でっかち、結構結構。頭の回る妃でなくては、ジュリアスにはついていけんじゃろう。それをわかっているから、あやつも中々婚約者を決めようとせなんだよ。王族に擦り寄る令嬢には小賢しい者はおっても、真に知恵と教養、学識を兼ね備えたものはそうそうおらん。そなたの噂は色々と聞いておるよ? 中々に型破りな才媛であるとな」


「さ、才媛と言えばスザンナ! このスザンナ・ベプルが! 八大属性すべてを扱える天才ですわ!」


「ええ、あたしですかぁ!? 無理無理、無理です! 浅学で申し訳ないんですけど、貴族法の規定で伯爵以上じゃないと王族との婚姻は不可、じゃありませんでした? あたし、実家のパン屋さんを継いでくれる旦那さんなら別にそれでいいし、王子様にパン生地なんてこねられないでしょう? それにあたし、魔法学は解っても政治学はわかりませんよう。貴族としての所作なんて、論外中の論外です。アカデミーの講義にもありませんし」


 わたくしはスザンナに押し付けようとしたが、顔の前で両手を大きく振られて拒否。あえなく失敗。というか、この子平民なのに貴族法も簡単になら頭に入っているのね……まさに才媛……。


 しみじみ感心していると、はす向かいからゆらりと不穏な気配が漂ってきた。


「ブリジットがジュリアス殿下と婚約すれば、ジュリアス殿下の立太子は確実なものとなるでしょうね。そうなれば――わたくしがセオフィラス殿下と結婚する理由もなくなる……」


 そこまで行って、ヴァネッサがくわっと目を見開いた。


「婚約破棄のチャンス!」


「ちょ、ちょっとヴァネッサ? さすがに不敬よ?」


「ブリジット、あなたジュリアス殿下と婚約なさい。ええ、そうなさい。ぜひともなさい! 弟君がジュリアス殿下にお仕えしているのだから、いずれご挨拶はするつもりなのでしょう!? その時にでも婚約なさい! そしてわたくしはこんや」


「闇よ、深遠に沈みしものよ。音を遮れ。『遮音サウンド・ウォール』」


 興奮してセオフィラス殿下との婚約破棄計画を述べ始めるヴァネッサを止められないと判断したわたくしは、闇魔法で周囲に話し声が伝わらないよう、結界を張るのであった。

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