第2話

 剣呑な護身術を子供に仕込むな、と弟にお小言を言われながら、わたくしたちは妹のシェリーたちが遊んでいるはずの中庭に向かう。


「監視です」と言い訳をつけて、なぜかジェフリーもついてきた。ジェフリーはかわいいものが大好きである。つまり子供の相手をするのも大好きである。子供の反応は大体二分される。綺麗な「お姉さん」に構ってもらえてうれしいという子供と、仏頂面が怖いという子供。


 いずれにしても本人にすれば不本意極まりない反応でしょうね。ジェフリー、女の子みたいな顔のこと気にしているし。まあわたくしたちが幼少の頃さんざん弄んだのが原因なんだけど。――いやだわ、わたくしったら悪女みたい!


 どっちにしろ、シェリーもユージンもジェフリーのことを「お兄様」と慕っている。せいぜい中の上のわたくしと違って三人とも超が付くくらいの美形だ。身内の欲目を差し引いても、目の保養になる。


 屋敷の庭のほとんどはお母様が調えているのだけれど、中庭だけは別。


 末妹のシェリーは魔力量がかなり多いのだけど、昔からその制御に問題があった。かんしゃくを起こして魔力を暴走させることが珍しくなかったのだ。だから普通の子供たちから比較してかなり幼い頃から、お母様直々に魔法の稽古をつけていた。親子で同じ属性になる確率は、低くもないが高くもない。魔法属性の遺伝性については、専門化の間でも熱い議論が交わされていて、未だ結論が出ていない。貴族の間では遺伝すると考えている人が多いようだけど、平民はあまり気にしないみたいね。


 わたくし? わたくしは夫や子供がどんな属性であっても気にしません。


 何せアカデミーの同級生には全属性を扱えるクレイジーな化け物がいますからね。それを見ていたら何もかも馬鹿馬鹿しくなると言うものです。


 そんなこんなで、中庭はシェリーの魔法の訓練場であり、『遊び場』だ。甘えん坊な末妹が咲かせたい花を咲かせ、伸ばしたい木を伸ばし、土や岩で小さなお城を作っている。子供が作ったものなので『混沌』そのものではあるが、前衛芸術として見ればまあ――そう見えなくもないでしょう。


 わたくしたちが中庭に入ると、当家の天使たち二人の他一名、予想外の先客がいた。


「あら、ウルじゃない。来ていたの?」


 クラウン公爵家次男、ユリシーズである。


 光属性を持つ彼は、王宮魔法アカデミーで最先端の医療魔術を学んでいる。光属性は色々と応用の利く魔法だが、特に癒しの力に優れている。彼の父君である伯爵閣下は魔法嫌いでよく知られた方なのだけれど、「軍医として騎士団に入る」ことを条件にどうにかアカデミー入学の許しを得ることができたみたい。


 まあ、クラウン伯爵家は武官の家系だから、息子を武官に、というお父君の気持ちはわからないではない。――貴族でかつ光属性な上に十分な魔力量の持ち主、となるとそう多くもないから、国から圧力がかかった、という話も小耳に挟んだけれど。


 金髪に光の加減で金色に見える褐色の瞳は、強い光属性の魔力を宿している証だ。性格も温和で紳士的、武官の家柄だけあって上背も高い。魔法師志望と言えども、武芸を疎かにしているわけではない。しっかり鍛えられているのが服の上からでもわかる。


 癒しや浄化の術を扱えるのは光属性だけではないけれど、もっとも癒しに適正があるのは事実だ。努力さえ怠らなければ、食うに困ることはまずない。そのうえ、お母君譲りの優しい顔立ちとあってはご令嬢たちが放っておかない。それが煩わしいのか、ユリシーズも社交の場を避けているのだけれど。


「やあ、リジィ。ユージンに簡単な魔法を教えていたんだ。――と言っても小さな灯りを点す程度のものだけどね。ほら、バタール島の養成所だと、光属性の教師がいないだろう?」


 ユリシーズの言うように、光属性や闇属性の使い手は数が少ない。わたくしも魔法を身に付ける時は随分苦労したものだ。わたくしの場合は侯爵家としてコネがあったから教師を呼び寄せることができたけれど、ユリシーズの場合は伯爵閣下の魔法嫌いもあってこれがなかなか難儀していたのだ。


 ヒューストン侯爵家とクラウン伯爵家は、基本的に仲が良い。結局お父様の取りなしで教師を呼び寄せたみたいだけどね。


 それで、わざわざユリシーズがうちの屋敷に来てまでユージンの教師役をやっている理由だけど、単純に光属性仲間ができてうれしいからだと思う。光属性の魔力の持ち主と言うと、第二王妃エイプリル殿下を代表するディオール公爵家の係累だろう。第一王子セオフィラス殿下、魔法省長官カサンドラ・ディオール、このあたりの面々だ。


 あんまり彼らを悪く言いたくもないけど、光属性ってとにかくちやほやされるから、増長する人がたまにいるのよねぇ。平民なら大抵神職に就いて厳しい教育を受けるからそんなことにはならないけど、貴族――特に王族や上位貴族なんていうのは、よほどの事情がない限り出家なんてしないもの。ましてや口うるさい神殿なんて目の上のたんこぶくらいに思ってらっしゃるのよね。


 まあこの辺りの事情は後で語ろう。今は目の前のエンジェルたちの方が重要だ。


「ブリジット様とジェフリー様におかれましては、ごきげんうるわしく」


 わたくしたちが来たのに気付いたユージンが素早く膝をつく。これは誰かが教えたわけではなく、この子が勝手にやっているだけだ。侯爵家に仕える騎士の真似っこをしているのである。おっとりしていても、男の子だ。騎士に憧れがあるのだろう。


 まだちょっと舌足らずなところが……うーん、かわいいしかない。


 優秀な子だし、将来は魔法と武芸を両立させる魔法騎士になるかもしれないわね。うちに仕える騎士には少なくない。ましてや光属性の魔法騎士なら、そりゃあもうどこの家に仕官しても出世は約束されたようなものだろう。


 ファルス男爵家には領地もないし、我が家としては囲い込んでおきたいところよね。お父様やお母様はシェリーを嫁がせることを考えていらっしゃるかも。二人は仲も良いし。


「ユリシーズ殿。いくら両家の仲が良いとは言っても、先触れなく我が家を訪問されるのは……」


 様子を見ていたジェフリーが眉根を寄せて口を挟む。ジェフリーはユリシーズに何かと理由をつけて噛みつこうとする。これは小さい頃からで、わたくしとユリシーズの仲が良いから多分やきもちを焼いているのだろう。まあわたくしもユリシーズもそんなこと承知の上なので「かわいいなあ」としか思わないのですけれどね。


「ん? 先触れならリジィ宛に出したはずだけど?」


「え? そうだったの? いやだわ、どこかに失くしたのかしら」


 がさつなわたくしと違ってユリシーズはきちんとしている。先触れもなく他家の屋敷を訪れるなんて確かにあり得ないのよね。


「執事さんがきちんと応対してくれたから君やジェフリーにも当然伝わっているものだと」


「ああ、じゃあメイドの誰かがわたくしの部屋を片付けた時に見つけてくれたのね」


「まったく悪びれないところが君らしいよね」


「いやだァ、褒めても何もでなくってよォ」


「褒めてませんけどォ?」


 そう言うとわたくしとユリシーズは顔を見合わせてうふふふ笑った。


 心なしか、ユリシーズの笑顔が冷え切っている。あ、これ怒ってますわね。


「サーセンしたッ」


 わたくしはぴしっと九十度に頭を下げた。


「分かればよろしい。僕相手だからよかったけど、他の相手だったら大問題になってるからね?」


「不本意ですが、ユリシーズ殿の仰る通りです。姉上は届いた手紙にくらい、目を通してください。あと私室や書斎も少しは自分で片づけてください。書斎は僕も使うんですよ?」


 ユリシーズの言葉に、ジェフリーまで追従してくる。すべて正論なのでまったく言い返せないわ……。


「えぇ~、でもォ、わたくし別にお付き合いを広げるつもりもありませんしィ。部屋だってメイドたちが片づけてくれるしィ」


 わたくしがわざとらしく髪の毛の先をいじりながら唇を尖らせていると、中庭で土いじり――もちろん魔法で――をしていたシェリーが駆け寄ってくる。


 限りなくオレンジに近いブラウンの髪と瞳。そして顔は社交界でかつて王国の鈴蘭と讃えられたお母様に生き写しだ。――どうでもいいけど鈴蘭って毒があるわよね!


 それはさておきとことこと無邪気に駆け寄ってくる姿はとても愛らしい。かわいいお顔も、普段着の生成地のドレスが土塗れで台無しになっているけど。シェリーはわたくしが子供の頃と比べてもお転婆だ。――うん、首元についているチョーカーは無事ね。


 これはわたくしが作った魔道具――まあ、御守りみたいなもの。貴族の子女にありがちな魔力暴走を抑えるために制作したものだ。できれば夫婦喧嘩で屋敷を壊すお母様にも着けていただきたいのだけど、全力で拒否された。犬の首輪みたいだから嫌よ、ですって。デザインについては一考の価値があるわね。


「リジィお姉様、ウルお兄様。なんのお話をしてらしたの?」


「君のお姉様にお友達がいないというお話をしていたんだよ」


 ユリシーズてんめえェェェッ!


「まあ、お姉様、お友達がいらっしゃらないの? そんなの寂しいし、悲しいわ」


「そうですね。お友達がいらっしゃらないのは、寂しいし、悲しいです」


 シェリーとユージンが揃って哀れむような顔を向けてくる。この子たちは人見知りもしないし、性格も良いし、何より顔がいいから友達なんてたくさんいるのでしょうね……。いや、でもね。大人同士のお付き合いと子供同士のお付き合いは面倒臭さの度合いが全く違うのよ? ――と説明したところでこの二人に通じるはずもないのだ。


「いや、その。わたくしにもお友達はいるのよ? でもなんていうか、わたくしって何事につけ、狭く深くというタイプじゃない?」


「お友達はたくさんいた方がいいわ、お姉様! ベラ夫人もそうおっしゃってたもの! ねえ、ユージン!」


「はい。困ったときに助けてくれるのがお友達だと、お母様はもうしておりました! そうして助けてくださったのがおくさまだとも! おそれながら、お友達はたくさんいた方がよろしいかと! ブリジット様におかれましては、『お嬢様はスキが多すぎる』とか『ワキが甘すぎる』『がさつ』『ずぼら』『干物』とみなもうしておりましたし、意味はよくわかりませんが、助けになる方がきっと必要です」


 うわぁ、八歳児二人に真向から正論叩き付けられるのきつい。ていうかうちの使用人たち、そんなこと言ってるの?


「お、お友達がいないわけではないのよ? ほ、ほら。前にお話ししたでしょう。ヴァネッサとスザンナというお友達のこと。ヴァネッサ様は王子様のお嫁さんになる方で、未来のお姫様よ。スザンナは魔法の天才なの。どんな魔法だって思いのままに使えるのよ」


 スザンナは平民出身の可愛らしい女の子で、魔法アカデミーの特待生。八つの属性すべてを扱うことができる不世出の天才だ。とはいえ彼女も修行中の身の上。どんな魔法も思いのままはちょっと言い過ぎだけれど。


「まあ、お姫様! 王子様とご結婚だなんて、素敵ね、お姉様!」


「魔法の天才! どんな魔法も思いのままだなんて、お嬢様はすごい人とお友達なのですね!」


 幼い二人は素直に受け取ったらしい。


 八歳児の無邪気な賞賛に――うん、なんというか罪悪感が。


 対して他二人の反応は冷ややかだ。


「友達自慢とかどうかと思う。あとスザンナは確かに天才だけど、なんでもはできない」


 と、ユリシーズ。


「僕が第二王子のジュリアス殿下にお仕えしていることをお忘れですか、姉上。セオフィラス殿下は権力志向の強い野心家です。兄弟仲は良好とは言えません。実際にご結婚なさったら派閥争いでヴァネッサ嬢とはまず疎遠になりますよ。王太子はまだ決まってないんですから。実際宮廷では派閥同士の対立が深刻です」


 と、ジェフリー。王宮に出仕しているだけあって真に迫っている。


 とはいえジェフリーの言うことは正しい。セオフィラス殿下の評判は、あまりよろしいとは言えない。御母君である第二王妃殿下ともども、野心的なのよね。


わたくしはヴァネッサの友人という立場だし、ご尊顔を何度か拝見したことはあるが、確かに美しい殿方だ。だけど性格は高慢の一言。ちょっとエキセントリックなところはあれど、親しみ易い性格のヴァネッサとは正反対。あれではうまくいかないだろうし、実際あまりうまく行っていないようだ。


 一方の第二王子ジュリアス殿下はというと、わたくしはまだお会いしたことがないのだけれど、王家が運用する重要事業もいくつか任せられている方で、国王陛下からの期待度は明らかにこちらの方が高い。婚約者もいないそうで、未婚の令嬢たちはギラついている。それが面倒なのか、ご本人は昼行燈を気取って社交の場には滅多にお顔を出されない。少し女嫌いの気があるのかも知れないわね。王族や上位貴族の令息には珍しくない。


 だからわたくしは心配している。女性の愛人を作る代わりに小姓や従卒の少年に手を出す貴族は珍しくない。理由は女嫌いの殿方が多いからというだけではない。上下関係を明確にするため。騎士団などであれば、男性同士の結束を強くするため。そして何より、誤って望まれない子供が生まれないようにするため。主君の『お手付き』になることはそれだけ目をかけられているということで、殿方の間では名誉なことらしいのだけど――。


「ねえ、ジェフリー。ジュリアス殿下に嫌なこととか、変なことはされていないかしら?」


 そう問うと、ジェフリーはこてんと首を傾げた。かわいいなくそ。


「変なこととは、どういったことでしょう?」


「ほ、ほら、寝室に連れ込まれたりとか……」


「寝室でしたら、立ち入らせていただくことがあります。ジュリアス殿下は朝が弱いので、僕が氷魔法で叩き起こすのです」


「氷魔法で」


「はい。霜塗れにしたら一発でお目覚めになります」


「それ、不敬罪にならないの……?」


「国王陛下と侍従長殿が『やってよし』とおっしゃったので」


「ああ、そう……」


 有能でかつ昼行燈を気取っている――というのがヴァネッサから聞いた話ではあるが、昼行燈なところについては演技ではない部分もあるのかも知れない。いや、というかそこはかとなくわたくしと同じ匂いがしますわね……?


「他には?」


「たまにお尻を触られたりとか、メイド服で給仕させられたりとか……」


「――殺るわ」


 何やってんだ第二王子。ジェフリーの小さなお尻を触っていいのはわたくしだけよ!


「あ、あの! ジュリアス殿下は日々の執務にお疲れで、錯乱することがあるのです。ですから呪殺は――明るみに出たら我が家がお取り潰しに」


「いや、殺るわ。安心して、証拠は残さない。わたくし、そういうの得意なの」


「姉上ェッ!」


 ジェフリーの顔はそこらの御令嬢より断然可愛らしいのだ。一見冷たく見えるけど情に厚いし、近しくしていれば意外とよく表情が変わっていることに気付くだろう。


 本人は男子たるもの感情を表に出すべからず、と言い聞かせている節があるが、ジェフリーを常に傍に置いているジュリアス殿下がその魅力――ジェフリーの愛らしさ、その真髄に気づかないはずがない。


ジェフリーが『お手付き』になってしまう前に始末してしまいましょう。


 わたくしが悪い顔になっていると、ユリシーズが口を挟んだ。


「まあ、まあ、落ち着きなよリジィ。ジュリアス殿下とは後日『じっくりお話』する機会を設ければいいじゃないか。ジェフは僕にとっても弟のようなものだし、ジュリアス殿下とは僕も『じっくりお話』したい。なあジェフ。今度謁見の機会を設けていただけるように殿下にお伝えしてもらえるかい? 幸い僕らは気楽な学生の身分だ。時間はいくらでも空けられるからね」


 あら、あら。これはユリシーズも怒っているわね。普段怒らない分、本気で怒るとわたくしよりもだいぶ迫力があるのよねえ……。


「わ、わかりました。殿下に伝えておきます。しかしお会いになられるかどうかは……」


「まあわたくしは別に構わないのよ? でも殿下がどうしてもお会いにならないというのなら、あなたを宮廷から連れ戻すようお父様に具申するしかないわ。さすがに嫡男が『お手付き』になってしまったら、我が家も『中立』ではいられなくなるでしょうし」


「? 『お手付き』とはなんですの、お姉様?」


 横で話を聞いていたシェリーが疑問に思ったのか口を挟んでくる。ユージンは顔を真っ赤にしているからベラ夫人から教わっているのかも知れないわね。ユージンはジェフリーの側近候補だし、教わっていても不思議はないのかしら。まあ――教えないと男の子は無防備になってしまいがちだし、ベラ夫人の判断は間違っていないでしょう。


「殿方同士でのデリケートなお話よ。シェリーもいずれ教わることになるわ」


「まあ、殿方同士の秘密なのですね」


 シェリーの嫁ぎ先だとか婚約者は決まっていないけれど、シェリーなら良縁に恵まれるでしょう。その時に夫となる方が『お手付き』になった経験があったり、あるいは手近な少年を『お手付き』にしたりすることは十分にあり得ること。


 だから『お手付き』は殿方同士の慣習だけれども、淑女も知っておかなければならないことなのだ。もっとも、それは閨事について教わる時期を迎えてからの話で、シェリーにはまだちょっと早いと思うけれどね。


 ユージンについては、もう数年もすればジェフリーのように行儀見習いとしてどこか他の家――あるいは宮廷に出仕することも考えられる。侯爵家だと身内同然だし、どうしても甘くなってしまいますからね。ただユージンも綺麗な顔をしているから、『お手付き』になっちゃう可能性があるのよね。知識がないと拒絶することもできないから、早い時期に出仕させることを考えるなら妥当でしょう。


 寂しいとは思うけど、ベラ夫人も侯爵家にあまり負担をかけたくないと思っているのかも知れない。家族同然の関係なのに水臭いなあとは思うし、そもそも我が家としては貴重な光属性のユージンを囲い込んでおきたいんだけどね。


「それよりシェリー、チョーカーの調子はどう? うまく魔法は制御できていて?」


 いずれにしても八歳の子供に聞かせて理解できるような話ではないので、わたくしは話を逸らす。


「はい。最近では暴発も減っていて、お母様にも制御が上手になったとお褒めいただいています」


 シェリーの身に付けているチョーカーは、わたくしが研究の一環で作り上げた魔道具だ。


 闇属性は火、風、水、土、雷、氷、光、闇――八つの属性の中でもかなり特殊なものだ。そもそも、闇とは『光のない状態』を表すもので、『闇』というエネルギーや物質そのものが存在するわけではない。『虚無』と言った方が適切な属性で、その本質は『消す』ことにある。


 その典型例が『魔法の打ち消し』である。シェリーの身に付けているチョーカーは、放出される魔力量がある一定量を超えたら魔力を打ち消す機能が作動する、というものだ。わたくしがアカデミーにおける研究発表の一環として開発した魔道具で、特許の都合上まで市場には出回っていない。


「そのチョーカーが外せるようになるまで、慢心はだめだぞ、シェリー」


 そう言ってジェフリーが釘を刺す。言われたシェリーは小さく首を竦める。


 わたくしも定期的にシェリーの魔法を見ている。わたくしの見立てだと、チョーカーを外せるようになるには最低でも後一年はかかるでしょうね。恐らくジェフリーの見立ても同じようなものでしょう。


「それよりシェリー、服が泥だらけじゃない。一体何をして遊んでいたの?」


「土でお城を作って、お花で飾っておりましたの」


「あら、もうそんな器用なことができるのね」


 中庭の片隅にある花に埋もれた小さな盛り土がそれだろう。


「でもドレスを土で汚してしまうようではまだまだね。メイドたちを困らせるのは感心しません」


 男性陣が「誰がどの口で言っているんだ」と言いたげな顔をしているが、無視。わたくしはシェリーに向けて手をかざす。


「闇よ、深遠に沈みしものよ。穢れを飲み干しかみ砕け。『清潔クリーン』」


 小さな風と同時に、シェリーの肌や髪、ドレスに纏わりついていた泥汚れが消え去る。実はこれ、闇属性特有のそこそこ高度な魔法なのだけれど――可愛い妹のためだからよいのだ。


「まあ、すっかり綺麗になりました。ありがとうございます、お姉様」


「相変わらず魔法の腕前だけはお見事です、姉上」


 『だけ』は余計ですよ、ジェフリー。


 言いたいことはあったが、わたくしは素早く気持ちを切り替える。こういうのがわたくしのいいところである。


「そうだわ、皆揃っていることだし、おやつの時間にしましょうか」


「姉上さっきも何か食べてらっしゃいましたよね?」


「そうなのかい、リジィ? 太るよ?」


 わたくしの提案に、ジェフリーとユリシーズがそんなことを言う。わたくしは、ユリシーズのお尻を思い切り蹴った。「なんで僕だけ!?」と抗議の声が上がったが、わたくしがジェフリーのかわいいお尻を蹴るわけないでしょう?


 わたくしこれでも運動はしているんだから、問題はないの。

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