わたくしの弟なのだからズンドコかわいいにきまっている

先山芝太郎

第1話

 はぁ~、春の日差し降り注ぐ中飲む紅茶っていうのは、なんてこうも美味しいのかしらね?


 ここはグリトグラ王国。南北に並ぶ大きなグリ島とグラ島、それから我が故郷であるバタール島を含めた大小様々の島々が並ぶ海洋国家である。


 わたくし、ブリジット・ヒューストンはヒューストン侯爵家の長女だ。強い闇の魔力を示す黒髪と黒い瞳を持って生まれたわたくしは、社交に興味を示さない家柄もあって王立魔法アカデミーでのんびりと魔法の研究をしながら華の十代後半を過ごしている。


 ヒューストン侯爵家は代々強力な魔法師を輩出している家柄であり、領地であるバタール島でも独自に魔法師育成機関を設置、運営し、人材育成に励んでいる。わたくしブリジットもそのご多分に漏れず、魔法師を目指して修行中と言うわけ。


 わたくしの身長は女性にしては少し高め。スタイルはほどほど。闇属性の魔力を示す黒い髪と瞳はご年配の方々からは眉をひそめられることもあるが、自分では気に入っている。顔立ちはまあ、中の上と言ったところだろう。お父様曰く、わたくしは父方のお祖母様に容姿も性格もそっくりなんだそうだ。お祖母様もやはり闇属性で、当時は偏見もあって大変苦労なさったんだそう。闇属性は光属性ともども数が少ないから、今となってはむしろもてはやされているけれどね。


 そんなわたくしの元にも釣り書きはしょっちゅうやってくるのだけど、お父様にお願いして全部断ってもらっている。そりゃ、晩婚になると色々不利になるのは解っているけど、子供を産んで夫の陰になって支えるだけの人生なんてわたくしはまっぴら御免ですからね。闇属性の血が欲しいのはわかりますけれど、そのあたり、理解のある旦那様でないと。


 王都のタウンハウスの庭も悪くないけれど、お母様が趣味で整えている領地の御屋敷の庭は、やっぱりセンスが段違いね。お母様はとんでもなく強い土属性の魔力を持っているから、土いじりに関しては庭師顔負け。庭師の仕事といえば日々の細々した手入れくらいで、やることがないって嘆いているのが実情だったりする。普通貴族の奥方の趣味と言えば刺繍だったりするものなのだけど、この辺やっぱり血筋なのかしらね? でも使用人の仕事を取り上げるものではないと思いますわ、お母様。


 その点はわたくしときたら貴族令嬢の鑑。やらなくてもいいことはやらない主義。部屋の片づけなんて使用人に任せておけばいい。もちろん大事な研究に関する記録や資料はきっちりと確保しているから問題ない。殿方と違っていやらしい本なんて持ってもいないし、残念ながら女性向けの『そういう本』は今のところ出版されてもいない。正直、ちょっと興味はある。


 そんなことを考えながらわたくしは母上肝入りの庭の花々を眺めながら、本を片手にお茶とお菓子を優雅に楽しんでいた。


 ポリポリ。ポリポリ。


 ズズー。カチャン。


 さすがヒューストン家の使用人たち。お茶もお菓子もレベルが高い。


 「……ねうえ」


 普段はアカデミーに通うため王都のタウンハウスで過ごしているわたくしがヒューストン侯爵家の領地に戻ってきているのは、今が春休みだからだ。本来ならばお母様の手伝いくらいはしたいところだが、両親共に骨休めをしろと言ってくれていて、その言葉に甘えている次第である。


「……姉上」


 いや、しかし本当にお茶菓子がうまい。糖分が脳に回って読書が捗る。


 ポリポリ。ポリポリ。


 ズズー。カチャン。


「姉上ッ!」


「聞こえているわよ。なぁに?」


 侯爵家の使用人はきっちり教育が行き届いているので、わたくしが多少だらしなくしていたところで怒鳴ったりはしない。家庭教師のベラ夫人は笑顔で静かに苦言を呈すが(わたくしの唯一頭の上がらないひとである)、お父様もお母様も「社交の場でやらかさなければいいんじゃないか」と寛容である。


 従ってわたくしにこんな風に怒鳴り付けるのは今のところ一人しかいない。


「なんですか、そのはしたない食べ方はっ! ――ああっ、本にお菓子のクズが」


 わたくしの弟にしてヒューストン侯爵家の嫡男、ジェフリー・ヒューストンだ。


 父から氷属性を受け継ぎ、母から可憐な容姿を受け継いだジェフリーは、反抗期まっさかりでツンツンしていても絶賛可愛い。怒ると透けるような白い肌が真っ赤になるのが猶更かわいい。


 我が家は代々ものぐさで、社交には消極的なのだけど、ジェフリーは違う。我が家に生まれた人間か? と疑いたくなるほど生真面目だ。行儀見習いとして第二王子殿下の従僕を務めているジェフリーは、社交にも積極的である。実際、アイスブルーの真っ直ぐな髪や、サファイアのように輝く青い大きな瞳、変声期を抜けたばかりの涼しげな声、母親譲りの小柄で華奢な骨格。うーん、ザッツ可憐。


 くわえて十三歳にして宮廷魔術師顔負けの魔法の実力を持っている。属性が違うので単純な比較はできないが、知識はともかく技術や魔力量だけならわたくしよりも断然上。知識に関しても、ジェフリーは領地経営や軍学――侯爵家の跡取りとして必要な学問も学ばなきゃいけないからね。魔法学だけ学んでいるわけにもいかないから、もしジェフリーが本気を出していれば知識だって負けていたかも知れない。


 社交の場に積極的に顔を出しているのも、侯爵家のためだ。他家との繋がりは、しがらみも産むが、益も多い。その際たるものが情報で、社交の場で得た情報をお父様に報告するために、ジェフリーはこうしてちょくちょく領地の屋敷に帰ってくる。まあ、忙しいジェフリーは大抵一泊しかしないんだけど。


 そんな完璧すぎるジェフリーにも欠点はある。


 今でこそつんとお澄ましさんしているジェフリーだが、小さい頃はというとそれはもう泣き虫で内気で人見知りではにかみ屋さんで……女の子みたいに可愛かった。いや、実際わたくしのお古を着せてお母様や使用人たちと一緒にきゃいきゃいやっていたのだけれども。


 立派な「少年」になった今もそんな根本的な気質は変わっていない。ジェフリーは、初対面の相手と話したり、感情を表に出したりするのが得意ではない。特に異性に対してそれが顕著で、どうしても冷たい態度をとってしまうようなのだ。どの令嬢が粉をかけても冷たくあしらわれるものだから、『氷の貴公子』なんて呼ばれているらしい。わたくしからすると『雪の妖精』なのだけれど。でもまあこれは親友で同級生のヴァネッサ情報だから間違いないでしょう。


 そして――わたくしは知っている。存じ上げているのだ。


 ジェフリーが隠し通せていると思っているヒミツを。


 というかなぜ隠し通せると思ったのか逆に問いたい。それぞれの資質の部屋の掃除にしたって使用人の仕事である。


 ジェフリーは――かわいいものが大好きだ。


 どれくらい好きかと言うと『かわいいものが大好きだけど欲しいだなんて恥ずかしくて言い出せないからぬいぐるみやかわいい寝間着を自作しちゃうくらい』好きだ。


 当然このジェフリーの『秘密』は屋敷の住人なら誰もが知っている。それを隠し通せると思っている浅はかさがまたかわいいところなのである。とはいえ、嫡男として常に気を張っているジェフリーの、ささやかな楽しみを奪おうとするほど無粋な人間はヒューストン家にいない。ヒューストン家人一同、生暖かく……じゃなかった、微笑ましく見守っているのだ。


 なのでこんな風にわたくしに突っかかって来たところで『かわいい』以外の感想など浮かぼうはずもないのである。


「ふふ、ジェフは今日もかわいいわね?」


「聞いておられるのですか姉上!」


 わたくしがうっとりとした微笑みを浮かべてそう言うと、ジェフリーはさらに顔を真っ赤にして怒鳴り返した。


「聞いているわよぉ。肘をついて本を読みながら音を立てて食べるなんて論外! ご令嬢らしく、お行儀よく、品よくお茶とお菓子を楽しみなさいって言いたいんでしょう?」


「分かっておられるのなら」


「い、や♡」


「姉上ェッ!」


「だってぇ、わたくしあなたと違ってよほどのことがない限り私的なお茶会にしか出ないし、これでもよそではちゃんとしているのよ?」


「よそではって……姉上のいう「よそ」なんてヴァネッサ嬢のところかクラウン伯爵家のところくらいでしょう」


「まあ、そうね」


 わたくしはティーカップを音一つ立てずにソーサーに戻すと、あっさりとそう答える。わたくしだってやればできる子なのである。家庭教師であるベラ夫人は、優しくも厳しい教師であった。そりゃあもう厳しく――飴と鞭をうまく使い分ける夫人に、わたくしたち姉弟はマナーを叩きこまれたのだ。


 ヴァネッサ――ヴァネッサ・ウィリアムズはウィリアムズ公爵家の長女で、第一王子殿下の婚約者だ。そして王立魔法アカデミーにおける、わたくしの同級生でもある。


 王子妃としての教育をこなしながらも、彼女は火属性の魔法を研究している。言動は多少エキセントリックだが、王子妃に選ばれるだけあってスペックがまるで違う。ちなみに彼女の研究内容はかなりアレなのだが、それは後々話すことにしよう。


 クラウン伯爵家はヒューストン侯爵家が治めるバタール島のすぐ隣にある、ベイク島を治める貴族家だ。漁業権などを巡って揉め事が頻発した時期もあったが、今では両家の関係は良好で、家族ぐるみの付き合いをする仲である。代々優秀な武官を輩出している家柄だが、逆に魔法は苦手。現当主のグレゴリー・クラウン伯爵に至っては、魔法を毛嫌いしている節がある――クラウン家の面々は、基本的に魔法の扱いが苦手なのである。


 そのクラウン家の異端児がわたくしの幼馴染でもあるユリシーズ・クラウンだ。光魔法の優れた素質を持って生まれたユリシーズは、父君の反対を押し切り、軍医を目指して王立魔法アカデミーにて学んでいる。彼と私とは昔から気が合うのだが、わたくしは彼を男として見たことはないし、彼がわたくしを女として見ている様子もない。――まあがさつなところを散々見せているので仕方のないことだと思うが。


 さて、わたくしがお茶会やパーティの類に参加しない件についてだが、わたくしにも言い分はある。


そもそも王都の魔法アカデミーには、女学生自体がほとんどいないため誰かを誘う取っ掛かりも誰かからのお誘いもほぼないのだ。――いや、決してわたくしがモテないわけではない。


それに闇魔法は未知の要素も多いから研究の手伝いに呼びつけられることも多い。数少ないお誘いも忙しいからと断っていれば、自然とお茶会や夜会などに参加する機会もなくなる。


さらにもう一つ。我がヒューストン侯爵家は代々どの派閥にも属さない『中立』の家系である。もちろん王家への忠誠心は強い。現王朝が成り立った時から王家に仕えていた、歴史の古い家だ。ただくだらない貴族の派閥争いに関与するよりも、領地を善く治めることに専念しているだけである。


 もちろん中央で起きている出来事にまったく関与しない、というわけにも行かない。だからこそジェフリーが王宮に出仕していたり、おそらく本人はしたくもないであろう社交に精を出していたりするわけだ。人を見る目を養う意味もある。くわえて見た目が華やかな弟は、“観賞用”に夜会に引っ張り出されることもあると聞いている。これもヴァネッサ情報である。


 おそらく第二王子ジュリアス殿下が連れまわしているのだろうが、この件に関してはその内“厳重に抗議”させていただかなければならないと思っている。


 その件はともかく、わたくしは積極的に結婚相手を探す必要はないと思っている。『中立』を維持するのはそれなりに大変なのだ。婚姻相手も慎重に選ばなければならない。どうせ愛のない結婚になるのなら、お父様やお母様に『選別』していただいた方が安全安心だとわたくしは思っている。女としてかわいげがないことは解っているが、恋愛などと言うものに微塵も憧れはないのだ。


 ただまあ、四角四面な考え方をする弟が気を揉む気持ちも、わからないではない。


「それで婚期を逃したらどうなさるおつもりなんですかっ」


 ほら来た。


「どうもしないわよ? なんのためにわたくしがアカデミーに通っていると思うの。魔法で身を立てるためよ。結婚して子を産むことだけが女の幸せじゃないわ。それが女の幸せだと言うならねえ、ジェフ? どうして不倫をなさるご婦人方がいらっしゃるのかしら」


「ふ、ふっ、ふふふふり……そんなもの、夫に甲斐性がないからでしょう」


 そう言ってふんと鼻を鳴らす。


 なんでどもるのよ。不倫の二文字だけでもジェフリーにとっては刺激が強いのか。社交界で何しているのこの子。こんなおぼこくて大丈夫か?


「そうかも知れないわね。でもわたくし、この年までお勉強ばかりしてきたものだから、殿方を見る目を養ってきていないの。お茶会や夜会に行って、うっかり悪い男に引っかかったりしないか、とても不安だわ」


 わたくしが不安げな表情を作って言って見せると、ジェフリーが可愛らしいお顔をキリッと引き締めて言う。


「ご心配ありません。姉上に近づく不埒な男は僕がすべて追い払います」


 ん? いやいや、すべて追い払ったらダメでしょうよ。あなたさっきまでわたくしの婚期を心配していたわよね? うん、まあ、そういう若干ポンコツなところがまたかわいいのだけれども。


「でもまあ、少しは社交の場に顔を出すのも考えておくわ。ジェフにばかり負担はかけられないもの」


 かわいい弟に悪い虫が寄ってきているようなら一度釘を刺しておかなければならないし。


 いやだわ。わたくし、ジェフリーが結婚したら嫌な小姑になりそうね。


 それで社交の場に出ると言ったら言ったでちょっと不機嫌になる我が弟よ……。わたくしをどうしたいの。大方わたくしが結婚する相手を想像してやきもちでも焼いているんでしょうけれど。


「でもお茶会はともかく、夜会に着ていくドレスなんてないわね。ヴァネッサに相談しようかしら――でもあの子も忙しいし、ベラ夫人に王都まで来てもらおうかしら」


 ベラ夫人――イザベラ・ファルス男爵夫人はわたくしたちの教育係である。元々男爵家の夫人だった彼女が、夫を亡くし乳飲み子を抱えて途方に暮れていたところを、旧友であった母のアメリアが赤ん坊ごと拾ったのだ。


位の低い男爵家の女主人とは思えないほど優秀なベラ夫人は、屋敷に来てすぐに頭角を発揮した。今ではわたくしたちはもちろん、お父様やお母様も全幅の信頼を置いている。お母様も女主人として采配に困ることがあったらまずベラ夫人に相談するくらいだ。


「それこそ、最近のベラ夫人はシェリーとユージンにかかりきりですよ、姉上」


「ああ、それもそうね」


 ユージンはファルス男爵の忘れ形見で、ベラ夫人最愛の息子だ。侯爵夫妻――両親の厚意で、母子共々この屋敷に身を置いている。ちょうどシェリーと同じ年頃で、将来のファルス男爵家を継ぐ嫡男として、シェリーと一緒に貴族としての教育を受けている。


「なので、あの……その……」


 急に頬を赤らめてもじもじし始める我が弟。かわいい。あざとい。


 十三年も見守ってきた弟である。言いたいことはわかる。


「――ああ、そうだわ。ジェフはもう社交の場に出ているのだから王都の流行にも詳しいわよね。王都に戻ったら一緒にドレスを選んでもらえるかしら?」


 わたくしの言葉にジェフリーの顔がぱぁっと明るくなる。チョロい。かわいい。かわいいのだけれど、そんなにチョロくて大丈夫か、わが弟……。いや、さんざん甘やかしたのはわたくしなのだけれども、心配になってしまう。


 ジェフリーはすぐにこほんと咳払いをして居住まいを正す。


「し、仕方ないですね。姉上がどうしてもと言うなら、その、ええと、付き合ってあげなくもありませんっ」


 王都で二人でおでかけなんて初めてだからね。嬉しくてしょうがないっていうのはわかるけれども、この子こんなに感情が表に出ていて、社交界でやっていけているのかしら? 


 まあかわいいからいい――いや、かわいすぎるから問題なのだ。何かあってもわたくしが守ってあげるつもりだから問題ないのだけれど。


 闇魔法は色々と……そう、色々とできるので。


 そんなことを考えながら、わたくしはお茶のおかわりを注ごうと、ティーポットを手に取る。


「あら、空だわ」


「メイドを呼びましょうか」


「いえ、いいわ。ちょうど目が疲れてきたところだったし、一息入れます。シェリーとユージンもきっと庭で遊んでいる時間でしょうし」


 そう言って本を閉じると、わたくしは立ち上がる。


「剣呑な魔法を仕込まないでくださいよ。あの二人はまだ子供なんですから」


「属性が違うのだから無理よ。基礎理論をしっかり理解していれば応用はできるものもあるでしょうけど、そもそもあの二人は別に魔法師を目指しているわけではないでしょう」


 ジェフリーの苦言に、わたくしは「向いてないわ」と返す。持って生まれた属性によって、使える魔法は異なるが、違う属性でも似たような働きをするものは確かに存在する。風の刃、土の刃、水の刃、氷の刃。どれも根本的な働き自体は同じである。


 ただ属性が違うものに魔法を伝授するのは難しい。できないわけでもないが、基本的に無理だ。


「だからこの休暇中に護身術を仕込んでいるのよ。人体の急所とか、どのくらいの強さで叩けば致命傷になるかとか……」


「姉上ェッ!」

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