第39話

 先程の咆哮で、またしてもあの大百足がやってくると彼らは再び狼狽する。

 村正は恐怖の感情いろをこれでもかと色濃く滲ませる彼らに一抹の不安を憶えた。

 このままでは満足に戦えなさそうだ……仕手に迷いや恐怖が生ずればせっかく良い刀も、本領を発揮できない。しかし、先程の襲撃ですっかり恐怖を憶えてしまった彼らからこの負の感情を取り除くのは、そう簡単ではない。人の恐怖や心の傷トラウマとは、簡単に切り離せるほど浅く小さくもないのだから。


 しかし今はどうにかして彼らには立ち上がってもらわねばならぬ時。

 村正は彼らを鼓舞できるほど言葉を知らない。それでも誰かがやらねばとした、その矢先。



「狼狽えるな! 貴殿らにはこの某とここにいる村正殿の打った刀がある! 某らが絶対に負けることはない!」



 源頼光みなもとのらいこうの力強い言葉に、狼狽した者達もそうだと同意し戦意を取り戻す。やはりこの女侍がいてくれて本当によかった……士気も高まった彼らが一斉に方々へ散っていく様子を見送り、村正はあっと声をもらす。

 村正の挙措に、どうしたのかと朱音らが疑問を抱くのは当然で、きょとんと小首をひねる3人に村正は気にすることなく、それを手渡した。



「なんや、随分と立派な大太刀やなぁ」

「おぉー! ワシの薙刀、なんかめっちゃ感じよくない?」

「この包丁は……というか、なんで私だけ包丁なんですか!?」

「……朱音、華天。後は巴」

「ちょっとちょっとォ! なんかワシだけおまけ扱いじゃん!」

「実際そうだからな――まぁいい。とにかく俺はお前達に死んでほしくない。何があっても生きてほしい……そいつはお守り代わりだ。だから、必ず生きて帰る」

「村正さん……!」

「旦那様!」

「うんうん、ワシの召使はよくわかってるねェ――って危なっ!」

「遊ぶなよお前ら! いいから行くぞ!」



 3人を叱責した村正はその場を後にする。

 ふと空を見やった村正の顔付に険しさが帯びた。あれほど美しかった夜空を、暗雲があっという間に立ち込める。程なくしてざぁざぁと雨が降り頻り、暗雲の間を金色の稲光が雷鳴と共に煌めく。

 びゅうびゅうと吹く颶風ぐふうはさながら真冬のような冷たさを帯び、露出した肌を荒々しく撫で上げる。

 これが大百足ベルゼブブとの一大決戦だ……村正はそう確信した。

 きっと睨む村正の視線の先、大きくうごめく巨体が暗雲よりその姿を再び現す。金色に不気味に輝く四対の瞳の他、本来百足の生体には備わってないはずの巨大な羽を有している。カッと煌めく稲光が照らす模様は、まるで髑髏どくろのようでおどろおどろしい。

 大百足ベルゼブブの声が不気味に響き渡る。



「――、さて。それでは改めて魂をいだたくとしましょうか」

「させるかよ。ベルゼブブ……お前はここで俺達が斬る」

「おやおや、随分と威勢がありますね村正。では、それが虚勢かどうか、是非見せていただくとしましょう」



 大百足ベルゼブブの羽は力強く羽ばたけば、家々など枯れ葉の如く吹き飛んだ。

 しっかりと踏ん張らねば簡単に吹き飛んでしまう颶風ぐふうも一瞬でぴたりと止み、人々がほっと一先ずの安堵に息を吐いたのも束の間。地面から突如火柱が轟々と燃え盛ると、そこより恐ろしい怪物達が次々と出現したのである。


 悪魔だ――簡易的な肉体とだけあって、彼らの素体は死体が用いられている。腐敗状態が低く、じゅるじゅると開きっぱなしの口より滴る汁の異臭は思わず顔をしかめるほど強烈だった。

 それだけでも充分脅威となろう、その穢れ切った攻撃を受ければ破傷風などの恐れも十分にあり得る。注意して挑まねばならない……村正は腰の打刀にそっと右手を添えた。



「いくぞ! 某に続け!」



 源頼光の号令が開戦の合図となった。

 現世うつしよ常世とこよ、本来ならば決して同じ空間にあるはずのない勢力が正面より激突した。

 葦人あしびとの1人が悪魔を早速ほふった。

 恐るべきはその仕手は侍でもなければ妖怪でもない、都に住まうごくごく普通の市民にすぎない。剣術のけの字も知らないその男だが、彼の一太刀はあろうことか悪魔の首を断ったのである。


 通常人間の首は極めて難しく、古来より実在する斬首刑においても一度で成功した事例というのは実は少ない。

 骨と骨との間の、ほんのわずかな隙間を狙って断つ。動かぬ標的ですらも失敗する事例が多くあるというのに、ぴんぴんと動き回る健全な標的であれば至難の業なのは語るまでもない。

 ましてや下手人は一介の町人だ。戦うことさえもずぶの素人である者がいきなり斬首という高々度な技術を会得しているはずもなし――されど彼がもたらした現実は、正に不可能であろうと誰しもが断定しよう結果だった。骨と骨との隙間でないにも関わらず、村正の太刀は悪魔の首を斬った。


 ことりと落ちた悪魔の首が、風にころころと転がる。目をぎょろりと見開くその表情は驚愕に歪み、安らかには程遠い死相はこの場に一瞬の静寂を生む――次の瞬間、葦人あしびと達の雄叫びがその静寂を切った。

 悪魔をも怯ますほどの烈火の如き凄烈さで肉薄する彼らに、もはや恐怖の感情いろは微塵もない。



「この包丁、すごく斬れます! 扱いやすいしそれに――」

「なんや胸の辺りがポカポカするわぁ。これが旦那様の愛なんやね」



 狐火と共に華麗な剣舞を死を対価に披露する朱音と、軽快に大太刀と棍棒……2つの特大武器を軽々と操っては敵を葬る華天童子。それを横目にする村正は感嘆の域をもらす。



――あの2人、明らかに動きがよくなってる。

――俺の気のせい……じゃないよな、やっぱり。

――俺が打った刀の影響か?

――そんなことが……いやでも、悪魔に刀を打った時はなんか皆強くなってたし。

――その逆作用が働いたってことか。



 村正ははたと巴の方を見やった。



「ま、まさか生きている間に龍をこの目にすることが叶うとは……! 某、至極感服にございます!」

「ふっふ~ん、君はあそこにいる村正と違って礼儀を弁えてるねェ。今度君に加護を授けてあげる」

「は、ははぁ! ありがたき幸せ!」

「それにしてもこの薙刀、本当に斬れ味最高じゃん~。なんでもスッパスッパ斬れるしィ」



 龍娘である彼女に酷く驚いた様子の源頼光みなもとのらいこうと並んで誰よりも先陣に立つ彼女の薙刀は暴風となって悪魔を斬り刻んでいく。武芸に秀でた緋出巴ひいずるともえだからこそ成せる技だが、嬉々とした顔でぶんぶんと振り回す挙措はお世辞にも龍という神聖なる妖怪として相応しくない。

 あれではまるで与えられた新しい玩具にきゃっきゃと喜ぶ童も同じではないか……呆れつつも、しっかりと成果を出しているのはまぁ事実なので、村正は特に言及はしなかった。

 戦況の優劣が一瞬にして覆すこの瞬間を機に、とうとう村正も腰の得物を抜刀した。



「――、きれい」

「なんやその輝き……こんなんはじめて見たわ」

「ワシのよりきれいじゃね? 交換しよ交換」

「お前な……」



 鞘の中で眠っていた刀身が露わになるや否や、敵味方問わず視線を集めた。

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