第37話
けたたましい金打音を幾度となく打ち鳴らし、その度に火の粉が激しく飛び散る。ここの本来の持ち主は村正がやってきた途端悲鳴を上げて逃げ出し、憐れにも残された弟子達は異形と化した村正の左腕をただ畏怖と、しかし尊敬の念を込めてジッと見守るばかり。
さっさと師匠共々逃げればよいものを……既に室内の温度は尋常ではなく、既に限界であろうはずなのに彼らが決して根をあげようとしない。
倒れたって責任は一切こっちは追わないぞ……そう思う傍ら、死ぬ手前まで鍛冶師としてあろうとする姿勢に村正はいたく感心した。ふと微笑みを浮かべた村正だが、それはすぐに苦虫を潰すような
「くそっ……! こいつじゃ駄目だ」
村正が発したその言葉に周囲からどよめきが生じた。
何故なら弟子達は村正は失敗作だと下したその刀に見惚れていたか。
これほど美しい刀のどこか失敗作なのか……、熱気で今にも倒れそうなくせにして、そう尋ねた弟子の1人に他も同調するようにうんうんと激しく首肯する。
彼らは千子村正の弟子ではないので、いちいち答えてやる義理は村正にはない。それでも答えたのは彼らのひたむきな姿勢に看過されたか、それは当人もよくわかっていない。なんとなく、実に
「刀は斬れてこそなんぼだ。そのことについては否定しない。だけどその斬れ味も仕手があってこそはじめて真価を発揮する。仕手に握らせない刀なんて失敗作以外の何物でもないだろう」
――最初は普通に嬉しかった。
――地獄の力をまさか持って帰って生還するなんて思ってなかったからな。
――地獄の力を使って打った刀は必ずすごい刀になる。
――これで俺は天下に名を届かせられる……はずだったのに。
――できあがる刀はすべて妖刀ばっかり。
――まぁ当然だわな。地獄の力なんて大それた力、人間如きが扱えるわけがないんだから。
――仕手のいない刀……これほどつまらなくて駄作もそうない。
『
「駄目だ……これも違う!」
より一層顔に険しさを増した村正に、弟子達がひぃと短く悲鳴をもらす。
乱暴に投げられた刀身は、その先にあった棚を真っ二つにしてようやく壁に深々と突き刺さった。
強力な武器を作るだけならば、何も苦労などなかった。
実際、村正が打った刀は悪魔達にすこぶる評判がよく、もっと大量に生産しろと彼を称賛する声は多々あった。自分の刀が認められたがその顧客がすべて悪魔であるとは、なんとも皮肉は話である。
どちらにしても同じ悪魔であるから、彼らはなんら制限も背負うことなく扱えるが人間はそうもいかない。
村正はそれからも何度も何度も鉄を打った。
しかしできあがるのはどれもこれも、村正の意に反するものばかり。いつしか刃の小山が1つできた頃、この地獄に来訪者が3人やってきた。妖狐と鬼娘、そして龍娘に村正は振り返りもせず
「村正さん!」
「旦那様!」
「村正くん……!」
「――、ッ」
三人の手が村正の右手をそっと包んだ。
大した力は込められておらず、振りほどこうと思えばいつだって容易く実行に移せる。しかし村正はそうしなかった。三人の優しい温もりに包まれたまま、やがてゆっくりと右手の延長にある金槌を力なく、静かに降ろす。
工房を包む炎も静かに消失し、この熱気から解放されたことでついに弟子達が崩れ落ちた。顔色こそ優れてないが息はまだある。よくもここまで耐えたものだ、とそう感心する村正が彼らの介抱をすると、朱音が突然申し出た。
「村正さん、私もお手伝いさせてください!」
「えっ?」
あまりに予期せぬ朱音からの申し出には、さしもの村正も目を丸くした。
しかしながら村正はすぐに彼女のこの申し出を棄却する。力になりたい、その気持ちは確かにありがたい。
されど鍛冶師でない妖狐にできることなどあるはずもなく、返って足手纏いになるとして村正は判断した。せっかくの好意だ、面と向かって断るのも気が引ける……やんわりと遠回しに言及しようとした村正よりも先に、第2の協力者が口を切った――華天童子である。
「ウチも手伝わせてもらうわ旦那様」
「華天童子まで……! 2人共せっかくだけど……」
「困難に直面したら助け合う……それが夫婦です。村正さんの苦労、私にも分けてください。それで一緒に乗り越えていきましょう」
「せやで。今回はそこの妖狐に賛同やわ。ウチかて旦那様の力になりたい……夫婦やねんから」
「朱音、華天童子……」
「ワシも応援してあげる。なんてったってホラ、ワシ龍だし偉いし?」
「……それで何してくれるんだ?」
「ん~……よしっ、それじゃあワシは成功するように祈ってあげるよ。どう? 当然嬉しいよねェ?」
「……まぁ邪魔しなかったらいいか」
「あ~ひっどいなァ。もっと喜んでくれてもいいと思うんだけどォ!」
緊張が解けぬ状況なのに、村正はこの時間を心から笑った。
――本当にやかましくて、賑やかな奴らだ。
――そんなこいつらのどこに俺は何を期待したのやら……。
――もしかすると、今度こそできるかもしれない。
――根拠なんてものはないけど、今はそう思える。
根拠なき確信と共に村正は再びこの工房に熱を灯した。
さぁこれから鉄を打つぞ、と意気込んだ村正だが、そこで不可思議な光景を目の当たりにする。
手伝うことを申し出た朱音と華天童子だが、めらめらと燃える炎の前に鎮座すると両手をそっと合わせたのだ。炎に拝む彼女らに村正ははてと小首をひねって尋ねる。
「何をしてるんだ?」
「祈っているんです」
「何に?」
「村正さんが刀を完成させられるように、と――私が料理を作る時、いつも村正さんを思って作っています。村正さんに喜んでほしい、お腹いっぱいになってほしい、おいしいっていってほしい……その気持ちを今はこうして刀へ祈っているんです」
「誰かのためを思って作る……そこに妖力や霊力言うた力はないのに不思議な力を生む。祈るっていうんはホンマ、すごいって思うわ」
「誰かを想う……」
「――、お待たせしました。それじゃあちゃちゃっと始めちゃいましょう!」
工房に金打音が小気味よく鳴り響く。朱音の狐火が轟々と鉄を熱し、華天童子の怪力乱神がその鉄を叩き、巴が祈る――彼女に至ってはやかましさがないだけに返って不気味だったのは内緒だ。
「…………」
いつも1人で鍛冶を営んでいたばかりに、こんなにも大人数で作業に取り掛かることに村正はほんの少しの違和感と、それを凌駕する心地良さを憶えていた。
何故こんな大人数で鍛刀をすることに自分は心地良さを憶えたのやら……いくら自問を繰り返したところで、満足のいく解答は出ない――その矢先のこと、突然村正に結論へと到達させる切っ掛けが彼の脳裏にふとよぎる。
先の朱音の発言――誰かのためを想うこと。これについていざ
刀を打つ時はいつも自分の願望を優先して、村正は鉄を打った。
よく斬れて天下に名を轟かす、そんな名刀になってほしい――この気持ちについて嘘偽りは一切ない。刀の価値は斬れてこそにある、斬れぬ刀など刀に非ずゴミと一緒だ。
そうした
そうした先入観の一切を捨てて、村正は鉄を打った。
まず最初に数少ない
次に村正は朱音、華天童子、巴をあらゆる障害から護り生還できるよう想いを込めた。
相手を斬るのではなく、仕手を想う――ただそれだけのこと。別段難しいものではない、やろうと思えば誰にでもできる。
「――、これは……」
「きれいです……」
「ホンマ、めっちゃ美しいわぁ」
「これワシのおかげじゃね?」
少なくともお前ではない、と朱音と華天童子からの容赦ないかつ鋭いツッコミも、今の村正には路傍の石に等しかった。
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