第32話

 龍直々からの依頼とだけあって、村正の表情はいつになく険しい。

 今回の相手はかの大妖怪、大百足である。龍ですら封印するのが精いっぱいの相手を、これから斬る――かつての自分だったならば、そんな馬鹿なことあるか、とそう鼻で一笑に伏していたに違いあるまい。1年前、何もかもが狂ったあの日から千子村正せんじむらまさの人生はがらりと一変してしまった。その事実があるからこそ、現在いまの己があるのもまた然り。


 悪魔……ルシフェルらとの出会いが起点となるとはなんとも皮肉な話だ……自嘲気味に小さく笑った村正は、目の前の惨状について酷く頭を悩ませる。



「なんやこのお酒めっちゃおいしいわぁ。ほら旦那様もウチと一緒に飲もぉやぁ」

「村正さんお酌します!」

「いやなんでもういきなり宴会してるんだ!?」

「それにしてもこのお酒おいしいです……すいませんお替りあります?」

「ウチもぉ。はぁ~こんなおいしいんやったら父上が喜びそうやし、持って帰りたいぐらいやわぁ」

「あっはっは~! いやぁやっぱりお酒っていいよねェ。心の消毒剤って感じ!」

「我だってね、そりゃあ色々と苦労したわけですよ。多方面からどうか加護ください~なんてお願いされるもんだから必死にどうにかしてやろうって感じであちこち走り回ったもんだよ! そうやってこうして竜宮城なんて造って娘もできて、なのにあの大百足の野郎ってばよぉ――」

「…………」



 討伐する前から盛大なもてなしに村正のみがこの現実を受け入れられない中で、朱音と華天童子は遠慮もなしに酒や料理を堪能していた。先程の重々しい空気もどこへやら、酒が入ってすっかり上機嫌の巴の笑い声は心底やかましく、巌に至っては涙ながらに家臣に絡む始末で手に負えない状態だ。


 この状況を一言で形容するなら、混沌カオス以外に他はない。

 いささか……否、かなり緊張感が足りない彼らに村正は溜息を残してその場を後にした。



「まったく……さっきまでどうにかしてくれって言った奴の態度とは思えんぞあれは」



 巌への愚痴をこぼして、ふと村正は空を見上げる。

 蜃気楼によって外からでは決して見えないこの竜宮城から見やる月の美しさは、場所選ばずして相変わらず冷たくも神々しい。金色の輝きと夜ならではの静けさは自然と心に安らぎを与え、村正も立ち止まってぼんやりと月見を楽しむ。



「も~そんなとこで1人寂しく何やってるのさァ。あっちでワシと一緒に飲もうよ村正く~ん」

「…………」



 陽気でやかましくある声が村正の眉間にシワを寄せた。

 嫌々ながら首だけを振り返らせれば、大きな徳利を手にした龍娘がそこにいた。

 酒気を帯びた頬はほんのりと赤らみ、足取りは飄々ひょうひょうとして危なかしい。それでもこの龍娘はまだ飲み足りない、とそう言わんばかりにごくごくと喉を鳴らす。徳利に直接口を付けるという大胆っぷりは、目にして気持ちよさがあるが反面龍のイメージを彼女がことごとく破壊する。


 龍の神聖さをどうか損なう真似はしないでもらいたい……切実に願う村正を他所に、巴が村正の肩に細くてきれいな腕を回した。端正で健康的な顔がすぐ真横にある、正常な感覚の持ち主なら若くかわいい女子というだけでどぎまぎするだろうが、酒臭い彼女にどぎまぎなどするはずもなく――鼻腔をつんと突く臭いが村正の表情かおをより一層しかめさせた。



「んふ~、ワシみたいなこ~んなかわいくて強くてお得な女がいるっていうのに、どうしてそんな顔するのかなァ。君ちょっと失礼じゃね?」

「そういうのなら、まずこの酒臭さをどうにかしてほしかったな俺は……! とりあえず離れろ」

「あうっ――君ってば意外と初心? 照屋さん?」

「勝手にいってろ……」


 からからと愉快そうに笑う巴を背に、村正はばっと周囲を一瞥いちべつしてほっと胸を撫で下ろす。



――……よかった。

――こんなとこ朱音と華天童子に見られてたらどうなってたか……。

――浮気もしてないのにあいつらを気にかけないといけないなんて……。

――後、こいつ酒臭すぎだ!

――どんだけ飲んなんだよこいつは!?



 既に1つめを空にして、次の酒をがぶがぶと飲む巴の酒豪っぷりは鬼と同等かあるいはそれ以上と断言できよう。彼女に付き合わされた日には酔い潰れることを覚悟する必要がある――とはいえ、最初から付き合う気など更々ない村正は勧められる酒を丁重かつ必死に拒否し続けた。もしもこの時に大百足の襲撃に遭い、酔っていた所為で対処できなかったでは笑い話にもならない。

 是が非でも自分だけは素面しらふであらねば、と村正は固く誓った。



「ところでさぁ村正くん」

「……なんだよ」

「あ~いっけないんだァ。かわいい女の子の前でそんな顔すると君嫌われちゃうよォ」

「じゃあ逆にその酒臭さをまずどうにかしてくれ」

「それは無理」

「あっそ――それで、なんなんだ?」

「村正くんはさァ、大百足を討伐したらどんなことしてほしい?」

「どんなこと?」

「そっ! どんなお礼してほしい?」



 にやにやと顔を覗き込む巴からのこの問いに、村正は沈思する。

 特に村正は深く考えたことがなかったし、では今からではどうだと問われても何1つぱっと思い浮かばないのが現状だ。これより大きな仕事を成すのだから、相応の対価が発生するのは至極当然であるし村正は受け取る資格も義務もある。報酬欲しさに適当なことを要求するのはあまりにも愚行、後々になって後悔するのは明白だ。


 これについては、すべてが片付いてから結論を出しても遅くはあるまい……どんな報酬を願おうとも、生きて帰られば意味もなし。村正は巴に対し、首を横に振って答えた。



「今何がほしいとか言われても思い浮かばないのが現状だな。だからとりあえず保留にしておいてくれ」

「保留かァ。まぁいいけど――そだっ! せっかくだからウチが決めてあげよっか?」

「……え?」

「う~ん、と……それじゃあこんなのはどうかなァ? この竜宮城に住んでこのワシの世話を一生する係に就任するっていうのは!」

「何言ってんだこいつ」



 突拍子もなく提案されたかと思いきや、内容自体もあまりに馬鹿馬鹿しくてさしもの村正もつい悪態をついてしまう。報酬内容を決めるまではよくとも、依頼者にしか徳がない報酬など見たことも聞いたことも村正はない。よくもまぁこうも自己中心的になれるものだ……了承しないことがそんなにも不服なのか、ぶぅぶぅと文句を垂れる巴に村正はほとほと呆れた。


 他人事ながら、将来彼女の伴侶となった者はさぞ苦労するであろう。同時にどうすれば龍なのにこうもワガママな性格になるのか……村正はすこぶる本気で思った。



「どう? すっごく光栄じゃね?」

「どこがだ。明らかに事故物件だろ、誰がそんな報酬受け取るかっての」

「えぇ~! 龍に仕えられるんだよォ! 人間が龍に仕えるとか一生かかっても無理なんだから、光栄じゃん!」

「仕えたいと思える相手ならな――今のお前のどこを見て俺はそう思えばいいのか、是非とも教えてもらいたいもんだな」

「そんなの決まってるじゃない。ワシが龍で超絶かわいいから!」

「……そうか」



 どこからその自信が湧いて出るのやら……ふんと胸を張る巴に、村正はもう意に介さなかった。これ以上相手をしていては疲労が募るだけだし、この龍娘に調子に乗らせるのもそれはそれで癪だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る