第31話

 広々とした円形状の空間は100人を収容してもまだ余裕があるのに対して、玉座に腰を下ろすこの竜宮城の王――緋出巌ひいずるいわおを除き従者の数は極めて少ない。彼らは剣や槍で武装したわけでもなく、立派な着物を纏っていておおよそ兵士には見えない。非戦闘員ばかりが集う玉座の間、村正は豪華絢爛な内観に驚くよりもこの現状に疑問を抱いた。

 そういえば、と村正はふと思い出す。

 竜宮城までの道のり、通った城下町の人の気配の皆無さも今思えば違和感があった。

 あれではまるで廃町ゴーストタウンそのものではないか……冷静に思慮を巡らせば、あれほど立派な町並みで1人の住人とも遭遇しないのは、これは普通ならありえないことなのだ。

 広さが現在いまは物寂しい中で、まず巌が口を切った。



「――、貴殿はこう思っているのだろう……どうしてこんなにも人が少ないのか、と」

「……えぇ」

「……今、この竜宮城――もとい我ら龍族は最大の危機を迎えているのだ」

「それはどういう意味ですか?」



 重々しい口調で巌が事の詳細を語れば、数少ない彼の家臣達がさめざめと泣き出す。あの天真爛漫、じゃじゃ馬娘という印象の巴ですらも先程までの太陽のような笑みは今や雲にすっかり覆われてしまっている。

 異様ともいう空間はますます村正達を混乱に陥れた。



「――、ある日のことだ。ちょうど都に瘴気が掛かったのとほぼ同時期。奴がこの竜宮城に現れた」

「奴とは?」

「……大百足。遥か古の時代、龍族と相対してきた妖怪だ」

「大百足ですって……!」

「こらまた信じられへん相手やなぁ……」



 朱音と華天童子が驚くのも無理もない。何故なら大百足とは遥か昔に猛威を振るい、葦原國あしはらのくにに災いをもたらすほどの大妖怪なのだ。その名が示す通り大百足はとにもかくにも巨大で、標高四町およそ436m実神山みかみやまを七巻き半するほどと文献にも残されていることから、その巨体おおきさを予測するのは容易い。

 そして何よりも恐ろしいのは触れただけで一瞬で対象を融解する猛毒でも、堅牢な鉄壁をも砕く牙でも咬筋力でもない。大百足が真に恐れられるのは、その凶暴性と獰猛さにあった。人間であろうとなかろうと、視界に入る者は皆等しく大百足の獲物と化す。



――確か、大百足は龍族によって実神山みかみやまに封印されたって話だったはず。

――その時にかなりの龍族が死んで、個体数も少ないみたいな話もあったな……。

――大百足が、まさか復活したのか?

――誰かが封印を解いて……いや、それは絶対にない。

――大百足はガキの頃からどれだけヤバい妖怪かってのは聞かされる。

――そうと知って解く馬鹿がいるのか……?



「大百足め、封印によって弱まった力を補わんとまず我ら龍族を狙ってきたのだ。我らも応戦したが、弱体化したといっても大百足の力は強大で追い返すのが精いっぱい。それも同胞を犠牲にしてようやくだ」

「それでこれだけ数が少なかったのか……」



 大百足の復活……いずれにせよ、これは都だけでなく国の存亡に大きく関わる。

 もしも大百足が一度でも暴れようものなら、高天原など一夜もあれば滅びよう。すべての妖怪が終結しても勝てるか否か、こればかりは想像がつかない。予想の範疇はんちゅうを遥かに凌駕する事態に村正は酷く焦った。

 巌の先の口振りから、大百足はまた竜宮城へやってくる。力を取り戻すために龍の神通力を狙わんとする、だが討つ好機は今しかない。大百足が全盛期の力を取り戻すよりも先に討伐する……しかし、と村正はこの時強い不安を抱いた。


 自分が大百足をどうこうできるのか? ――未だかつて挑戦したことのない今回の試みは、村正の胸をきゅうっと締め付ける。相手が単なる妖怪であればこうも彼が不安に苛まれることもなかったろうが、如何せん今回の相手妖怪は悪すぎる。一介の鍛冶師がどうこうできたら、今頃彼ら龍族がこうも苦労することはない。

 そんな村正に巌がここでまさかの行動に出た。なんと巌は玉座から腰を上げるとその場にて頭を深々と下げたのだ。



「どうか頼む。その力、我らに貸してはくれないだろうか?」

「うえっ! ちょ、ちょっと何やってるんですか頭上げてくださいって!」



 王が市民に対し深々と頭を下げる、これは自らの権威を失墜させるだけでなく家臣らの信頼をも損なう大変危険な行為であった。王は堂々たる振る舞いを常に示さねばならない、民衆を導く者の責務ともいえよう。いつも弱腰で、家臣らの顔色をうかがい、おどおどとする王など果たして誰が慕い、従おうとするだろう。

 ましてや緋出巌ひいずるいわおは龍だ。崇められる側にいる龍に頭を結果的に下げさせたとして、村正は激しく狼狽した。案の定周囲はざわつき、巴も己が父の言動には目を丸くする始末。悪いことをしてないにも関わらず、村正の胸中では罪悪感が芽生える。



「お、俺はあくまで一介の鍛冶師です! その、俺が仮に力を貸したところでどうにかできるという自信は正直にいってないんですが……」

「貴殿であれば、この状況を打破できると信じるに値する根拠ならばある」

「それは――」

 どこに根拠があるのでしょうか――こう紡ぐはずの村正だったが、ここで予期せぬ人物が彼の前にすっと姿を見せた。何故お前がここにいるのか…… 意外であれば意外である。どのような経緯があってこの烏天狗が龍に招かれたかは、それはおいおい尋ねるとしてとりあえず――村正は疾風丸に殴り掛かった。特段理由などない、強いていうのであればなんとなくむかついたから、と実に曖昧あいまいな理由だ。



「危ねっ! い、いきなり殴るとか何考えててやがんだおめぇさんは!」

「うっさいわ。そのニヤついた顔やめろ」

「ったく……あっしがここにいるのがそんなに驚きかい?」

「――、そりゃそうだろ疾風丸。お前みたいな文屋が龍に招かれるなんて、それこそ天変地異でも起こらないと無理だろ。というかあれか? お前がここにいるから大百足の封印が解かれたんじゃないのか?」

「辛辣すぎる!」

「彼ならばこの我が招いたのだ。先の事件を解決した立役者真実を知りたかったのだ」

「……あの瓦版が嘘だと気付いたんですか?」

「こればかりは長年培ってきた勘ではあるがな。瓦版では源頼光……あの者もかなりの武芸者であるが、魔に対する耐性は差ほど強くない」

「驚きましたよ、いきなりこの竜宮城に連行されたと思ったらあっしにあの事件について真相を聞かせてほしいって言われた時はあっしもう心臓が飛び出しそうに……」

「――、そこで俺をこうして招いた、と」

「うむ。そこで貴殿を招こうとした我らよりも先にこの馬鹿娘が1人先走ったのだ。大方都で騒ぎを起こせば貴殿がくると踏んだのだろう――まったく、数多くの関係のない人間をあぁも巻き込み無とは……」

「で、でもでもォ! 実際にあぁやって村正くんとは戦って実力を測れたことだし結果オーライってやつじゃん!」



 そこで死んだらこの龍娘はどうするつもりなのだろう……必死に言い訳をする巴に、村正は呆れた様子で小さく溜息を吐く。このお転婆ぶりから彼女の父たる巌もさぞ苦労してきたのだろう、しかし口調こそ呆れているが娘を見やる瞳は温かい慈愛に満ちていた。



「……改めて村正殿。どうか我々に力を貸してくれぬか?」

「……龍からお願いされたとあったら、さすがに嫌ですとは言えないわなぁ――わかりました、どこまでできるかわかりませんが、できるとこまでやってみようと思います」

「おぉ、すまない村正殿。貴殿の優しさと勇気、まことに感謝する……!」

「よろしくねェ村正くん。期待してるよォ?」

「お前はもっと礼儀正しくできんのか巴!」

「あいたぁぁァッ!!」



 ごつん、という痛々しい音が玉座の間に鳴り響いた。

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