第29話

 終始おちゃらけた態度は鳴りを潜め、瞳の奥底でぎらぎらと燃ゆる闘気が鋭い眼光となって村正を捉える。恐らく次ですべてが決まる……察した村正は打刀の柄をぎゅうっと強く握り直した。



「それじゃあ――いっくよォ!」



 どんと力強い震脚が大気をどんと打ち震わせれば、唐之大橋がぐらりと揺らぐ。さながら地震と紛うに値する振動に村正は瞼一つ閉じることなく、その目をこれでもかと限界まで開いて肉薄する敵手を瞳の中に捉え続けた。この瞳を閉じる時は、己が勝利を掴んだ後のみ。その勝利を掴むまでこの目は決して閉じない……そう自らに固く誓って。

 今の女武者は斬撃の竜巻だ。少しでも飲み込んだものをばらばらに斬り刻む。

 村正に退路は……一応あるが彼自身にその気はなく、青年は大上段の構えを維持したまま迫りくる竜巻と対峙した。

 そしてついに、その時が訪れる――。



「――――」



 千子村正せんじむらまさは鍛冶師で、剣客ではない。

 型もなければ技もなし。従って技名などという大層なものはないが、たった1つだけ村正はこう名付けた――神喰かむくら、と。

 しんと静まり返る唐之大橋の上で、彼らはじっと互いを見据えていた。

 双方共に動くことなく、ただ沈黙の中で視線を交える。



「――、俺の勝ちでいいよな?」



 不意にその静寂を破った村正が自らの勝利を宣言すれば、呼応するように彼の足元に鋭利な刃が深々と突き刺さった。妖刀鍛冶師の刀と技が竜巻を両断した――女武者は根元から刀身のない薙刀だった物を握り締めたまま唖然として――だがすぐに、その顔に笑みを貼り付かせた。



「いやァお見事お見事。やっぱりワシの目に狂いはなかったみたいだねェ。うんうん、さすがワシって感じ!」

「えっと……なんなんだ、本当に」



 からからと心底愉快そうに笑う女武者には村正も、きょとんと小首をひねる。

 悔しがるわけでもなく、何故彼女がこうも嬉々とするのか皆目見当もつかない村正は、ひとまず勝利したことを改めて確信して静かに納刀した。


 女武者が手を叩いて村正へと歩み寄る。彼女としてももはや戦う気はないらしく、しかし村正の手をぎゅうっと握ったことで状況は一変した。両者の戦いをそれまで黙して見守っていた2人の妖怪娘らが怒りを露わにして、女武者へとどかどかと詰め寄る。



「ちょっと人の夫に触れないでもらえますか?」

「せやで。あんたがどこの誰かは知らんけど、旦那様の正妻のウチが黙っとる思たらえらい目ぇ見させるで?」

「そうなの? まぁそんなことはどうでもいいじゃん。それよりもさァ、君今暇? ていうか暇だよねちょっとさァ、実は困ったことになってるからちょ~っと君にはワシのお手伝いをしてほしいなァ」

「は、はぁ? お、お手伝い?」

「さっきからなんなんですか!? いい加減にしないとぶっ飛ばしますよ!」

「ウチもう我慢できひんわというわけやから旦那様ちょっと目の前で血肉団子できるけど堪忍してや?」

「いや何物騒なこといって――」



 村正が最後まで言い切るよりも速く、華天童子の金棒が橋に大きな穴を作った。

 その一撃はさながら雷の如し。地を砕く音はまるで雷鳴が轟くかのよう。六尺余寸およそ180cmは優にあろう鉄塊を片腕でぶんぶんと棒切れよろしく操るのが可能なのも、彼女が鬼……しかも朱纏童子最強の鬼の血を引くが故か。いずれも直撃すれば彼女が宣言したとおり血肉団子1つ作るぐらい造作もなかろう。


 もっとも――



「ちょっとちょっとあっぶないなァ! いきなり人様に向かって棍棒振り下ろすとか君頭のネジどっか飛んでるんじゃないのォ!?」



 どれほど強大な力であろうとも直撃しなければ意味がない。

 華天童子の金棒の先に、既にあの女武者の姿はなかった。擬宝珠ぎほうじゅの上に器用に飛び乗り正論すぎる文句を華天童子へとぶつける。とりあえず本当に血肉団子ができなかったことに安堵して、いやそれよりも先の発言はいったいどういう意味なのか……続いて第二撃目へ移ろうとする華天童子を制止しつつ、村正は女武者へ尋ねる。



「……さっきお前が――」

「あ、ちょいタンマ。ワシってばまだ自己紹介してなかったね――ワシの名前は緋出巴ひいずるともえ。歴とした蜃龍の娘さ!」

「……は?」

「……え?」

「なん……やて……?」



 意気揚々と自己紹介をした女武者――緋出巴ひいずるともえに村正も朱音と華天童子も、ぽかんとした。なんだかとてつもなく凄まじい名が出たような気がする……きっと自分の気のせいだろう、とそう自らに言い聞かせた村正は再度彼女の名を尋ねた。



「えっと……自己紹介してもらって悪いんだけど、もう一回言ってもらっていいか? あぁ名前じゃなくて……誰の娘って?」

「ん? だ~か~ら~、ワシは蜃龍の娘なの!」



 ほらと巴が己の頭を指差せば、さっきまではなかったのに双角がぬっと伸びていた。

 鹿のような形状をしていて、ほのかに白く輝く光は優しい。



「……嘘だろ」



 聞き間違えなどではなかったと思い知った村正は驚愕を禁じ得ない。

 何故なら巴の親が龍――妖怪において気高く雄々しく、富と繁栄、守護をもたらす存在として古くから人間達に崇められる唯一無二の存在なのだから。生まれながらにして龍という種族は他の妖怪とは一線を画す、というのも彼らは妖怪の力である妖力ではなく、神通力をその身に宿している。

 性格も比較的温厚で他種族との争いは好まない、だが逆に自ら関りを持とうとする個体はほぼ皆無に等しい。龍は目立つことを何よりも嫌う種族なのだ。



――噂には聞いたことがあるぞ……確か龍を見たら幸運が訪れるとかなんとか。

――自らの手で探し当てた者を称えるからとか、だっけか?

――でも、龍に遭遇して実際に信じられないぐらい出世したっていう話もあるぐらいだ。

――未だ信じられないけど、こいつが龍だっていうんなら……俺の刀も有名になってくれるかも!

――ど、どうする? とりあえず拝んどくか……!



「ま、まさか龍のご息女でしたとは! いやお会いできて光栄ですはい」

「ホ、ホンマですわぁ。ウチいっぺん龍はんにはお逢いしたいと思てたんですぅ」

「おいおい……」



 巴の正体が龍だとわかった途端、ついさっきまで殺意を隠そうともせず華天童子に至っては血肉団子にせんとしたくせにして、今は思わず呆れるほど腰が低い。彼女恩寵おんちょうにあやからんと誇りをあっさりと捨てる彼女らに、村正は呆れた様子で溜息を吐いた。



「――、話を戻してもいいか? 仮にお前が、その……」

「仮にじゃなくて龍だってば!」

「……じゃあその龍の娘がどうしてこんなことを? いったい何の目的があって通る人に喧嘩を吹っ掛ける真似をしたんだ?」

「その答えについては、一緒に来てもらってからでもいいかな? ここじゃなんだしねェ」

「……え?」

「君、胸を張っていいよォ。なんてったって歴史上我が家に来たのは君がはじめてだからね!」



 この龍娘ははて何を言っているのだろう……巴の言葉の真意を理解できず、ただ彼女の背を怪訝な眼差しを送る村正だったが、次の瞬間――濃厚な霧の中から突如としてそれは彼らの前に姿を見せた。この唐之大橋の真下には、国一番と称される巨大な湖――備環湖びわこの水が大きな川となって流れている。


 そしてこの備環湖びわこには古くから数多くの逸話があり、その内の1つにはこうあった――備環湖びわこの深き底には龍達が住まう宮殿がある、と。



――まさか……本当にあるのか!?

――あれは誰かが作った話じゃなかったのか!

――竜宮城……生きてる内にお目に掛かれるなんて……!



「さぁ、それじゃいこっか!」



 霧の向こう側、立派という月並みな言葉ではあれどそれ以外で形容するに相応しい言葉はなし。巨大な宮殿に村正はただただ驚愕した。

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