第28話

 彼らのためにこの奇怪な事件を解決する……そんな大儀や使命感は村正にはない。

 唐之大橋が使えなければ困るのは村正もまた同じなので、彼は自分自身のためでしか動いていない。後は鍛冶師だからこそ、女が持つという刀と己が作刀……どちらが優れているか試したいという気持ちもあった。



「村正さん、いざという時は……」

「ウチらが相手するさかい」

「本気で危なくなったら頼む――とりあえず、まずはご対面といくか」



 唐之大橋に足を踏み入れてから、どこからともなく白く濃い霧が覆い始めた。

 これも例の女……否、妖怪の仕業であろう。三寸先を見るのがやっとの中、村正はついに件の女をその視界へと収める。一見すれば足軽が纏う御貸具足おかしぐそくだが青と白を主とした色合いに黄金の装飾と造りが明らか一般のそれとは違う。特に見る者の目を奪うのは胴当てにでかでかと描かれた龍巴の紋様だった。

 雪のように白い肌と、同じくうっすらと桃色を帯びた純白の長髪をふわりと靡かせて、女武者が一歩前へ歩を進める。



「――、ん~? 次は君が相手してくれるのかなァ?」



 手にした薙刀が空を切り裂く。ごうと大気を唸らせた刀身は幅広く反りも深い、刃長はおよそ三尺およそ90cmと長め。それを含めて軽く見積もっても九尺(およそ270cm)以上はあろうにも関わらず片手で器用に操る技量は女人ながら見事という他ない。

 彼女が妖怪だと比喩されても違和感はない……身構える朱音と華天童子を手で制した村正も一歩前に出る。



「俺達はそろそろ家に帰らないといけないんだ。どうしてお前がこんなことをするかわからないけど、見境もなしに襲うのは止めといた方がいいんじゃないか?」

「あっはは! そういうわけにもいかないんだよねェこれが。まぁとりあえずこの橋を渡りたかったらワシを倒していくしかないよ?」

「そうか。それじゃあ仕方ないな」



 村正はまっすぐと進む。彼のこの行動に女武者がきょとんとした。

 腰の刀も抜かず手ぶらで堂々と渡ろうとするのだから無理もない。村正を見守る朱音と華天童子でさえも彼のこのあまりに奇怪な行動には困惑を隠せない様子だ。



「ちょっとちょっと。まさか手ぶらで勝てるとか思ってたりする?」

「だからいわれた通り“はし”は渡ってないぞ」

「へ?」

「俺が渡ってるのはじゃなくて中央だ。それなら文句ないだろ?」

「ん~……あ、なるほどそういう。いやぁワシうっかり――ってそんなわけないでしょ!」

「……やっぱり駄目か」

「それ今都で流行してるとんちんさん物語に出てくる頓智とんちじゃん! は~いだめだめそんなの、そんなズルはワシが許しませーん」

「……どうしても駄目か?」

「駄目!? とにかく通りたかったらこのワシを倒すこと! それしか君達に選択肢はないし、それに……ちょっとワシらには時間がないんだ」

「……どういう意味だ?」

「それはさァ、これでちゃんと答えてあげるよ。だから君も遠慮なく打ち込んできていいよ。特に君には期待してるんだァ、妖刀鍛冶師の千子村正せんじむらまさくん?」

「……妖刀妖刀って、そっち方面で有名になってもなぁ」



 ゆっくりと迫る女武者に、村正は腰の打刀を鞘から抜いた。

 長柄武器の最大の利点メリットは、なんといってもその長さにある。

 安全圏からの攻撃を可能とし、斬撃のみならず刺突や石突による打突をも可能とする。逆に白兵戦……とくに密集している状況では不向きな武器ともいえる。

 一対一のこの状況は、正に薙刀と利点を最大限に生かせられよう。全長が三尺およそ90cmの村正の打刀では少々分が悪い――もっともこれは彼女が安全圏にいることが前提条件であって、間合いにさえ入れば戦況はたちまち変わる。


 間合いに入ること。これは至難の技であるが、乗り越えさえすれば勝機はある。故にまず村正は全速力で肉薄することから始めた。何の策もない、間合いを詰めることのみに重きを置いた直線は正しく愚直そのもの。後先をまったく考えない、だからこそ電光石火の迅さを可能とする。



「あっははァ! 君すっごく速いねェ――だけど、それじゃあワシには届かないかなァ?」

「――、ッ!」



 眼前を一陣の銀閃が通過する。

 ひゅんと鋭い風切音を奏でるそれの正体は女武者の薙刀で、恐るべきはその圧倒的な速さと青銅でできた擬宝珠ぎほうしゅをも難なく真っ二つにした切れ味。危険を察知した村正は咄嗟に背後へと半歩飛んだ。

 結果、直撃を免れたが今の一太刀は度肝を抜くに十分に値する。血の気が引いた青い顔に一筋の冷や汗をつぅと流した村正は、そのまま続けて女武者との間合いを大きく空ける。



「へぇ、今のよく避けたねェ。君、ホントに鍛冶師なのかなァ?」

「鍛冶師だよ、これでもな」



 精いっぱいの虚勢を張る村正とは対照的に、女武者はからからと愉快そうに笑う。

 命をやり取りをしているというのに、まるでこれが遊戯ゲームだといわんばかりに楽しんでいる……女武者の異常性に気圧される間もなく、村正は次の一手に思考するために時間を裂いた。



――なんて恐ろしい切れ味なんだよ。

――あの薙刀、一目見た時から業物とは思ってたけど……。

――得物だけじゃない。この女武者、やっぱり強い……!

――さっきの遠心力を加えた一太刀、下手すりゃこっちの刀がへし折られてたぞ。



 女武者の手中でぶんぶんと振り回される薙刀。一部の隙も無く、そしてただ意味もなく振り回されているわけでもない。あれはいわば斬撃の防壁だ。安易に間合いを詰めれば切り裂かれ、逆に退いても相手はただ悠然と間合いを詰めればよい。幸いなのは後ろが行き止まりではないこと、本気で退却をすれば少なくとも命は助かろう。


 村正は、3歩で立ち止まった。

 後退という選択肢を除外した村正が次に取ったのは大上段の構え。

 剣術の構えにおいて上段は別名火の構えと例えられるぐらい攻めに特化した強力無比な型であり、故に読まれやすい。次の一手が上段であるとわかれば対処もしやすい。それがわからぬほど村正も愚かではない、しかし剣術家ではない村正はこの上段をこよなく用いた。


 やれ技術だの、やれ読み合いなど、村正の性にどれも合わない。鉄を打つその一打に全身全霊ありったけを注ぐように剣も同様に一太刀に全身全霊ありったけを注ぐ。



「――、ふ~ん。君よっぽど上段の構えそれに自信があるんだねェ。さっきとはまったく別人じゃん。ワシ驚いちゃった」

「……悪いが、俺は素人だからな。生粋の剣士なら難なくできるんだろうが、どうも加減っていうのが下手くそなんだ。だから先に謝っておく――殺してしまったら、すまん」

「ん~! いいねいいねェ。君最高だよォ――もしかしたら君かもしれないね」



 にっこりと笑って――女武者の顔付が一瞬にしてがらりと変わる。

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