第25話

 今日も相変わらずの快晴。

 微風に乗って清々しい青空をゆったりと眺める雲をぼんやりと眺める。

 朝からずっと、村正は縁側にてすごしていた。鍛冶師としての仕事もせず、ただただ穏やかな空気の中でのんびりとすごすだけ。他者によっては怠惰であると忌み嫌うだろうし、正にそのとおりだと村正自身も思っている。

 だが、たまにはのんびりしても罰は当たるまい……湯呑を満たす茶をズズッと啜ってほぅとひと息。



「――、だから今日は私が村正さんの昼餉を作るっていってるじゃないですか!」

「はぁ? ウチが正妻なんおすから、旦那様に食事の支度をするのは当然と違いるおすか??」

「正妻はこの私です! わ・た・し! 後から来たくせに正妻面するのいい加減やめてもらえます!?」

「後も先も関係おまへん、大事なのは結果おす。結果こそがすべてなんおす」



 そんな穏やかな時間を害する不貞な輩に、村正は少々手厳しい。ぎゃあぎゃあと激しい口論にうんざりとした面持ちで村正が声のする方を見やれば、2人の妖怪がいがみ合っている。

 片や九尾の妖狐葛葉朱音で、もう片方は最強の鬼の娘華天童子――いずれも強大な力を保有する妖怪で、今にも取っ組み合いに発展しかねない両者に村正は溜息交じりに腰を上げた。喧嘩をするな、とは村正も口にしない。完璧に同調できる人間などこの世には存在しない、妖怪もまた然り。対話による解決が不可能ならば拳を交える、それもまた1つの手段だろう。

 だが如何せん彼女らの場合は拳による方法があまりにも多すぎた。つい先日もそれで家が倒壊しそうになったのを、もうすっかり忘れているらしい。

 いい加減2人には学んでもらいたいものだ……村正は朱音と華天童子へと歩み寄った。彼がすぐ真後ろにいるというのに、この狐娘と鬼娘はその事実にすら気付かぬほど互いに熱中していて見向きもしない。



「大体あなたはですね――」

「あんたはなぁ――」

「お前らちょっといい加減にしろ!」



 頭頂部に村正の拳骨が鋭く両者へ打ち落とされた。鈍く重たい音の後に悶絶する彼女らの呻き声が低く響く。妖怪であろうとなかろうと一切関係ない、悪いことをしたのならそれを咎めるのもまた大人の役目だ。



――こいつら、年齢なら俺よりずっと上のはずなのに。

――なんでこう、やることが外見相応なのかねぇまったく。

――これじゃあ保護者となんら変わらんぞ……。



「い、痛いですよぉ村正さん……!」

「いきなり叩くなんて酷い人やわ旦那様ぁ……!」

「お前らがいつもいつも喧嘩ばっかりするかだろうが! 仲良くしろとは俺もいわないが、ちっとは静かにできないのか?」

「だってこの鬼娘が!」

「だってこの狐娘が!」



 だってだってと互いに責任を擦り付け合う朱音と華天童子に村正が深い溜息を吐いた。

 異なる種族であれど彼らは元を正せば妖怪。同族嫌悪をするなら余程過去に大きないざこざがあった時ぐらいなものだが基本彼らの交友関係は広くて深い。

 しかしながら異性――特に結婚が絡むとどうも違うらしい。

 両手には花と他人は軽々しく揶揄するが、その花に挟まれた側は堪ったものではない。

 彼女らが人間であれば苦労も今ほどではなかった。村正も男だ、女性の軟な力に負けるようでは鍛冶師など務まるはずもなし。ただ相手が妖怪となると一筋縄ではいかず。失敗すれば大怪我をするのは人間の自分になってしまうのだから。



――毎度ながら、こっちの胃はいつもキリキリ痛んでるんだぞ。

――その苦労を知りもしないで毎度毎度ぎゃあぎゃあと……!



 この妖怪娘がきてからというものの、それまで滅多に吐くことのなかった溜息の回数が明らか増えていることに村正は気付いていた。溜息の分だけ幸せが逃げるというのなら、もうとっくに枯渇していてもおかしくない。悪魔に妖怪と、絡んでくる相手が人外ばかりなのもきっとその所為に違いない。やはり自分はとても不幸な人間だ……村正は力なく乾いた笑い声をもらした。



「――、一度きちんとお払いにいった方がいいのかもしれないなぁ」

「あ、そ、それでしたらこの私にお任せください! 私がパパッと村正さんを幸せにしちゃいますよ!」

「いや却下で。余計疲れそうだから」

「ひ、酷い!」



 よよよ、となんともわざとらしく泣き崩れる朱音を放って村正は外へと出た。

 こういう時こそ鉄を打つのに限る。仕上がりがまだの作品を完成させるべく工房へと赴いた村正。そこで悪びれる様子もなく堂々と不法侵入を冒した不貞の輩に、村正の口からはまたしても溜息が盛大にもれる。悪びれる様子もなく我が家よろしくくつろぐ不法侵入者疾風丸に村正は腰の太刀をすらりと抜いた。最強の鬼をも斬った太刀であれば烏天狗であろうとさぞすっぱりと斬れるだろう……右片手上段に村正が構えたところで、疾風丸が両手を勢いよくバッとあげた。



「わ、悪かった! あっしが悪かったって!」

「悪いと思ってるなら最初からやるな。次不法侵入したらマジで斬るぞ」

「本当におっかないねぇおめぇさんは。おめぇさんの刀は妖怪も簡単に斬るから冗談に聞こえねぇよまったく……」

「冗談じゃないぞ」

「尚更質が悪いわ!」

「それで? 今度は何の用だ?」

「あぁ、今日はつい先日の出来事を綴った瓦版ができたんでな、そいつをおめぇさんのところに持ってきたんだよ。こいつは俺からの餞別だ、お代はいらねぇよ」

「はっ! そうかよ」



 どれどれと村正は瓦版に目を通す。

 内容は先日の都を襲った正気とその原因について。源頼光みなもとのらいこうが筆頭に痕異変を解決した――事実はこの瓦版と少々異なる。主軸である源頼光が結局前線に復帰することはなかった。彼女を襲った瘴気による悪影響は予想よりも大きく、結果復帰したのも三日後だった。

 しかし源頼光は剣術指南役を務めるほどの存在とだけあって、その知名度も高い。瘴気で離脱を余儀なくされ寝込んだ挙句、一介の鍛冶師が事を収めましたでは彼女の面目が立たない。そのことを危惧して村正は今回の手柄の大半を、源頼光へ譲渡した。



――それにしても、相変わらずこいつの嫁さんは絵がうまいなぁ。

――水墨画でも浮世絵でもない、まったく新しい描写はいつ見ても惚れ惚れする。

――どうやったらこんな技法を身に着けたんだ?

――後、ちょっと俺美化されすぎてないか?

――俺こんなキラキラしてないぞ……!



 疾風丸達夫妻が発刊する瓦版の人気の秘訣は、この妖怪の妻が手掛けるこの挿絵だったりする。

 かつてはそれほど認知されず、寧ろ異端だという悪評すらあったこの絵だが、今ではすっかり立場は逆転。瓦版とは別に絵だけを集めた本を出してほしいという声も相次いで困っている、と嬉しそうに語る疾風丸のニヤついた顔に苛立ちを募らせたのも、今は余計な思い出として村正の記憶となった。



「まぁ、他人の手柄を渡されたって喜べないっていうあの人間の気持ちはわからんでもないがな」

「その代わり、俺の銘を宣伝するようにお願いした。朱纏童子の体内に巣食う怪物を斬れたのは千子村正の刀あってこそってな具合でな」

「なるほど。それなら確かに問題はないわな――だけど、あっしにはどうしてもわからないことがある。今日はそのためにやってきたってもいっても過言じゃあねぇ」

「なんだ?」

「あの朱纏童子の体内にいたっつー蝿の怪物。ありゃあ妖怪じゃないっておめぇさんの嫁さんがいってたったんだ。確かにいわれてみりゃあ、蝿の妖怪なんざあっしも長いこと生きてきたが見たことがねぇ。それにおめぇさんとは顔見知りみたいな感じだったらしいじゃねぇか」

「……まぁな」

「……どういう関係なんだ? 今日はそのことについてあっしは取材しにきたんだ」

「少なくともお前が想像するような関係じゃあない」



 地獄についてこの妖怪に話すべきか……村正は沈思した。

 地獄の真の姿を目の当たりにして生還を果たした人間は、きっと自分のみ。

 問題は、この情報を果たして公開してよいものか。少なくとも悪魔の存在は間違いなく、都を……葦原國あしはらのくにに大きな混乱と恐怖を招くこととなる。この混乱に乗じて悪事が加速する可能性も決して否定はできない。自ら悪魔になることを願望し、より悪に染まらんとする輩がもしルシフェルらと接触したとなれば、それこそ奴らの思う壺だ。

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