第23話
どの道、拒否権など
未だオドオドとするルシフェルと、何故か手を繋いで城内を歩く村正。長い廊下を渡っていた、その時。一際大きな断末魔が村正の鼓膜を振動した。釣られて窓から身を乗り出した村正はそこで信じ難い光景を目の当たりにする。
人だったはずの物が、醜い悪魔へと変貌した――正確に表現するならば、変貌させられた、という方が正しかろう。悪魔が不気味な焼き印を背中に施せば、じゅうっと肉を焼く不快音と悲鳴が城内に反響する。異変が生じたのは、そのすぐ後のこと。
「な、なんだあれは……!」
ぼこぼこと肉と骨が皮膚を突き破り、濃厚な血の香りをまき散らす。誰がどう見ても致命傷でもう助かるまい……村正がそう思った矢先、罪人は悪魔の
「あぁ、あれは我が主ルシフェル様からの
ルシフェルが得意げに語る。
「
「……地獄へと堕ちる者は生前、罪を犯したから。殺人、窃盗、誘拐、強姦、裏切り……神に背き地上で悪とされる行いを繰り返したからこそ、その罪を償うべく地獄へと堕ちた――しかし彼らの魂は確かに穢れてこそいますが、だからこそ美しい」
「……どういう、意味だよ」
「御覧なさい、我ら
「あれのどこが! 悪魔にして洗脳しているだけじゃないのか!」
「とんでもない、寧ろルシフェル様の恩寵は洗脳ではなく解放。法だの規律だの、
「その見返りがあれか?」
「見返りとは違います、あの姿こそ彼らが魂を解放した真の姿なのですよ。自由気ままに振る舞う時の彼らの魂は一際美しく輝いていた、その輝きが最高に達しているのがあの姿なのです」
「……どうかしてる」
ベルゼブブの話は、到底容認も看過できたものではない。
是が非でもこの地獄から脱しなければ……もう一度だけ、村正は悪魔へと変貌した彼ら罪人に憐れんで、再びベルゼブブらの後に続いた。
「――、これは?」
「もちろん、我流のおもてなしですよ」
甘い香りと温かさに村正は眉をしかめる。悲鳴や血の臭いと地獄の代名詞ばかり目にしてきたから、その真逆の空間は返って警戒心を強める。
茶菓子、の類なのだろうか。はじめて見る者ばかりではあるが見た目と匂いから察するに美味であることは容易に想像がつく。これらに戸惑う村正を他所に、ベルゼブブは慣れた手つきでてきぱきと茶を用意した。
「さぁ、どうぞこちらへ」
「…………」
「ご安心を、毒なんてそんな無粋な調味料は一切使いませんよ。せっかくの美味たる物が台無しになってしまいます」
「あ、あの……! ベ、ベルちゃんはその……上手だから……!」
ここにきてようやく、ルシフェルが喋った。
相変わらず彼女の台詞は、およそ地獄の当主とは思えぬほど要領を得ない。
もっとも、まったく内容ができないというわけでもないし、なにより彼女の言葉には必死さがあった。悪魔の言葉を信じるほど
どうもこの悪魔が絡むと調子が狂う……脳裏の片隅に抱いた感情も、口腔内を満たす甘味がすぐにかき消した。甘い、それでいてしつこさもなくすんなりと食道を通る。
「それはドーナツという、大陸に伝わる菓子ですよ。こう見えても我、ルシフェル様をはじめとする悪魔達の料理長も務めておりますので」
「ベ、ベルちゃん……お、おいし……」
「はっ! このベルゼブブには勿体なきお言葉! 至極恐悦にございますルシフェル様!」
「……蝿のくせに料理か。うまいのが妙に腹立つな――それで、いい加減に用件を話してもらおうか。俺をここへ連れてきたのはなんでだ? どうして俺を他の奴らのように悪魔にしない?」
「質問は1つずつでお願いしたいのですが……まぁいいでしょう。まずここへあなたを連れてきたのは、我らの同胞となっていただくため。その目的についてももう話していますから割愛させていただきます」
「……神との戦争。確か、らぐなろく、とかなんとかいってたな」
閻魔大王との会話にあった、
「我々には兵力も武器も何もかもがまだまだ足りていない状況なのです。そこであなたには我々のための武器を作っていただきたいと思っています」
「……俺にお前ら悪魔の悪行に加担しろ、と?」
「ではお聞きしますが……あなたは死後、己の魂が天に召されると本気でお考えなのですか?」
ベルゼブブの鋭い眼光が村正を突き刺す。
この世において完全なる善人など、徳の高い僧侶ぐらいなものだろう。そういう意味だと
鍛冶師とは業の深い生業だ。生殺与奪を助長するための道具を提供するも同じであり、ましてや村正に至っては理由がどうであれ他者を殺めた過去もある。いくら正当な理由がそこに存在していようと、事実はどうあっても覆すことはできない。そしてそのことを一番理解しているのも村正自身だ。
口を固く閉ざす村正に、ベルゼブブが同情するようにうんうんと頷く。
「えぇ、えぇ。実にわかりますとも。誰しも自らが地獄に堕ちるとは認めたくないものです。ですがあえて言いましょう。あなたは――」
「地獄に堕ちる……そんなもの、お前らから言われなくても理解してるつもりだ」
「――、ほぉ?」
「どんなに理屈を述べようと、俺のやってることは殺しの助長だ。なんなら俺自身人を斬っている――だけど俺は刀の魅力に取り憑かれた、いつか自分の刀が天下を轟かせるぐらい名を馳せてくれれば……そんな夢を抱いたから鍛冶師になった。地獄に堕ちるなんざ百も承知、だからといってお前らの企みに乗るほど俺も馬鹿じゃない」
村正はぎろり、とルシフェルとベルゼブブを睨んだ。
短い悲鳴をもらした主の姿に忠実なる従者の顔が一瞬にして険しさを増した。
いつ殺されたとしてもおかしくない緊迫した状況の中で、村正は毅然とした態度で
「他の連中はどうにかできても、俺の心はそんなに甘くはない。簡単に誘惑できるとは思わない方がいいぞ?」
「……ふふふ、いややはり素晴らしい! あなたをこうして連れてきて本当によかった!」
からからとベルゼブブは愉快そうに笑った。
悪魔の沸点がどこにあるかわからない村正だったが、とりあえず1つの山場は乗り越えられたと胸を撫で下ろす。しかしまだ一部の油断も許されない状況は続いている。ルシフェルの居城、もとい
「――、話を戻しましょうか。まだ後者についてお答えしていませんでしたからね。いくら強大な力を有していても、それを律し統率することができなければ宝の持ち腐れです。この意味がわかりますか?」
「……俺に、あの悪魔共を指揮する権限を与える?」
「ご明察。すばらしい推察力です」
「一介の人間のいうことを聞くとは到底思えないんだが……?」
「それならばご安心を――今からその権限を与えて差し上げましょう」
「何!?」
不穏な気配を察した村正は、ベルゼブブらから大きく間合いを取った。
異変は、すぐに訪れる。うっ、と表情を強く歪めた村正は左手甲に強烈な痛みを憶えた。
とても熱い、まるで灼熱の業火の中にいるかのようだ。痛みは収まることを知らず、やがて満足に立つことすらままなくなった村正は獣のように苦痛に叫びのたうち回る。朦朧とする意識の中、ベルゼブブの声が不気味に鼓膜に反響する。
「ご安心を、その痛みも時期によくなります。そして収まった時にはあなたは我らの同胞となっているでしょう――改めましてよろしく
「え、えっと……よろし、くね……! ――■■■■■」
ルシフェルのその言葉を最後に、村正は意識を手放した。
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