第20話

 暗雲に覆われた空を、金色の稲光がきらめく。

 今にも強い雨がきそうな雰囲気の下、多くの人間が殺し合うその異様な光景に村正はぎょっと目を丸くする。戦争……もとい殺し合いについては村正もまったくの無知だ、というわけではない。かくいう村正自身も、刀欲しさに襲撃した野盗共を返り討ちにしている。


 斬った相手は自分と同じく人間で、しかし生き返ることは決してない。

 草木の1本さえもない荒れ果てた大地の上で、己が血で朱に染める彼らに死という概念が存在しない。心臓を穿っても、その心臓もしばらくすれば元通りになる。

 生き返って、獣の如き怒号と共に敵手へと襲いかかる。その姿はさながら阿修羅のよう、この異様すぎる光景に村正が驚いていると、獄卒が作業する傍らで淡々と語る。



「ここは修羅道……生前に他人を蹴落とした者や無益な争いばかりした罪人の魂が落ちる場所だ。ここに堕ちた連中はあぁやって何度も殺し合う。耐えることのない苦痛に魂を蝕まれながらも強制的に戦わせることで罪を悔い改めるってわけだ」

「……ここには落ちたくないな」

「先にいっておくが、地獄はどこも地獄だぞ。天界と違って安堵できる場所なんざどこにもありはしないんだからな――よしっと」

「あ、あの。それって工房で打ってた武器です……よね? それをどうするんですか?」

「ん? あぁこいつか、こいつはな……」



 村正の前で、次々と獄卒が武器を無造作に放り投げた。

 せっかく直したのにいささか扱いが杜撰ずさんではないか……鍛冶師として獄卒の取った行動はとても許容できるものではない。この行為について当然抗議しようとした村正であったが、一際けたたましい雄叫び彼の意識は自然とそちらの方へと捉えられる。


 あっ、と村正が声をもらしたその先でまたしても新しい死体ができあがった。

 その死体は袈裟一文字を浴びて絶命している。致命傷なのは火を見るよりも明らかで、しかし彼らは生前の罪を償う罪人。何事もなかったかのように起き上がり、また戦いへ赴く――修復した武器の用途はそのためのものだったのか……水を得た魚よろしく、さっきよりも生き生きとした様子で殺し合いをする罪人に村正は恐怖を憶えた。

 元は同じ人間であるはずなのに、修羅道ここでは老若男女問わず等しく皆、阿修羅と化す。



「――、俺達が武器を提供するのはより強い苦痛を与えるため。武器を手にされたことへの焦燥感、一撃で絶命しかねない恐怖、そしてその身にくる激痛……俺達が直した武器は、そのためだったんだよ」

「…………」

「――、これでまた当分の間は大丈夫だろ。それじゃあ俺達も戻るぞ、あぁお前の場合はいよいよ現世うつしよへの帰還だから、まずは閻魔大王様のところに寄らないとな」



 これで村正が地獄に滞在する理由はなくなった。獄卒の後に続いて、最後に村正は振り返る。

 それは獄卒とは明らかにすべてが異なった形状をしていた。

 漆黒の闇夜を彷彿とさせる黒い肉体に背中に生やした身の丈はあろう双翼は、近い存在もので比喩すれば蝙蝠こうもりが近しい。こうべより伸びる双角はさながら刀のような鋭利さだ。その異形達が次々と罪人たちをどこかへと連れ去っていく。

 この突如として起きた異様な光景に村正は困惑していると、険しい顔をした獄卒が……どこから取り出したのだろう、銅鑼を力いっぱいに叩いた。

 ぐわんぐわんと耳をつんざく轟音には、村正も思わず耳を塞ぐ。

 しばらくして轟音も静まり、村正は耳の痛みを獄卒に酷く訴える。



「突然何をするんですか!?」

「いいから逃げろ! あいつらは“悪魔”だ!」

「あ、悪魔……!?」

「お前はまだ生きている状態だ。だからここでもし奴らに捕まったら二度と現世うつしよに戻れなくなるぞ! だからさっさといけ!」

「ちょ、ちょっと……!」



 村正が制止するも、獄卒は既に戦場へと身を投じた。

 もはやいくら声を張り上げても、怒号と断末魔が絶えず飛び交うこの状況下では、彼の耳に届くことはあるまい。時同じくして、先の銅鑼の音を聞きつけたであろう他の獄卒達も戦場へ次から次へと身を投じていく。


 悪魔とはなんなのか? ――思考は混乱の極みに達して、だが冷静さだけは辛うじて失わずに済んだ。手放してしまうよりも先にまず思考すべきは、この状況からの即離脱。一介の鍛冶師がどうこうできる段階でないことは明白であり、獄卒らに加担する義理もないし、己が身を危険に晒すだけの覚悟もない村正は、戦場の音を背にして来た道を一目散に駆けた。



「――、はぁ……はぁ……! あ、あの閻魔大王クソガキなら……!」



 この異常事態を収拾できるのは、この地獄においてただ1人しか存在しない。

 閻魔大王の元へと急ぐ村正。しかしその行く手を遮るように、巨大な黒い影がふわりと村正の前へと降り立った。

 影の正体もまた異形であり、同時に身近にある存在とあまりに姿形が酷似しているだけに、村正は生理的嫌悪を抱いた。古から不浄と腐敗を司り人々から忌み嫌われる存在……ハエの異形が、顔をしかめる村正にからからと笑う。



「ほほぉ、これはこれは珍しい。まさかこんな田舎に珍しい魂が存在しているとは……」

「くっ……!」

「罪人のように穢れていない……強い生命力を感じさせる輝き。これならば我が主もさぞお喜びになられることでしょう。さてと、それではこのベルゼブブと共に来ていただきましょうか――おっと、逃げられるなどとは思いませぬよう」

「くそが!」



 地をどんと村正は強く蹴り上げる。

 戦う術はさておき、一介の鍛冶師……それ以前にたかが人間にどうこうできる相手ではない。

 自分ではあの怪物は倒せない。だが脚であれば自信がある……妖怪の中で特に速さに特化している烏天狗の知人とはなかなかにいい鬼ごっこを繰り広げた実績もある。だからきっと、今回も逃げられるという自信が村正の胸中にはあった。

 そんな村正の自信を、不快感を与える轟音に近しい羽音が粉々に打ち砕く。巨体には不釣り合いな圧倒的速さをもって先回りしたベルゼブブがにしゃり、と村正の前でただでさえ醜悪なその顔を更に醜く歪めた。



「なっ……!」

「だから言ったでしょう。このベルゼブブから逃げられることはできない、と」

「くそっ!」



 再度の逃走を試みる。

 まだ、たった一度先回りされただけではないか。諦めるにはいくらなんでも早すぎる。

 村正には現世うつしよへ帰還するという強い意志があった。その意志が消えない限り、諦めることは絶対にない。普通に逃げるのが駄目ならば、策を弄ずるまで……村正は速度の緩急を入り交え、時には鞠のようにひょうひょうと不規則に跳躍して、ベルゼブブをかく乱する。


 村正は元より優れた身体能力の持ち主である。立てば城壁座れば大山駆ける姿は疾風の如し――お前は本当に鍛冶師なのか、と彼にそう疑問を抱く者は少なくはなく、何度か兵士として村正を勧誘スカウトする輩もいた。むろん村正は鍛冶師を生業とする身なので、それらすべてを丁重に断っている。

 その身体能力が、ベルゼブブの前ではまったく通用しない。

 所詮は人間の技。地獄に住まう怪物には到底及ばぬと理解してしまった村正は、乱れた息を無理矢理整えながらもベルゼブブを気丈に睨みつける。後ろは岩壁がそびえ立ち、逃げ道はもうどこにもない。袋小路へと追い詰められた村正は、今正に絶体絶命の危機に陥っていた。



「はぁ……はぁ……く、くそ!」

「素晴らしい。あなた、人間のくせによくもここまで機敏に動けるものです。やはり東の地獄は優れた死者の魂があまりにも多すぎる……!」

「はぁ……っ……ど、どういう意味だ?」

「あぁ失礼。人間のあなたにもわかるように説明しておきましょう――我々、悪魔達は集めているのですよ。いつか神へ復讐するための強くて穢れた兵力をね」

「なっ……!」

「まぁより詳しい話は、我々の本拠地地獄でゆっくりとお話しすると致しましょうか。それでは――お覚悟を」



 不意にベルゼブブが煙のようにふっと消えた。

 村正が呆気にとられた、次の瞬間だった。

 空気を振動するのは幾重にも連なる無数の羽音。1つの存在は豆粒よりも遥かに小さく脆弱で、されど群と化しあたかたも1つの巨大な生命体であると誤認させるそれらは村正の表情を酷く強張らせる。

 自らの肉体を小さな蝿の集合体へと変えたベルゼブブが瞬く間に村正を飲み込んだ。

 この悪夢としか形容のしようがない光景に常人であれば、そのまま卒倒しているに違いあるまい。そういう意味では村正は必死の抵抗をベルゼブブにしてみせた。



「――、っ!」

「ほほぉ……この状況下で抵抗に意志を見せるとは。やはりこの魂、逸材ですね。是が非でも我が主の元へお連れせねば」

「……っ!」



 しかし、個であればまだなんとかなったものの相手は100も、1000をも軽く凌駕する群。村正1人の抵抗でどうこうできるはずもなかった。



「ふふふ、それではそろそろ参りましょうか。あなたほどの魂であればすぐに将軍の地位――あぁ、基本我々悪魔に階級的なものはないのですが、これは人間であるあなたがわかりやすいように説明しているだけです――とまぁ、とりあえず行きますよ」



 このまま死ぬのかもしれない……二度と現世へ帰還できないと諦めた村正だったが、そんな彼の暗い思考を吹き飛ばすかの如く眩い極光が辺り一面を白く染め上げる。

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