第18話

「まずは……千子村正――なんか長ったらしいからマサって呼ぶわね。それでマサについてなんだけど――」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれるか!? いや待ってください!」

「なによ。今はこのアタシが喋ってる最中でしょ?」

「いや、それはまぁそうなんですけどね? なんていうか、その……閻魔大王らしくないというか……」

「はぁ? そんなの、アンタ達人間が勝手にこんな感じかなって想像しただけでしょう。どうしてアタシがそんなクッソ面倒なこといちいちしなきゃいけないのよ」

「…………」

「一応最初は? まぁ決まり的な意味合いでそれっぽくやるけど? ぶっちゃけこう堅苦しい喋り方嫌いなのよねぇ」



 発言する前までは確かにそこにあったはずの威厳はどこへ消えてしまったのやら。滑らかというよりも少々小うるさく癇に障る口調で話す閻魔大王という事実に、村正の頬はひくりと釣り上がる。

 この少女、本当に閻魔大王なのか? ――ちらりと横目で獄卒に問えば、静かに短い首肯が返される。どうやら本当にそうらしい……村正はただただ苦笑いを浮かべる他なかった。

 話を遮ったのが余程苛立ったのか、ぶつぶつと文句を垂れ流しては人を明らかに蔑む視線に村正はふつふつと湧き上がる怒りをぐっと理性で抑え込む。これがただのクソガキであったならば今頃その頭頂部にげんこつの1つでもくれてやるところだが、相手は腐っても閻魔大王。

 地獄の支配者の機嫌を損なわせてしまっては、せっかくの天国行きも地獄へと早変わりする。

 それでも村正の内心は、閻魔大王に対してこのクソガキめ、と罵倒していた。



「――、まったく。それじゃあ続けるわよ。まずマサの死因なんだけど……」

「それについてはもう知っているので飛ばしてください」

「アンタは口出ししないで。それで死因だけど――って、何コレ? えっ、ちょっと待って。嘘でしょ、本当に……ぷぷっ」

「……もう死因については知っていますので、話を先に進めて――」

「鍛冶をやってる最中、足元の百足に驚いて転倒! そのまま棚に後頭部をぶつけてとか……だっさ! あははははははははっ!」

「くっ……」

「いやいやいや! そりゃ確かに? 人間も妖怪もいつか必ず死ぬわよ? だけどこの死に方はいくらなんでもダサい! 私が今まで見てきた中でどれぐらいダサいかって言うと……もうとにかく、ぷっ。あははははははははっ!」

「いくらなんでも笑いすぎじゃあないですかねぇ……!」



 腹を抱えて大爆笑をする閻魔大王に村正の怒りは頂点に達しようとしていた。

 人の不幸を嗤うなど、死者の魂の選定を行う立場にある者がやっていい行為とはお世辞にもいえない。そうでなくともここまで罵倒を重ねられて黙っていられるほど、村正も温厚な性格ではない。

 やはりこの閻魔大王もといクソガキにはそれ相応の仕置きが必要のようだ……椅子から立ち上がろうとした村正を、あたかも最初からわかっていたかの如く閻魔大王がそれを制止した。



「あっははは……はぁ――まぁ死因が面白かったのはさておき。まずアンタの処遇についてだけど……アンタは天国と地獄、そのどちらでもないわ」

「……どういうことです?」

「簡単にいうと死んでないのよ、アンタ」



 あっけからんと答えた閻魔大王だが、村正はそういうわけにもいかない。

 死んだと思い込んでいた人間に、生きているという言葉ほど衝撃的なものはない。この事実を耳にしておいて、ふーんあっそう、と聞き流せる人間はまずおるまい。

 それならば何故村正は地獄にいるのか? ――先を促す村正に閻魔大王は面倒臭そうに口を切った。



「たまにいるのよねぇ、アンタみたいな変わった事例が――生と死のギリギリの狭間を漂う状態……わかりやすくいったら幽体離脱って奴ね。アンタの肉体から一時的に抜けた魂魄が地獄までやってきたってわけ」

「じゃ、じゃあ……!」

「えぇ、アンタはまだ生きてる。その証拠に、ほら」

「……俺が映ってない?」



 閻魔大王が取り出した鏡に村正の姿はそこになかった。



「この鏡は浄玻璃鏡じょうはりのかがみっていって、生前の悪行や善行なんかをこの鏡にぱぱーっと映しちゃうってわけ。アンタの姿がまだ映ってないのは、アンタが死んでないっていうなによりの証なの」

「じゃ、じゃあ……!」

「……でもアンタ、今かるーく見てみたけど善行もそんなに積んでないないし、悪行もそこそこって感じだけど悪質じゃない。まぁなんていうか平凡、つまんない、地味なのよ。だからちょっと現世うつしよに戻ったらちゃちゃーっと悪いことしてきなさいよ」

「いやちょっと何言ってるかマジでわからない」



 地獄の閻魔大王が、まさかの悪行を勧めるという行為にこれにはさしもの村正も心底呆れる他なかった。もちろん閻魔大王の言葉をそのまま鵜呑みにするつもりなどない。自ら進んで悪行に手を染めるなど愚かでしかないし、何よりもやること自体が面倒なのだ。よくもまぁこんなので閻魔大王として務まるものだ、と村正はそうすこぶる本気で思った。

 ふと村正が周囲を一瞥いちべつすれば目を伏せたり、顔を背けたりする――彼らも色々と日頃からこの閻魔大王じゃじゃ馬娘に振り回されているようだ……村正は獄卒達に同情した。



「てなわけだから、マサ。アンタには早速――」

「は、はい……!」

「――、今日からしばらくの間、地獄ウチで働いてもらうわ」

「ちょっと何言ってるかわからないしふざけるな」



 閻魔大王のこの決定に村正は透かさず異を唱えた。



「いや俺死んでないんですよね!? それなのにどうして地獄にいる必要があるんですか!?」

「アンタがきっちりと死んだらその時は改めてこのアタシが裁いてあげるわよ。そうじゃなくて、アンタの鍛冶師としての腕前を見込んでお願いしてあげてるのよ」

「……どういう、意味ですか?」

「実はちょっと地獄ウチの鍛冶師が過労ダウンしちゃってさぁ、まぁぶっちゃけた話人手不足って感じなのよ。そこでアンタにはそいつが復帰するまでの間を務めてほしいってわけ」

「お、俺が!?」



 閻魔大王からのこの提案は、村正を大いに驚かせる。

 現世うつしよにおいて千子村正の名は、まだそこまで売れていない。この頃葦原國あしはらのくにには数多の名匠が存在して、中でも相州五郎入道正宗そうしゅうごろうにゅうどうまさむねの作刀は“正宗の刀に非ずは真の刀に非ず”などという名言が生まれるほど人気が高い。正宗を基準とするとすれば、村正の名はまだまだ足元にも及ばない。

 故にいつかは必ず見返してやると、村正は鍛刀に余念がない。



「その、自分でいうのもなんですけど……俺、そこまでまだすごくはないんですけど」

「アンタさぁ、もうちょっと自分に自信もってもいいんじゃない? さっきこの浄玻璃鏡じょうはりのかがみは死者の生前の行いを映すっていったけど、まったく見れないわけじゃないのよ?」

「え……?」

「つーまーりー! アンタがここにくるまでの間、この鏡で見てたんだけど、アンタの刀に対する情熱とかそこに込められる技術は凄いんだからもっと自信を持ちなさいっていってんの! そうじゃなきゃ、アタシの前に来させずにそのまま現世うつしよに返してるんだから」

「…………」



 閻魔大王に称賛される、この出来事はきっと永遠に魂に残るだろう……安っぽい世辞とは思えぬほど、彼女の言霊には重みがあった。赤の他人に適当に褒められるより、閻魔大王という看板に褒められたことへの歓喜は、どんな言葉もその価値は路傍の石に等しくなる。

 今までやってきたことは無駄ではなかった……成果がなく、それでも諦めずに続けてきてよかったと今、村正は心から過去これまでの自分を大いに褒めた。



「――、それじゃあこれで話は終わり。アタシは忙しいから、そこら辺にいる獄卒の誰かに案内してもらって」

「あ、は、はい……!」



 去っていく閻魔大王に村正は深々と頭を下げてその背中を見送った。



「――、閻魔大王様。人を持ち上げるのが本当にうまいよな……」

「あぁ、人のやる気を上げさせてでも実はいいようにこき使う……恐ろしい方だよ」

「俺、今日で14連勤なんだけど……」

「お前はもう寝ろって……代役ならなんとかすっからよ」

「…………」



 背後から聞こえるひそひそ話に、村正は拳を戦慄わななかせた。

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