第三章:常世ヲ彷徨ウ

第17話

一年前――。


 快晴夕刻から逸脱したその赤はさながら血のようで目にとても優しくなかった。通常ならば絶対にありえない配色の空はどこまでもおどろおどろしくて、どんなに屈強な精神力でも恐怖と不安に心が締め付けられる。


 村正は、地獄というものを見たことがない。

 地獄という場所はどんなところなのか? ――誰しもが1度ぐらいは抱くであろうこの疑問についての回答は、生きている限りで得る方法は存在しない。死後の世界など文字通り死んでみたくてはどうなっているかなど知れるはずもないのだから。


 書物に登場する地獄や天界も、すべては人間のこんな感じであるに違いない、というそんな幻想から創造された代物にすぎないのだ。

 案外書物に描かる地獄も、あながち間違いじゃなかった……血の空をぼんやりと見上げる村正は、ふと思う。

 寿命がある生命体であるからには当然終焉は遅かれ早かれやってくる。

 ただ村正の場合に至っては、齢20と少しというあまりにも若い段階でその時が訪れてしまい、それ故に地獄に落ちた彼を地獄の鬼達――獄卒が憐れみを込めて若人の背中を眺めた。



「おい村正。気持ちはわからんでもないが、これより閻魔大王様の裁定が下される――いくぞ」

「――、あぁ……」



 死者の魂は必ず、この地獄を通らねばならないと事前から獄卒より説明は受けている。

 閻魔大王――地獄の管理者たる者が、生前の罪を調べ上げ天界か地獄かの判断を下す。その場所が意外にもきちんとした町並みを形成されているとは……書物のようにおぞましい場所も確かに存在したけれど、高天原のような大きな都があるとは果たして誰が想像できよう。


 禍々しい建物が参差として立つ町並みは、都のように華やかさこそ感じさせずともこと文明においては桁が違いすぎた。空飛ぶ鋼鉄の船や、蛇のように長い鉄の箱がいくつも連なって鉄の道を奔るなど、すべてにおいて葦原國あしはらのくににはないものばかりで、地獄ここにはたくさんあった。

 おどろおどろしい光景も、見方によっては賑やかな場所でもある。

 とはいえ現世うつしよで生きた者からすれば記憶を完全に抹消でもしない限りは永遠に相いれないだろうが……獄卒の引率のもと、村正が到着したその場所に唖然とした。というのも城こそが一番立派な建物だろう、と彼の中にあった認識を呆気なく、容赦なく根底から打ち砕くほどの規模スケールだったのだから。

 見上げても天辺がまるで見えない、ぐんと空高くまで伸びた建物におずおずと入る村正はまたしても、次なる驚愕を前に唖然とした。



――さっきからなんなんだここは……!?

――こんな立派な建物、俺ぁ見たことないぞ!

――これが、地獄の本当の姿……なのか。

――今まで好き勝手にあれこれ描いてた連中がみたら腰抜かすぞきっと。

――そんで、いよいよ……か。



 ぎぎぎ、とその扉は重量感ある音と共にゆっくりと開かれる。

 円形状に設けられた広々とした空間、中央には椅子が一脚とその奥には一際大きな教壇が設けられている。従って村正は教壇を挟んで立つ1人の少女と対峙する形で席に着く。

 翡翠色という極めて稀有な髪色に凛とした表情だが、そこにはどこか幼さが残る。周囲に何人もの獄卒が控える中でおよそ不釣り合いな彼女は何者なのだろう、とそう疑問を抱いたのも束の間。紫と金色を主とした豪華そうな道服と、王の一文字が刺繍された帽子に右手にはしゃく――まさか、この娘が……村正の感想は、相手に対して失礼極まりないものであるが、正体が正体だけに村正はどうしてもそう思わずにはいられなかった。



――この少女が、まさか閻魔大王様だっていうのか!?

――おいおい、もしそうならこれまでの常識が全部ひっくり返るぞ。

――顔も赤くないし、そもそも男じゃない。

――地獄の閻魔大王様が、まさかこんな女児だったなんて、そら夢にも思わないわな。

――まぁ、こっちの方が愛嬌があるといえばあるけど……。



「それではこれより、汝……千子村正せんじむらまさの魂の選定を執り行う!」



 少女――閻魔大王の玲瓏れいろうとした声は威厳で満ちていて、それでいて不思議と心地良く心に染み渡る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る