第15話

 露わになる刀身に己が敵を映して、地を蹴り上げる彼の一足が瞬く間に村正を敵手の懐深くへと運んだ。上段一閃――首を狙った一太刀は虚しくも空を切り裂く。



「ちっ……空を飛ぶってのは本当に厄介だな」

「フッフッフ 相変ワラズ恐ロシイ一太刀……人ノ身デアリナガラ我ラト対等 アルイハソレ以上ニ渡リ合ウアナタダカラコソ 我ガ主人ガ是ガ非デモ手ニ入イレタイト思ワレルノモ頷ケマスナ……」



 あくまで紳士的に、しかし巨体を浮遊させる羽音は聞くものに大変な不快感を与えた。

 こと朱音と華天童子の顔色については、せっかくのかわいらしい顔が台無しになるほど。血の気が引いた青い顔はこれ以上にないほどの嫌悪感を示し、それ故に一刻も早い討伐を心から望んだ朱音と華天童子が蝿の異形へと肉薄する。



「もう限界です! さっさとこいつを殺しちゃいます!」

「父の身体今日こそきっちり返してもらうでこの化物バケモンめ!」



 妖狐と鬼……強大な力を持つ者同士が合わされれば、そこに生ずるのは圧倒的な力の奔流。

 全身の肌がぞくりと粟立つほどの妖気は質こそ異なれど禍々しくて、鋭利な刃の如く鋭い。村正があっと声をもらした時には既に、朱音の包丁が蝿の異形を捉えていた。



灼焉しゃくえん炎纏巧呪えんてんこうじゅ……!」



 青白い炎はこの世に現存しない炎――妖狐の身が扱える霊焔……狐火は別名、選定の炎、と呼ばれている。妖狐が見定めた者には恩恵をもたらすが、悪意ある者がこの炎を浴るとたちまち骨まで燃やし尽くされる。

 当然ながら朱音が蝿の異形を認めるはずもなし、魂をも燃え尽きてしまえとばかりに狐火がごうごうと荒々しく燃え盛る。その熱気は味方である村正と華天童子すらもたじろくほどで、通常であればこの攻撃で敵手は討伐されたと誰しもが思おう。

 普通の妖怪であればその結末だったに違いない。

 今回の敵手は、より強大な力を保有していた。



「フム……タダノ妖怪ニシテハナカナカヤル方ダガ 所詮ハコノ程度。現世デハ通用シテモ我ラ常世ノ住人ニハ火ノ粉ト大差アルマイ」

「そ、そんな……!」

「下がっていろ朱音! こいつは俺が斬る!」



 呆然とする朱音を横切って、村正は再び蝿の異形へと斬りかかる。

 相手は空を自由自在に飛ぶことができる。刃長が二尺二寸二分およそ66.6cmの打刀では到底届く距離ではない。村正は、人間だ。疾風丸烏天狗のように双翼がなければ、妖怪のように妖力も自由自在に操れない。


 ならば打つ手はもはやないのか? ――そこは頭の使い様。如何なる戦況であろうとも、冷静さを保ち戦況を見極めた者こそが勝利を掴む。一見すれば圧倒的不利な状況下であるのに村正の瞳は微塵も揺らいでいない。この戦局から勝利を導き出さんとする彼が取った次なる一手は、敵手へと向けての全力疾走。二十八間およそ50mを3秒で走り切る脚力でとんと跳べば、それは飛翔へと昇華される。



「フッ!」

「ナンノ!」

「かわされた……!」



 村正の攻撃はいわば放たれた一矢と同じ。まっすぐという軌道はそれだけ読まれやすく、対処されやすい。巨体には似合わない機敏な動きで軽やかにひらりと回避した蝿の異形。行き場を失った村正はそのまま壁へと直進を続けるのみ。

 矢との唯一の違いは、千子村正せんじむらまさが人間であること。突き刺さればそれで終わる矢と違って、村正は器用に空中でくるりと身を翻せば、壁を自らの足場へと変えたのだ。その状態から間髪入れず再度跳躍――跳弾によってほぼ間を開けずして間合いへ入った村正の太刀が今度こそ、蝿の異形を捉えた。



「ガァァァッ!!」

「やった!」

「さすが私の旦那様です!」

「気を抜くな! ほらそっちも危ないぞ!」

「へ? いぃ!?」

「何を……うっ!」



 村正からの指摘を受けた朱音と華天童子の顔がますます青ざめた。

 なんとタイミングが悪いことか……周囲で蠢く卵が、ついに孵化してしまった。卵を突き破ってもぞもぞと這い出る光景はおぞまじいの一言に尽きよう。2人も妖怪でありながら蟲を前にすっかり腰が引き気味で、お互いに少しでも蟲から逃れようと押し付けあう。



「ちょ、ちょっと元はといえばそっちの不祥事なんですから責任もってなんとかするのが筋でしょ!?」

「た、確かに協力してほしいって言ったんはウチやけど! せやからいうて自分が苦手とするもん人に押し付けるとか妖怪ヒトとしてどないやねん!」

「私は妻だから村正さんについていくだけですしー、別にあなたに協力するとは一言もいってませんけどー?」

「なっ!? なんて卑怯な……! これやからに妖狐は古来より嘘吐きで弱虫だと揶揄やゆされるや!」

「は、はぁ!? ちょっと今の台詞聞き捨てなりませんねぇ。訂正してもらえます? クソ雑魚鬼さん」

「おいおい……」



 まだ初対面でありながらよくもまぁ、そこまで罵り合えるものだ……今が戦闘中であることをこの2人は忘れてないだろうか、と不安を抱くもそれは杞憂だったようで、罵声を飛び交う中で2人の連携はとても初対面とは思えぬほど見事なものだった。長年戦場を共にした者達でも、あぁも一部の隙も油断も躊躇もない連携はそう取れるものではない。

 形がどうであれ、幼虫の方は朱音と華天童子に一任しても問題はなかろう。村正は安心して蝿の異形と対峙した。



「ガァァ……! コノ切レ味……コノ痛ミ! マサカ……!」

「そのまさかだ。どうやら俺はそのままそっくり持ち帰ったらしい・・・・・・・・



 村正は一気に蝿の異形へと間合いを詰めた。

 先の一太刀で村正は翼を奪った。これでもはや飛ぶことは叶わず、地に這う蟲であれば如何様にも対処しやすい。実際に空中では機敏な動きを可能とした蟲も、その巨体を支える六本の細い脚では同じようにとはいかず、結果村正の斬撃をことごとくその身に浴びた。



「ガァァァァ……!」

「それじゃあな。常世あっちに帰ったら、本体あいつにこう伝えておいてくれ――二度と俺の前に現れるなってな」



 蝿の異形の首を落とす一太刀が最後トドメとなった。

 ころころと無造作に転がる蝿の頭部が、黒い炎に包まれると瞬く間に跡形もなく焼き尽くされる。それとほぼ時同じくして、おぞましい数の幼虫と卵も次々と黒き炎を自ら発火して死滅した。

 この事態に一番安堵したのが朱音と華天童子の女子2人。天敵とする蟲が消滅したとわかるや否や、安心感からへなへなとその場にへたりこんだ。

 これで朱纏童子の体内は正常と戻り、いずれ高天原を覆う瘴気……もとい、最強の鬼の放屁も消滅するであろう。ホッと安堵の息をもらす村正は、ぜぇはぁと息を切らす2人の妖怪を横目に刀を鞘へと納めた。



「とりあえず終わったな……」

「う、うぇ~ん村正さん~! 蟲だけは私本当に苦手だったんですよ~!」

「お、おう。しかし、まさか九尾の妖狐でもあるお前がまさか蟲が弱点だったなんてなぁ」

「そうなんですぅ……! で、でも私がんばりましたよ? がんばりましたよね!」

「あぁ、うん。苦手とする相手なのによくがんばったなって俺は思うぞ」

「む、村正さ~ん! 今日はいっぱい甘えていいですかいいですねありがとうございます!」

「いやまだ承諾もしてないし勝手に話を進めるのは――あ、足元にさっきの幼虫がいるそ」

「ひぅいいいっ!」



 過敏な反応を示す朱音とは真逆に、村正はおぉと関心の声をもらす。

 これはもしかしなくても、とんでもない情報を入手してしまったらしい……表面上こそ苦笑いである村正だが、内心の彼は涙目で恨めしそうに睨む朱音をほくそ笑んでいた。

 これはひょっとしなくても、良い抑止力を手に入れたのではないだろうか? ――正しくそのとおりなのは、現在の朱音を見やれば一目瞭然である。そこにおろうがおるまいが、蟲という単語1つでこうも過剰に驚いてくれるならば、今後の手綱を握るのは実に容易くなる。

 この手を利用しない手はあるまい。村正は笑うのを必死に堪える中で朱音を必死・・に慰めた。加減の施された打撃など痛くも痒くもない、それが彼女なりの気遣いなのだから本気でないこともうかがえる――その握った手に包丁が握られていなかったら、の話だが……。



「と、とりあえずもう用事は済んだしさっさとこんな場所から出るとするか」

「うぅ……私もこんな気持ち悪いところ、もういたくないですよぉ……」

「そう、ですね。とりあえず外にささっと戻りましょう――村正はん、此度はホンマにありがとうございました。この御恩は必ず、このウチが……!」

「あ~うん、期待しないで待ってるわ」

「……ちょっと、私には感謝の言葉はなしですか?」

「あんたはただ邪魔しとっただけやんか……」

「はぁ!?」

「はいはい喧嘩しない! 朱音もいちいちムキになるなって」

「だ、だってぇ……」

「あ~もう。この後高天原に遊びにいくんだから、いつまでも怒った顔はするな」



 元より高天原への訪問は当初から予定には入っていない。だが未だ華天童子を恨みがましそうに睨んではうぅと猛犬よろしく唸る朱音に、つい村正は提案してしまう。当然ながらこの提案に朱音が断るはずもなし。



「――、本当ですか!?」

「あ、あぁ。もちろん強制したりは――」

「いきますいきます! 絶対にいきますからね!」

「お、おう……」

「ふふふっ、村正さんから逢引デートに誘われちゃった!」

「やれやれ……」



 すっかり上機嫌になった朱音に手を引かれる村正は内心で小さく溜息を吐いた。

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