第12話

 朱纏童子の討伐という重大な役目をその身に背負いながら、手を繋いで談笑を交えるという不相応極まりない言動の村正が咎められることもないまま中腹に差しかかった。



「――、この辺りに朱纏童子のねぐらに続く道があるって頼光がいっていたな」

「多分、あれじゃないですか?」

「え? あれかぁ?」

「絶対にあれですよ」



 朱音が指差す先に村正が怪訝な眼差しを向けるのも仕方がなかった。

 看板がぽつんと1つ、そこにはあった。ご丁寧に朱纏童子のねぐらまでの道順までもがしっかりと記載されている。

 大胆か、単なる愚か者か……これが人間の仕業であるならばそう思わざるを得ないところではあるが、相手はかの朱纏童子である。無敗伝説を築くほどの実力者であるからこその余裕とみて相違あるまいと村正は思った。



「少なくとも罠じゃなさそうだな」

「見たいですね」

「――、疾風丸はまだこなさそうだし。俺達だけでまずは様子見といくか」

「はいっ! 村正さん、この私がいますので笹船に乗ったつもりでお任せください!」

「全く期待できないな……てか普通は笹船じゃなくて大船だろそこは」



 九尾の妖狐……葛葉朱音くずのはあかねの実力は如何ほどのものか。せっかくの看板ステータスも台詞によって台無しとする朱音に一抹の不安を抱えながらも、村正は行き着いた先の洞窟へ足を踏み入れる。ぽっかりと空いた穴からは高天原を覆う瘴気がより濃く発生している。どうやらあの看板に嘘偽りはなかった、同時にこの事実は奥に朱纏童子が待ち構えていることも意味する。

 賽はとっくに投げられた。後戻りはもうできない。村正はふと、隣を見やった。

 道中ずっと活気だった朱音も、洞窟に足を踏み入れてから一言も発していない。松明に照らされるその顔も山に入った時よりも一層よろしくない。明らかに不調である朱音に、やはり外で待たせておくべきだったかとわずかに悔いる村正であるが、右手をしっかりと握っていて離そうとしない彼女に、いくら咎めてもこの狐娘には徒労に終わるだけだ、とそう悟った。


 だから村正は朱音に引き返せ、とはいわない。代わりに一刻も早くこの瘴気を取り除くことに全神経を集中させて更に奥へと歩を進めた。

 終点出口は程なくして2人の前に現れる。



「ここが朱纏童子の住処か」

「なかなかきれいな場所ですね」



 驚くことに、ぽっかりと大きく開けた空洞をいっぱいに使って屋敷が建立していた。

 朱を主とした外観はとても立派であることから、中もさぞ相応しい造りであるのだろうと村正は思う。ただここでも出入り口と同様に見張りらしき鬼の姿は皆無である。代わりに聞こえるのは、獣のものとも大分異なる、しかし明らかに人のものではない呻き声にあった。それは固く閉ざされた鋼鉄の門の向こうからしている。


 この先に朱纏童子がいる……村正はもの試しにと鋼鉄の門をぐっと押してみた。

 すんなり、とまではいかずとも施錠も罠もなにもない重量感あふれる門は、ぎぎぎと音を立ててゆっくりと開門されていく。そうして人1人分は通れるであろう隙間を作った村正が中へと踏み入れば、意外な光景に彼の目は丸く開かれることとなる。

 なぜこのような状況に陥っているのだろう? ――それを知るためには、現在の情報から導き出すにはあまりにも情報が不足すぎる。



「何がどうなってるんだこれは……」



 中央にて大の字になって横たわる一匹の大鬼――六尺およそ180cmを優に超える巨躯と、それは烈火のように色鮮やかな赤い肌をしている。そんな大鬼の周囲で控えている数多の鬼達は一様にしてその表情かおを不安と悲しみで曇らせていた。

 恐らく中央の大鬼こそ、朱纏童子とみて間違いあるまい……問題は何故このような状況が生まれているのか。村正が解決すべき疑問はここにあり、しかしわからないことがあまりにも多すぎるのも然り。特に村正は一番疑問を抱いたのは朱纏童子の状態そのものにあった。

 とここで、一匹の鬼が村正の前に立ちはだかる。



「なんだ人間! ここへいったい何しにきた!」

「正確にいうと、俺はまぁ付添人みたいな感じだ」

「はぁ?」

「俺に仲間になってほしいって言ってた奴が、今都を覆っている瘴気の影響を受けてしまってな。体調不良で今は一時離脱してる」

「……なるほど、そういうことか」

「あぁ、とりあえずそこにいる朱纏童子が原因なんだろう? 本人がいないのがちょっとだけ気が引けるが……その大将首、取らせてもらうぞ?」

「ま、待ってくれ!」



 両手を上げて戦意がないことを訴える鬼に、さしもの村正も困惑せざるを得ない。ひとまず抜き放ってしまった愛刀をすぐに鞘に戻したところで、どうしたのかと鬼の言葉に耳を傾ける。



「――、都の瘴気については確かに俺達が原因だ。だけどこれはわざとじゃない!」



 必死の様子で事の発端を鬼が語り始める。

 朱纏童子が倒れたのはつい最近のこと。仲間内で酒盛りを楽しむ……そしてその日もいつもと変わらぬはずであった彼らの身に起きた不幸は、大将と呼び慕う朱纏童子が突如倒れたことだった。無類の酒好きが酔って寝込むなどまずありえない、朱纏童子をよく知っているからこそ鬼達は原因が用意された食事にあるとすぐに行き着いた。


 誰が作ったのか一切不明の料理を、朱纏童子のみが口にしている。原因は確定した、となればすぐに適切な処置が必要となるわけだが彼らは妖怪……人間と同じ処置を施して解決するか否かわからない上に、これまでに好き勝手やってきた彼らに手を貸す人間はいないだろう、とそう鬼達が悲観するのも至極当然であった。


 時が経ち、未だ解決に至らない問題にうんうんと頭を悩ませていたその時、朱纏童子の身に異変が起きた。



「――、ある日見てみたら大将の腹がこんなにも膨れていやがったんだ」

「恐らくあの料理を食ったのが原因だろうな……」

「それから大将は……くっ!」

「あ~……ちょっと待ってくれるか? とりあえず瘴気の原因が朱纏童子ってことで間違いないのはわかった。ただ、その瘴気っていうのは、ひょっとしなくても……?」

「あぁ……瘴気の原因は大将のだ」

「……やっぱり、そうくるかぁ」



 朱纏童子から――厳密にいうなれば、尻の辺りから一本のとてつもなく長い管が伸びていたその時点で村正は薄々と予感はしていた。よもやその予感が悪い意味で的中してしまうとは……まったくもって嬉しくないし、原因が放屁原因であるだけに村正もどう発言をしてよいものか酷く頭を悩ませた。おまけにずきりと頭も痛む。



――それにしても、まさか瘴気の正体が屁だなんてなぁ。

――確かに臭い屁は有毒だろう。

――だけど、そんなものに苦しめられてたって知った時の反応が……。

――頼光になんて説明すればいいのやら……。



 ともあれ原因を突き止めたのならば、後は解決するのみ。

 しかし鬼の体内で起きている症状を如何様にして解消すればよいか、村正はまったくその方法が思いつかない。

 放屁がすべて排出されるまで待つべきか? ――その頃には高天原はとっくに死滅している。一刻の猶予もないこの状況下、思い至る策はやはり朱纏童子の息を止める他ない。


 すると別の鬼が村正の前に姿を現した。

 この登場には、他の鬼達も心配した面持ちでその鬼を気遣った。というのも鬼の身体には痛々しい傷跡が残っていて、包帯の量も尋常ではない。生きているのが奇跡といっても過言ではないその鬼が、周囲の制止を他所にぽつり、ぽつりと語り始める。



「……原因は大将の身体ン中に巣くってる蟲が原因だ」

「蟲?」

「あぁ、大将の体内なかにはでっかい化物みたいな蟲がいるんだよ」



 鬼達の話は、村正にとって更なる衝撃を与えるものだった。

 体内に侵入して異物を排除する……この大胆かつ前代未聞の方法に乗り出した鬼達は、酒呑童子の体内へと侵入した。胃の中にある異物をすべて取り除けばこの事態は収拾する、というこの考察は間違ってはなかった。しかしそこで鬼達が目にしたのは、恐ろしい異形の怪物であった。

 この事実を耳にした時、村正は1つの事実に驚愕を禁じ得なかった。朱纏童子ほどでないにせよ、彼らは力強き妖怪だ。その鬼が太刀打ちできない相手となると、これは自分達だけではどうにもなりそうにない、とそう村正が判断をするのは無理もなかった。



「――、そうだ!」



 不意に一匹の鬼が叫んだ。何事かと視線を浴びる鬼の表情かおは、まるで素晴らしい名案が閃いたと言いたそうに希望に満ちている。余程の妙案なのだろう、周囲からも期待の声が多々上がる一方で、村正ははてと小首をひねる。

 何故ならその鬼の視線は明らかに村正を捉えていた。



「――、おいなんで俺を見るんだ?」



 よもや、一介の鍛冶師に期待をしているわけではあるまいな……村正の嫌な予感は、彼の意に反して見事に的中してしまう。



「……お前、確かあの千子村正せんじむらまさだな?」

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