第10話

 連日の訪問者である来訪者――自らを、源頼光みなもとのらいこうと名乗った女侍にまず村正が思ったのは、彼女の持つ剣士としての才だった。所有者に必ず不幸をもたらすと怖れられた彼の妖刀を手にしていて未だ健在である。

 もともと村正は女侍が己の作刀を使いこなせるという、そんな予感があった。自らの刀を腰に携える、この光景は刀匠にとって嬉しくある一方で、連日してやってきた理由に皆目見当もつかない村正は、はてどうしたのかと沈思する。


 よもや打った刀になにか重大な不祥事トラブルでも起きたのか? ――それは絶対にありえない。村正はすぐにこの仮説を真っ向から全否定した。量産を目的とした数打であれば、練度の甘さ故に簡単にぽっきりと折れてしまってもそれは仕方がないことだと頷けるが、この女侍に売った打刀……もとい、この工房にある作刀はすべてが真打である。

 魂を込めた作品は易々と折れるほど軟ではない、その自信から村正は真の理由を本人の口から直接問い質す。



「――、それで今日はどうしたんだ? また新しい刀がほしいのか?」

「いや、そうではない。貴殿の打った刀……かつて様々な刀を振るってきた某だが、ここまで凄まじい切れ味は生まれてはじめてと断言しよう。さすが村正殿の打った刀だ」

「そいつは重畳。俺の刀は本当に打った俺自身が驚くぐらい人を選ぶからな。お前がそいつの仕手となってくれてこれほど嬉しいことはない」

「――、そんな村正殿の腕前を見込んで今日は参ったのだ。村正殿、どうか某に貴殿の力を貸してほしい!」

「お、おい」



 その場でバッと土下座をする頼光に勢いに気圧された村正は、なんとか彼女の顔を上げさせると詳細について求めた。

 頼光の話は、奇しくも疾風丸も口にした高天原の現状についてだった。

 現在いま高天原では謎の瘴気によって覆われている。この瘴気は人体にとって大変有害であり、既に数多くの人間が著しく悪影響を受けて床に伏せている。このままでは力なき者からどんどん衰弱してやがては死に至るだろうと頼光は語る。



「――、原因については目星はついている。だが如何せん相手が悪すぎるのだ」

「というと?」

「この一件……朱纏童子しゅてんどうじが絡んでいると睨んでおるのだ」

「しゅ、朱纏童子!?」

「こいつぁおったまげたなぁ」



 頼光の一言は、それまで傾聴していた朱音と疾風丸をも驚愕に至らせた。

 朱纏童子とは鬼の中でもっとも強大な力を有する存在であり、彼の者が吐息一つすればそれはたちまち地獄の業火と化し、丸太のように太い腕を一度振るえばそれは暴風と化す。これまでに数多くの名のある剣豪や武将が彼の鬼の首を取らんと挑んだが、未だその偉業を果たせた者は誰1人としておらず、ただ無慈悲に屍のみが積み重ねられた。


 しかし、村正は違和感を憶えていた。

 この朱纏童子という鬼は確かに強大な力こそ有しているものの、性格は酷く怠慢で無類の酒好き。酒を渡せばどんな相手であろうと友として飲み交わす陽気な一面もある鬼が、大規模な人災をもたらすような真似をするだろうか? ――現時点においては確証はなし。真実か否かはその目で見ぬことには判断のしようがない。



「――、まぁだいたい事情はわかった」

「ではっ!」

「悪いが俺は――」

「行きましょう村正さん!」

「っておい!」



 断るつもりでいた村正だが、朱音に妨害される。

 九尾の妖狐――もとい葛葉朱音くずのはあかねの存在を今頃視認した頼光が、その目を驚愕からカッと見開けば電光石火で抜刀の構えを整えた。瞬く間の速さはさすがといったところ、同時に村正は己が作刀を所持していても健在である由縁を実際に目の当たりにしたことで納得した面持ちで小さく頷いた。



「ど、どうしてここに妖怪が!? そ、それに烏天狗も!?」

「あー、とりあえず落ち着け頼光殿。この妖怪は危険な奴らじゃあない。片方は人間の奥さんがいて文屋をしてるし、こっちの方は――」

「どうもはじめまして。村正さんの"良妻”の葛葉朱音くずのはあかねと申します」



 どうして良妻の部分を強調したのだろうかこの狐娘は……もちろん、理由など知れたこと。女性である頼光への牽制のつもりだ。もっとも朱音が思うほどの効果を頼光からはきっと得られまい。

 件の本人はというとぽかんと口を開けているのみ。いきなり人の旦那に手を出せば殺す、と気圧されても肝心の相手にその気がなければ、ただ朱音のやった行為は痛い女性でしかない。

 こいつはいったい何を言っているのだ、と今にもそう聞こえてきそうな頼光に朱音は更に言葉を紡ぐ――これ以上痴態を晒すのはもうやめてほしい……切に願う村正だが、嫉妬に支配された狐娘の暴走は止まらない。



「失礼ですけど、あなたも? まぁなかなか? 可愛い方とは思いますけどでも私の方が村正さんの妻として相応しいです! なので少しでも出そうとしたら遠慮なく殺しますのでそのつもりで」

「な、なんなのだ貴殿は!? む、村正殿!?」

「あぁ、まぁ……なんていうか、うん。こういう奴だから気にしないでくれ」

「現在進行形で包丁を向けられているのだが!? そ、それにこの妖気……九尾の妖狐とはこれほどの力を持っているのか!?」

「朱音! お前もいい加減にしろっての!」



 むぅっと頬を膨らませて渋々包丁を下げる朱音に、村正は盛大に溜息をもらした。

 同時に包丁が朱音の私物化得物になりつつあるこの現状も、鍛冶師としては看過できない。後で短刀でも拵えてやろうと思う村正は、肝心の本題から大きく軌道がそれたのでその修正を図った。

「朱音、俺達は帝や都を護る近衛兵でもなけりゃそもそも退魔師ですらない。引き受ける道理はないんだぞ?」

「でもこのヒトメス1人に行かせたら確実に死んでしますよ。私としてはそれでも構わないんですけど」



 朱音の言葉に、頼光が悔しそうに表情をしかめた。

 しかし反論せず、朱音の発言を真摯に受け入れている。頼光も自分が朱纏童子に勝てないと冷静に分析しているから、ここに訪れた。最初はなから勝てる算段があるのならわざわざこのような辺鄙な場所にもう1度足を運ぼうとはするまい。

 応援を要請する頼光の判断は極めて正しい――1つ問題を指摘するとすれば、やはり人選を明らかに彼女は間違えている。ある意味では正しいとも言えなくはないが……。



「このヒトメスが朱纏童子の討伐に失敗して都がなくなるなんてことになるのは私も嫌なんです」

「……例の項目が果たせないからか?」

「はいっ!」

「……そこの妖狐のいうとおり。某にはまだまだ力が足らぬ。他の者も声をかけてみたものの、相手があの朱纏童子とわかるや否や逃げ腰になるばかり……だからこそ! 某が頼れる者はもう村正殿、貴殿しかおらぬのだ!」

「いやでも、俺鍛冶師だぞ? 鍛冶師を実戦部隊に入れる馬鹿はまずいないだろ」

「しかし、貴殿の噂はかねてより耳にしている! 葦原國一の妖刀を生む刀匠でありながらその実、単騎で鬼をもばっさばっさと斬るほどの腕が立つと……!」

「それは……」



 頼光のこの言葉に、村正は言葉を詰まらせる。

 前者の評判はいささか複雑な心境であるものの、後者についてはあながち間違いでもなかった。

 村正は鍛冶師でありながら妖怪と互角かあるいは、それ以上に立ち回れるほどの力がある。朱纏童子という最強の鬼を相手に村正の力が通ずるか否かはさておくにしても、並大抵の武士よりも戦力になるという頼光の判断は第三者からすれば最良といえよう。



「頼む村正殿! もはや頼れる武士は貴殿しかおらんのだ!」

「うっ……」

「村正さん、早速夫婦の共同作業です! 私と村正さん、それにそこの疾風丸さんがいれば楽勝ですよ!」

「あれ? さりげなくあっし含まれてる!? まぁでも、確かにこいつぁいい記事ネタになりそうだ。そんじゃあ、あっしも一枚かませてもらうとするかねぇ――あ、先に言っておくとあっしはあくまで取材なんで、そこんところはよろしく」

「マジかよ……」



――朱音も疾風丸もなんでこんなノリノリなんだよ!

――ていうか、ここで断ったら俺だけが悪者みたいじゃねぇか!

――……仕方がない、か。



 盛大に溜息を吐いた後、村正は自暴自棄やけくそ気味に声を荒げた。



「――、あ~もう! はいはいわかったわかった、微力ながら俺も手を貸してやるよ!」

「か、かたじけない! この恩は必ず……!」



 面倒事に巻き込まれてしまったことを内心で嘆きつつ、しかし村正の意識はすぐに朱纏童子へと切り替えられる。相手は現世うつしよの鬼の中で最強の朱纏童子……生半可な覚悟と装備では掠り傷すら負わせられまい。

 決死の覚悟をもって挑まねばならぬ。そんな最中、村正は口元をわずかに緩めた。


 正直なところを吐露すると、朱纏童子に己が作刀がどこまで通ずるか試したいという、鍛冶師としての好奇心が前々より村正にはあった。

 だから前向きポジティブに考えるならば、これはまたとない好機でもある。数少ない千子村正自分の刀の仕手と朱纏童子の戦い……この目に是非見収めねば。村正は童の如く胸を躍らせた。

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