第9話

 妖怪同士による取材は、村正に多大な負担を与える結果に終わった。

 というのも質問こそ先程村正が釘を刺した甲斐あってか、至って健全なものばかりだったのだが解答側に問題があった。ざっくり言ってしまうと、朱音はほとんど真面目な回答をしていない――この事実の恐ろしいところは、朱音が自分自身の発言について真実だと認知していることだった。

 結婚していないにも関わらず、あたかももう長年夫婦生活をしてきたかのようにすらすらと妄想話を述べる朱音に村正は終始ツッコミを入れ続けた。



――よくもまぁ、あることないことこいつは言えるもんだな……。

――小説とか書いたら売れるんじゃないか?



 これでようやく地獄のような時間取材が終わってくれた、とそう溜息をもらす村正であったが、未だ帰ろうとしない疾風丸に村正は怪訝な眼差しを向けた。もう用は済んだだろうに、これ以上何か用でもあるのだろうか……取材も終えたにも関わらず、心なしか真剣な眼差しをする疾風丸がやがてぽつりと口を開いた。



「そういやぁ村正、お前あの噂知ってるかい?」

「あぁ? 噂だ?」

「あぁ、なんでも今都じゃあ変な瘴気が漂ってるって話だ」

「……どういうことだ?」

「いや俺も実はそこまで詳しくはわかってねぇんだ。なんつってもその瘴気は妖怪の俺ですらもかなりきつかったからな。妖怪でこれだ、人間だったらかなり危険だぞありゃ」

「……都がそんなことになってるのか」



 都へ最後へ訪れたのは、はていつだっただろう……村正は意識を過去をさかのぼらせる。

 都――高天原たかまがはらは数多くの人が出入りする。その規模は近隣の村など足元にも及ばず、さながら天界のようだと比喩する者も決して少なくはない。足を運べば毎日が祭のような活気に包まれ、欲しいものがなんでも手に入る。正しく天界のような場所であるが、村正が訪れたのは2回と少ない。何故なら人の多い場所を村正は嫌っているからに他ならない。


 2回の訪問も渋々だった。その時はまだ無名の刀匠だったので、千子村正せんじむらまさの名を売るためにどうしても都に赴かねばならず、だが案の定人の多さに嘔気をもよおしたのでほとんどとんぼ返りに近かったが……。


 その高天原が大変なこととなっているらしい……疾風丸からの情報に、しかし村正は特に意に介することはなかった。



「――、それだけ危険な状態になっているのなら、帝もなにか対策ぐらいはしてるだろう」

「とは思うがなぁ。いずれにせよあのままじゃあ都は天界から地獄へと真っ逆さまだな……」

「そ、それは困ります!」

「朱音?」



 意外にも、都の惨状を重く見た朱音に村正も思わず彼女の方を見やる。

「どうかしたのか?」

「だって、もしかすると都が滅んでしまうかもしれないんですよね!?」

「そりゃあまぁ、そうだろうな……でも俺は一介の鍛冶師だ。鍛冶師が国を救うために動くなんざ聞いたことはないしそもそも、高天原にはその手の専門職だっている。放っておいても――」

「それでは間に合わなくなるかもしれません! 村正さんすぐに行きましょう!」

「お、おいおいえらくやる気だな朱音……」



 妖怪が人間のために力を振るう――中には人間に対して友好的な妖怪もいる。ある侍が妖怪の女と力を合わせて極悪な妖怪を退治した後に夫婦の契りを交わした、という話も過去にいくつかあがっているのは村正も一応知ってはいる。

 どうやら朱音は人間に対して友好的な妖狐であったようだ、と彼女の心意気については村正も素直に称賛するものの、だからとて動く道理がやはりない彼はそのまま適当に聞き流した。



「だって、だってこれから一緒にお出掛けしようとしているのに都がなくなってしまったら……村正さんと生きている間に必ずやる100項目の2つ、“都で夫婦愛を見せつける”と“大衆の前で熱い接吻キスをする”ができなくなるじゃないですか!」

「なんだそのわけのわからん項目は! てか100って随分と多いなおい! 人のためとかじゃなくてあくまで自分のためかよ」

「村正さんがいれば後はどうだっていいです」

「あ、さよか……」



 やはり朱音は歴とした妖狐妖怪だった。

 本能に忠実な言動には村正も苦笑いを浮かべざるを得ない。

 自らが立てた100項目を果たすために高天原を必要としていると聞かされた村正の心境は、いささか複雑であった。先の2項目以外に後98も残っている。残り98項目に自分は何を強要されるのだろうか、と今から村正は不安を憶えてしまう。


 このままいっそのこと高天原がなくなってくれないだろうか……なんとも不謹慎な考えが脳裏をよぎった頃。突然どんどんと戸が荒々しく叩かれる。またしても誰かがやってきたらしい、しかしその様子からただ事ではないと判断した村正はゆっくりと戸の方へ忍び寄る、如何なる時でも抜刀できるよう、鍔に親指を押し当てるのもむろん忘れない。



「どちらさんで?」

「おぉ村正殿! すまないがこの戸を開けてもらいたい! 緊急の用事だ!」

「この声はた――」

「あのヒトメス! またしても性懲りもなくここにくるなんて……やっぱり村正さんを狙っているんですね!」

「いや絶対に違うだろお前は座っとけ朱音! ってお前また包丁を勝手に……!」

「おぉ、これはなかなかに修羅場。いい記事になるねぇ」

「お前も悠長に筆を執るんじゃないっての! ちょっと朱音抑えておいてくれ……!」



 疾風丸に半場強引に朱音の制止を押し付けた村正は今度こそ、戸をゆっくりと開けた。

 声から既に訪問者の正体に気付いていた村正も、日がそんなに断たぬ内から訪れた彼女を不可思議そうに見やる。



「昨日ぶりだな村正殿。だがすまない、今日はどうしても貴殿に頼みがあって……ってどうかされたか?」

「え、あ、いや。なんでもない。気にしないでくれ」

「そう、か? それならばよいのだが……」



 昨日にはあったはずの深編笠が今日は見当たらない。ぜぇぜぇと無理矢理呼吸を整えようとする来訪者の素顔は村正にごくりと生唾を飲ませるほど、凛々しく美しい。まるで芍薬しゃくやくのようだ……村正は女侍の素顔を視界に収めながらも、して何用かと工房へ案内した。



「くきぃぃぃぃぃぃぃぃっ! 村正さんは絶対に、渡しませんよぉぉぉぉぉっ!」

「うおっ危ねぇ! ほ、包丁を振り回すのは本気でやめてもらえないかい奥さん!」



 そして疾風丸に宥められていた朱音が今にも飛びかかろうとしたのは、いうまでもない。後疾風丸にそのまま斬られてしまえばよかったものを、と村正はすこぶる本気で思った。

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