第3話

「ある日突然、妖狐の嫁ができた……」



 そんな設定は小説の中だけでしか起こらない、とついさっきまでは村正もそう思っていた。

 それがよもや自分がそうなるとは夢にも思うまい。故に村正は言葉に発しずにはいられず、その隣で頬をリンゴのように赤々と染めてはくねくねと身をよじる狐娘に彼の視線はとてもいぶかし気だった。



「そんな、かわいくて優しくして最高の嫁だなんて!」

「いやそこまで言ってないから」

「もう、村正さんって意外と初心なんですね。新しい一面を知れましたので、しっかり書物に残しておかないと」

「そんな情報は今すぐにでも削除してしまえ」

「照れ屋さんですね」

「おいここまで会話が成立しないことってあったか? いやなかったぞ」

「恋は盲目なのですよ村正さん」

「うん意味がわからんわ」



 この狐娘……もとい、葛葉朱音くずはあかねと今日より始まった半強制同棲生活に、村正も不安がないわけではなかった。妖狐……妖怪と結婚をする、という事例ケースは実は決して少なくはない。昨今においては妖怪と人間の伴侶カップルが人間同士よりも圧倒的な数を占めた、なんていう噂話が上がったほどである。



「本当にどうしてこうなったのやら……」

「私と村正さんが結婚するのはもう最初から定められていた運命なんです」

「そんな運命を断ち切りたい」

「もう、本当に素直じゃないんですから。これからずっと幸せいちゃいちゃ生活を送れるって思っただけで濡れちゃ……ってもう何言わせるんですか村正さんったら!」

「お前さ、親とかがいる前とだいぶキャラ違いすぎるだろ。後そこはせめて胸が高鳴るとかにしておけよな」



 妖怪と人間、異なる種族どうして伴侶になってそれは幸せなのだろうか? ――これについては賛否両論が未だ飛び交っているのが現状である。

 人間と妖怪……告白する方は大抵妖怪側である。

 というのも妖怪は本能の塊のような存在だ。

 葛葉雷電くずのはらいでんのように十分な対話を可能とする妖怪でさえも、基本は本能に忠実である。

 要するに、この人間を婿あるいは嫁にすると決めたら是が非でも手に入れようとする。妖怪達の辞書に諦めるという二文字は最初はなから登録されてないに等しいのだ。

 今では行方不明者が出たら神隠しだ、とそう思われるのが当たり前になってる。

 そして人間の仕業じゃないともわかってるから、誰も探しに行こうともしない。一見すると薄情と思われるだろうが、相手が妖怪である以上ただの人間ではどうしようもできない。だから泣く泣く、その者の身内が諦めるのも致し方ないのだ。



――そう考えると、妖怪って本当に悪いよな……。

――でも、中にはめっちゃ幸せそうに暮らしてる奴も確かにいる。

――確か、呉服屋の権三郎ごんざぶろうの嫁さんも確か妖怪だったっけか。

――あそこの夫婦は親族公認だからな。国一番のおしどり夫婦なんて言われてるぐらいだし。

――まぁ、幸せってのは色んな形があるからなぁ。



 半強制的に結婚をさせられた人間の末路は、これが意外にも仲睦まじい家庭が多い。

 村正の交友関係を上げれば、呉服屋を営む権三郎が良い例だ。彼に至っては自らが妖怪に告白して見事その心を見事射止めた。他にも最初こそ強く拒絶していても時が経つにつれて歴とした夫婦という関係を築いている――伴侶となる妖怪からわからされた、という噂があるが、真偽のほどは未だ謎に包まれたままだ。



「――、ところで村正さん」

「ん? なんだ?」

「先程から外でどなたかがお見えですけど」

「え?」



 朱音の指摘を受けて窓の方を見やれば、確かに誰かがいる。

 その来訪者は深編笠で顔をすっぽりと顔を隠しているが、腰に帯びた大小の刀はこの者が侍であることを物語っている。同時にその手の客がやってきたとして、村正も相応しい振る舞いをもって侍に応対した。



「すまないな、ちょいと立て込んでいてね」

「いや、お気になさらず。それで――」

「あぁ、俺が千子村正だ。ここにきたってことは、そういうことなんだろ?」

「左様。申し遅れた、某都にて剣術指南役を務める――」

「あぁいいよ、そういうのは。どうせいちいち憶えちゃいないだろうからさ」



――こいつ、女か……。

――深編傘でわからなかったが、声を聞けば一発だ。

――まぁ、男だろうが女だろうが俺には関係ない話だ。

――きちんと金さえ支払ってくれれば、全員等しく俺の顧客だからな。



「とりあえずなんだ、工房・・の方に来てくれるか?」

「わかった。よろしく頼む」



 村正は侍と共に家の外へと出た。




 村正が足を運んだのは、家から10歩で到着する場所にあった。

 やや大きめの小屋の中へ足を踏み入れれば、大きな窯や鉄槌などが内観を飾っている。

 この場所こそ、刀鍛冶師である村正の工房であり、汗をじんわりと滲ませるほどの強烈な熱気が来訪者を文字通り熱く出迎えた。



「こ、ここが……!」

「ようこそ俺の工房へ。それで? 何が望みなんだ?」

「あ、あぁ! どうか貴殿の刀を某に打っていただきたい」

「やっぱりか。因みに金は?」

「……ここにある」

「ふんふん、ひぃ……ふぅ……みぃ……っと。まぁ額としては問題ない。いいぜ、売ってやるよ」

「ほ、本当か!?」

「ただし! 一つだけ忠告しておく」



 忠告――村正がそう発して、女侍の身体がわずかに強張ったのを村正は見逃さない。

 千子村正が打つ刀をとは如何様なものか、それを知らずしてこんな辺鄙へんぴな山奥までわざわざ足を運んだわけでもあるまい。彼女は千子村正の刀の噂を知っている、それでいて手に入れようとしているのだ。

 だからこそ村正は女侍に尋ねねばならない。



「俺がいうのもなんだが、俺が打つ刀はいわゆる曰くつき……妖刀ってやつだ。そのことをわかった上で俺の刀が欲しいんだよな?」



 曰く、村正の打つ刀は呪われている――このような大変不遜極まりない悪評レッテルを貼られるようになったのは、今からちょうど一年前のこと。それは千子村正せんじむらまさの人生を大いに狂わせた出来事であり、彼の刀匠としての在り方を激変させた日でもあった。


 村正の打つ刀は、それはもう大変よく斬れる。

 否、あまりにも斬れ味が抜群すぎたのだ。剣を振るう真似事をしただけでも、太い骨をさながら豆腐のようにスパッと斬ってしまうのは朝飯前で、誰しもが不可能であろうと思った堅牢な鉄の兜でさえも村正の刀の前では紙切れに等しい。


 たちまち村正の刀の噂は国中へと広まった――だがそれは、村正の思惑とは異なる展開を迎えてしまう。



「俺の刀は人をとにかく選ぶ。もしお目に叶わなかったらそりゃもうとんでもない不幸な目に遭う……鞘から抜くもはもちろん、所持してるだけでもだ」

「……ッ」

「お前さん、それでも俺の刀が欲しいんだな? 言っておくけどやっぱりいりませんでしたえへっっ、て言っても返品は不可だからな? 後文句も一切受け付けない」



 村正の言葉に、女侍は静かにそれでいて力強く首肯した。



「……覚悟の上です。某は……いえ、アタシはあなたの刀が欲しい」

「……ふむ、まぁそこまで言うんだったらいいだろ。ほらよ、好きなの持ってってくれ」

「あ、有難い!」



 村正がそういうと、女侍は嬉々とした様子で刀を物色する。

 まるで童のような彼女には村正もふと笑みを浮かべて――格子窓の向こうから覗く、血を連想イメージさせる真っ赤な二つの眼に村正はびくりと身体を震わせた。

 朱音がジッとこちらを眺めている。ただその瞳に輝きはなく、無機質な硝子つくりもののような印象さえあった。つまり有体にいうと、ものすごく怖い。



――おいおいおいおい! なんちゅー目ぇしてんだあいつは!

――怖すぎるだろ! 妖気びんびんに漏れまくってんだよ!

――てかなんでそんな怒ってんだよこいつは!

――訳がわからん……!



 村正はひとまず、朱音の方を見ないことにした。

 もちろん彼の行動は問題を先延ばしにしただけで、根本的解決には至らない。

 九尾の妖狐の怒りをどのようにして鎮めるか、それはきっと容易ではなく至難の業であろう。一朝一夕の策は返って彼女の怒りを煽るだけ、焔に油を注ぐ行為に等しかろう。


 とにかく今は考える時間がほしい――むろん女侍に村正の心境など知る由もなく、その右手の延長にある打刀に、村正はがくりと項垂れた。

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