第2話

 もらさずにいられないわけがない。あっけらかんと用件を述べた雷電であるが、その内容についてはあまりにも常軌を逸脱している。妖狐とはここ葦原國あしはらのくににおいては鬼と肩を並べるほど強大な力を持った種族として怖れられている。

 妖狐……もとい、妖怪からすれば人間などとてもちっぽけで脆弱な生命体にすぎないであろう、にも関わらず自分の結婚相手として指名するなど、これが常軌を逸脱していないのであればなんなのか。



――いや、いやいやいやいや!

――マジでわからん! なんで俺が妖狐の婿として迎えられようとしてるの!?

――どう考えてもおかしいだろ! 今日初対面の相手だぞ!?

――……もしかして、命がないっていうのは、人生の墓場ってことなのか?



 村正と朱音……二人が夫婦に至るまでの経緯がどちらともない。今日が記念すべき初対面を迎えて、互いのことなどまったくわからないだろうに、この娘の揺るぎない意志はどこから湧いてくるものやら……ほんのりと頬を赤らめ、しかし一点の濁りもなき美しい瞳をもってまっすぐと顔を見つめる朱音に、村正はますますわからなくなった。

 よもや一目惚れした、などという気はあるまいな……とにかく、もっと詳しい話がしたい。村正はそう判断した。

 理由がわからなければ、結婚するなどとてもとても――わかったとしても納得できなければする気は更々ないが……。



「……どうして俺なんだ? 俺がいうのもあれだが、もっと相手は見た方がいいと思うぞ?」

「た、確かに私は村正さんにすればまだまだ未熟な身――」

「いやそっちじゃなくて、普通逆だろ。お前らからしたら、脆弱な人間がぁって思うべきだろ」

「そんなことありません! 村正さんの偉業については私も知っています!」

「村正くん、謙遜は美徳ともいうけど度がすぎると考え物だよ?」

「…………」

「まぁそれはさておき。村正くん、狐の嫁入りを見てしまった者は死ぬ……というのは知っているね?」

「……まぁ」

「確かに私達妖狐にとって嫁入りとは特別な意味を持つ。それを下賤げせんな輩の目に触れられることは絶対に冒したくない。だがそれはあくまで悪意があって覗き見ようとした場合のみ。こちらから意図的に見せるのは問題ないんだ」

「意図的に? じゃあ何か? あの時俺が見たのは、あんたらがあえてそうなるように仕組んだっていいたいのか?」

「そうだよ」

「いや、そうだよって……」



 淡々と答える雷電に、村正は頬をひくりと釣り上げた。



「要するにだね、君と朱音……この結婚を確かなものにするために少し策を弄したってわけさ。狐の嫁入りを見てしまった君にもう拒否権はない。断れば僕らは掟に従って君を殺しにかかる」

「いやいやいやいや!」



 それではもう脅迫と同じではないか……村正はがくりと項垂れた。

 妖狐は腐っても妖狐、人間の一般常識に当てはめること自体が愚かな行為であり、妖怪は本能のとても忠実な存在であると基本中の基本を今になって、この身をもって思い知らされた。

 もはや生き残るには結婚するしか道はないのか? ――改めて状況を整理するべく周囲を一瞥いちべつする。



――相手は20人以上、数で攻められたらこっちが圧倒的不利になる。

――なんとか一対一サシに持ち込んだたら、あるいはなんとかなるかもしれない。

――狐の強さは尻尾の数に反映される……周りにいる連中はせいぜいが2本止まり。

――でも一番厄介なのは雷電と朱音、この2人だ。



 2人の尾の数はどちらとも9本。中でも村正は特に朱音へ強い警戒心を抱いた。

 妖怪はその見た目と実年齢は比例していない。一見すると童にしか見えずとも100年以上の時を生きる、などということは葦原國あしはらのくにでは珍しくもなんともない。

 外見が10代後半の葛葉朱音くずのはあかねも実は、という可能性は十分にあり得る。


 しかし一つ確かなのは、まだ若くして朱音は九尾へと至るだけの才能と器があること。

 危険視しておいて損はあるまい。

 いずれにせよ、九尾の妖狐が2人もいる時点で村正に勝ち目など最初はなからなかったのだ、そのことを彼も理解しているから青年の思考はいつになく忙しなく稼働する。

 武ではなく知で勝つ。うんうんと悩んで、ハッと村正は顔を上げた。



「……とりあえず、率直に言わせてもらうならいきなり結婚っていうのはやっぱり無理だ」

「そ、そんな……!」

「待ちなさい朱音。村正君はいきなり結婚はできないって言っているだろう?」

「……正直にいってまだ頭の中はぐちゃぐちゃに混乱している。それに俺は……その、朱音のことをまだ何一つわかってない状態だ。だからいきなり結婚するんじゃなくてだな――」

「つ、つまり結婚に向けてお互いのことをよく知り仲を深めるための期間を設けたい……こ、恋人としてまずはお付き合いするということですね!」

「いやちが……あ~もういいやそれで」



 周りの鋭い眼光に当てられて村正は思わず言い淀んだことを深く後悔した。

 件の妖狐娘は、恋人というなんとも都合の良い自己解釈にすっかり上機嫌でいて、今更友達からなんて訂正する雰囲気ではない。

 認めたくはないが、朱音を恋人として認める他ない……村正は内心で盛大に溜息を吐いた。



「それでは村正さん、改めまして葛葉朱音くずのはあかね。村正さんの妻として相応しくなれるようまずは恋人として今日からお世話になります」

「あ~、うん。まぁその、よろしく、な?」

「どうして疑問形なのですか?」

「気のせいだろ」

「うんうん、それじゃあ話もまとまったことだし僕達は引き上げるよ。朱音、これから先苦難が待ち受けているだろうけどきっと乗り越えられる。頑張るんだよ」

「はいお父様!」

「え? いや、その……朱音は一緒に帰らないのか?」

「いいえ、今日からこちらで住まわせてもらいます」

「はぁっ!?」



 衝撃的発言をさも平然と述べる朱音に、村正は目を丸くして驚愕の声を上げた。



「いやいやいや! おかしいだろそれはいくらなんでも! 恋人って関係でいきなり同棲するとか普通ないぞ!?」

「結婚を前提にしているので問題ありません。それにずっと一緒にいた方がお互いのことをよく知れるじゃないですか」

「それは……そうかもしれないけど!」

「では決まりですね。これからよろしくお願いいたしますね村正さん」

「こ、こいつ……!」



 見た目はお淑やかで清楚な雰囲気をひしひしと放っているのに、その実己の主張を頑として曲げず意地でも貫かんとする気の強い娘だったらしい。既に雷電ちちおやを含む妖狐達は雲隠れしていていない。



――おいおいおいおい! 本当にこのまま朱音こいつと同棲するのか!?

――なんとかして距離を開けてる間に雲隠れしようとしてたのに……。

――これじゃあ監視されてるのも同じじゃねーか!

――いかん……これは大変いかんですよ!



「村正さん、お食事で何か嫌いなものとかありますか?」

「うぇ!? な、何もないぞ。基本は何でも喰うかな」

「わかりました! それじゃあ腕によりをかけて作りますね!」

「ははっ………はぁ……」



 残された朱音が早速食事の支度に入るのを村正は、ただ黙って見ているしかなかった。

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