赫鉄のハルファス ~汝、誰が為にその鉄を打つ?~

龍威ユウ

第一章:ダイナミック狐の嫁入り

第1話

 狐の嫁入り、というものがある。

 雨雲一つない状態であるのに雨がさめざめと降る現象のことだ。

 古来からここ、葦原國あしはらのくににおいてこのお天気雨は決して目にしてはならないという絶対不可侵の規則ルールがあった。


 何故見てはならないのか、この理由について青年――千子村正せんじむらまさはかつて師父であったいわおに尋ねたことがあった。その時に返ってきた回答は、目にすれば命がないという、不安と恐怖を煽る一方で大まかな内容に未だ村正は不思議に思っている。


 結局のところ、神隠しとはなんなのか? ――この疑問についてついに村正は知ることとなる。もっともその形は彼が望んでいたものとはあまりにもかけ離れていた。よもや本当に狐の嫁入りを目にしてしまうなど、果たして誰がこの時思えようか。



「あ~……ついてないな」



 今からちょうど一週間前のこと、村正はその日いつもとは異なる散歩道を歩いた。

 毎日欠かさず一里およそ4km前後歩くことを日課としている。これは修練というよりは単なる気分転換という意味合いの方が大きい。


 そして運命の歯車が狂うに至った起因は、なんとなくという実に曖昧あいまいな理由によるものに他ならない。たまには違う道を歩くというのも一興だろう……真っ直ぐと進む道を右へ進んだ村正は、そこで不幸にも狐の嫁入りを見てしまった。



――狐の嫁入り……マジで妖狐共が結婚式を挙げていた。

――いや、そんなことよりも今は自分のことだ!

――狐の嫁入りを見てしまった場合、そいつの命はない。

――つまり家の周りを取り囲んでいる狐共は、俺を殺しにきたってこと……!

――こいつは……やばい。かなりやばいぞ!



 目にした者は必ず死ぬ――かつてこそざっくりとした回答も、いざその身で体感すれば否が応でも思い知らされる。家を取り囲む妖狐は圧倒的に村正よりも多い……ざっと数えてみても恐らく20は軽く超えていると見て間違いあるまい。


 人間が相手でもこの数はなかなか骨が折れるというに、妖狐となるともはや成す術はない。

 即ち狐の嫁入りを見てしまった時点で千子村正せんじむらまさの人生は詰んでいたのだ。正しく絶望的としか言い様のないこの状況を如何にしたものか、幾重にも思考を巡らせるものの妙案が生まれるはずもなし。

 村正は、この時ばかりは腰の愛刀がいつになく頼りなく感じてならなかった。


 やがて笛太鼓の音色がぴたりと止んだ。

 どうして急に笛太鼓が止んだ? ――いつもと異なる状況に村正に緊張が走る。

 雨がしとしと降りしきってはいるものの、空はまだ清々しいほど青い――夕刻になれば諦める妖狐達が何故日の明るい内から諦めたのか、村正はこの違和感に得体の知れない不気味さを憶えるのを禁じ得ない。


 何かきっと企んでいるに違いあるまい、と村正が腰の得物を一寸ほど鞘から出した、次の瞬間だった。



「KITSUNE! Open the door!」

「なっ……!」



 荒々しく襖が蹴破って妖狐達が次々と中へと侵入してきた。

 標的に対してただ直進するという、作戦としてはなんとも浅はか極まりないが規模が圧倒的に違う。

 村正からすれば彼らはさながら津波の如く。数による圧倒的物量をもって対象を殲滅せんとする勢いを前には得物を抜くことさえもままならず。あまりにも呆気なく村正は地に伏せられ、そこににゅっと出た顔が彼の顔を覗き込む。



「ふむふむ……君が村正くん、だね。なるほどなるほど、いやはやなんとも不思議な目をしている」

「ア、アンタは……!」



 その男は一言でいうなれば、優男という印象がぴったりな男だった。

 温厚そうな顔立ちは整っていて、さぞ女性に人気があろう。もっとも顔に施された赤き紋様が否が応でも彼らが人非ざる存在だと思い知らされる。この顔についた優しい笑みもどこまでが真実なのやら……村正は一瞬の機をひたすらに待った。



「あ、そう怯えなくてもいいよ。僕達は別に君を殺しにきたわけじゃないからね」

「そ、それじゃあどうしてこんなことを? やってることと言ってることが矛盾しているんだが……?」

「そうだね。それじゃあ今から君を解放するとしよう――離してくれていいよ」



 男がそう他の妖狐に命ずると、村正は驚くほどあっさりと解放された。

 ゆっくりと体勢を立て直す傍らもずっと、にこりと微笑む妖狐達の首領格の男はやはり不気味でならない。一寸の油断も許されない状況に、ひとまず村正も対話をもって彼らに対応することにした。



「……それで、アンタ達の目的は本当になんなんだ? 俺を殺しにきたんじゃないのか?」

「殺す? 僕達がかい? まさか――いやでも、我々が君を望まない場合であったらそうしていたかもしれないね」

「……? どういう意味だ?」

「それについて今からきとんと説明するよ。まずなんだけどい――」

「――、お父様お話が長すぎます! 私はいつまで待っていればよろしいのですか!?」



 その少女が突然、この場に颯爽と乱入を果たしてきた。

 齢は16才程だろうか。夕陽のように赤々とした着物がとてもよく似合っている。

 そんな彼女も妖狐である証――狐に模した、とても毛並みのよい金色の体毛に覆われた耳と尻尾がその身から生えていた。

 付け加えて先の台詞から、この優男とはどうやら親子であるらしい。



「あぁ、すまないね。えっと、紹介しよう村正くん。この子は私の一人娘の朱音あかねだ。そして申し遅れた、僕の名前は葛葉雷電くずのはらいでんという」



――温厚そうな顔してるくせに名前はかなりいかついな。

――雷電とか怖すぎるだろ。なんだよそれ、関取かっての!



「あ~よく名前と雰囲気が合致してないねって言われるかな」

「げっ! な、なんで……!」

「……今に始まった話じゃないからさ」

「あ~……」



 どうやら自分だけではなかったと知って、村正は安堵の息をホッともらした。



「もうお父様ったらさっきからずっと村正さんとお話してばっかり!」

「あぁ! ごめんごめん、そういうつもりじゃないんだよ朱音」



 むっと頬を膨らませて抗議する朱音に、平謝りをする雷電。

 ポコポコと父親を叩く光景は一見すると大変仲睦まじくあるが、それもやがてドンドンと重量感あふれる音に変わればさしもの村正も仲裁に入るべきかとすこぶる本気で悩んだ。

 表情こそ笑みであるが雷電の顔色は見るからにとても悪い。痛みを堪えているのが一目瞭然で、しかし周囲の仲間もどうするべきかと互いに顔を見合わせるばかりで動こうともしない。


 これがこの親子の在り方なのか? ――そうだとすれば村正にはおろか誰にも彼らの親子団欒だんらんを邪魔する権利はないだが……さすがに見過ごすわけにもいくまい。村正は親子の間に仲裁へ入った。



「あ~盛り上がってるところ悪いけど、結局おらくらは俺に何の用があるんだ?」

「あ、そうだったね。いや~何度も脱線しちゃって悪いね村正くん――それじゃあ本題に入ろうか。用というのは私の娘、朱音と夫婦の契りを結んでほしいのだよ」

「……は?」

「えっとだね、つまり私の娘の朱音が君に惚れ込んでしまったんだよ」

「あ、あの! 改めまして葛葉朱音くずはあかねと申します! どうか私と夫婦として共に歩んでください!」

「……は?」



 村正は間の抜けた声をもらした。

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