第2話 影鷲《エイジュ》※残酷・暴力描写あり
幾度か目覚めた敵兵を、気絶させながら王宮に辿り着くと、次の行動は決まって。
「……芸の準備は万全か」
「はっ。ダン・アーノルド様、長旅お疲れ様です。既に万全でございます」
王宮内にいた見張りの兵が敬礼をしながら答えた。そして、移動しながら会話を継続する。
「王の様子は」
「はっ。王はすでに夜食を終え、玉座に向かわれています」
「剣を」
「はっ。こちらに」
潜入のときには所持していかなかった、長年の相棒を受け取る。
特注で国一番の刀鍛治職人に作らせた。『勝利』の象徴とされる【太陽】と、通り名の根源にもなった【強さ】の象徴である【鷲】が彫り抜かれ、金を注ぎ固めた両刃の剣だ。模様は剣身の手元側から柄まである。
王が玉座に着くまで数分後。身を綺麗にするため鎧を脱ぎ、シンプルで首元に麦の刺繍が入った麻の服に着替えた。
英雄として讃えられたとき、金の鎧を受け取ったが使用したことは今までにない。
――どうせまた汚れるが、軽装であれば何でも良い。
玉座の間の中心に片膝をつき頭を下げる姿勢を作った時。後方から威勢の良い音が響き、背筋を少し伸ばした。
臣下のものが入室したのを確認して直ぐに扉を閉めたことを、開閉時の風量から肌で感じ取る。足音が近付いてくるともにダンは冷酷かつ無心に深くのめり込んだ。
視界に装飾された足が映り即時に消えた。行方は赤い絨毯の終点、この国でただ一人しか座れない場所だ。
側近の図太い声で王が入室したと皆に知らせ、玉座についたかは鼓膜を震わす太鼓でわからせる。
「ダン・アーノルドよ、長旅ご苦労であった。顔をあげて良いぞ」
面をあげた先には白い髭が伸びた王がだらしなく座っていた。顔の真ん中、2つある穴の片方から出した糞を眺めては空中に飛ばしている最中だった。
たらふく食べてきたのだろう、普段より窮屈で服の留具が取れそうだ。
正直、ダンはこの王を微塵も慕ってはいない。むしろ濡れた布を喉の奥まで突っ込んで窒息死させたいくらいだ。直系の血筋でなければ少し前にあった鼻糞世論調査にも協力なんてしなかっただろう。鼻糞は丸めてから捨てる派とか味が旨いとかどうでも良いから休暇が欲しいものだ。
無心にのめり込んでいる今は、それも自然の背景とみなしていた。
「まぁ我が勝利するのは当たり前だかなフォッ。そんなことより早う芸を見せてくれ。ずっと2ヶ月以上も待ってたんじゃぞい」
高く脳天気な声に対し太く低い声で短く返事をした。
背後の扉が再び開くと、数人の足音ともに貴族らの小声が波のように伝わった。小波を遮る声があがる。
「離せ。私に触るな、触るんじゃないッ」
「大人しくしろッ」
芸の品はいつも上等品からと決まっていて、両手を縛られ連れてこられたのはやはりあの二人。ルヴトー総団長とジュール副団長だった。
今にも逃げられそうな手綱を兵が握っていた。
ダンは立ち上がると王に一礼した後、柄に利き手を添え剣を抜き始める。
貴族の間にざわめきが起こり、背後から殺意を抱いた黒い影がダンを通り過ぎその先の人物に向かった。だが、黒い影は王座に繋がる階段の途中で止まる。
「なぜ笑う……」
皆、嘲笑っていた。ダンを除いて。
「面白いからに決まっておるからじゃろう」
「ゔぅぐゔああ」
殺気が僅かに緩んだのは一瞬。振り返りジュール副団長の叫ぶ声は体の芯から燃えているようだ。
「殺すッ」
血管を浮き出せ、言いたりない、殺したい、ぶち殺してやる。と脳の中はそんな思考だろう。
当前だ。血に染まった刀、服に飛び散った返り血。ルヴトー総団長の胴体から切離された腕をダンは掴んでいた。
痛みに涎を垂らしながら血眼になって床を悶え回る姿からは他国英雄と称された人物とは思い難い光景。
沸き起こる凄まじい殺気を纏い、
「貴様ぁッ」
素手で攻撃を仕掛けてきた。
「駄目だ、来る……な……」
残り手で拒む動作をして伸ばした腕を、迷いもなく断ち切る。
偵察の時もきっとそれ以前から。輝いてけれど追い付きたいという真っ直ぐな瞳でルヴトー総団長のことを語っていた。
そんな瞳が大きく開いた。
頬に飛んできた血を拭い、これは誰のものか。擦れ伸びた血を見つめるも状況判断が呑み込めず、悪夢だと信じたい光景をただ眺めているようだった。
憧れていたであろう男の一部が目の前で斬り落とされていく。いつも救いの手を伸ばしてくれた腕だろうが、追いかけ続け先を歩んでいた足だろうが、話を聞いてくれた耳だろうがー…全て。
互いに向き合いながら歪に顔を歪ませた後、劈く絶叫が生まれた。
だが、その苦痛すらも観客は娯楽として認知している。
(………………)
ダンは己の役割を淡々と果していく。それはまるで心のない操り人形で。
舌を切られ片目の眼球を飛び出させ死んでいったルブトー総団長を見た直後。
ジュール副団長は変わった。
最初はスリムな顔だちをしていたのにぷっくりになった。そこから徐々に色味が増して黒紫。揃っていた歯も数本抜け落ち3本しか残らず。数分後には戦で掠り傷がついていた腕も足も、ぷっくりと黒紫に染めそれらが体から離れていた。
拳と剣に流れ落ちる血、ダンはその液体を振り払った。
「悪魔め」
顔面に返り血を浴びても尚、無表情のダンに向かって死ぬ間際に絞り出したジュール副団長最後の言葉だった。
――背景が喋った。
不意にそう思った。
芸に関して感情なんてものは無意味でしかなかった。とうの昔に捨ててはいたが、国民の恩人とわかっていながら殺した責任からかもしれない。最後の言葉を心に留めておく事にした。
ダンは一息つき、首を鳴らしながら次のことを考える。
(……各兵士隊長と副隊長、兵士、次は村人、埒が明かんな……)
延延と行列が出来てるんだ。閉じた入口の扉の奥に、地下牢から連れて来られた笑いながら殺される運命の奴等が。
二人の死体を雑草のように見出した頃、次に連れてこられた兵士に観客は盛り上がった。
一人目は幕揚げ盛り上がり、二人目か三人目当たりがいつも盛り上がりのピークだ。今日は三人目がピークらしい。一番盛り上がり待ってましたと言わない限りに王も、ぐふふ、と笑っていた。
ダンの前に背側、王と板挟み状態でつれて来られた敵兵は正座にさせられた。
珍しく大人しく、度胸が座っている奴なのだろう。
敵兵と言ってもその服装は鎧を着てはいない事に気付く。
(……特別視察隊の兵士隊長ってところか……)
特別視察隊の奴等が襲えと言ってるばかりの鎧を着ることはめったに無いだろう。
その兵士隊長はフードを被っていた。戦の乱闘で布は所々ボロボロだ。
「ダン・アーノルドよ。早うコヤツを殺せ。そして楽しませろ」
この言葉でダンは奥底にまた心を落とし「殺せ」と言う言葉に少し反応したのか、兵士隊長が息を呑んだ。
縄を解いた腕の隙間から腕を通し、背中側から剣だけを腹の前に添えた。
――そう、腹を切るつもりだ。
泣き喚くか懇願をするやつが大半だが、そんな気配は微塵もなかった。
腹を切ろうと動いた瞬間。反射的に刀を止めにきた手がー…。
(…………! )
思考回路を停止しているダンは、戦闘も全て長年培ってきた感と反射神経に頼っていた。その培っていた感が外れたのだ。
「くぁあああああッうう」
人間とは思えない高音の悲鳴があがった。
両手で刀をガードするどころか、刀を握りしめ血を垂らしながら、自らの腹に喰い込ませたのだ。
読みの外れたダンは反射的に一度振り払い、まだ握られている片手をそのまま切り落としたー…続けて手の平から先の半分なくなった片腕も切り落とす。あっさりと奇麗に切断されあまりにも手応えがない。
そこで初めて違和感を覚えたダン。
(…………何だ……)
切り落とした指先や腕が、妙に色白く、豆腐のように柔らかそうで鍛えきった兵士の腕では決してない事に気付く。
(……まるでこれはー………女の……)
傷を負った兵士隊長が肩から崩れ落ち、ずっと深く被られて見えなかった顔が覗いた。
ドクン
ダンの鼓動が通常ではありえないほど脈打ち始めた。額からは急激に嫌な汗が溢れ出し、やけに喉が渇く。
「……アリ……ラ……」
乾いた唇から声が漏れた。
(どうして……何故、お前がここにー…)
フードから覗いたホワイトベージュの髪も、薄い舌唇を噛み血を流し痛みに顔を歪ませた顔も。
――誰が。兵士ー…だって?
――誰が。兵士隊長ー…だって?
――ありえない。
無心でなんていられなかった。
――だって。
ダンの。
――最愛の妻だ。
目の前で腹から血を流して苦しんでいるのは、紛れもなくダンの妻。アリラ・アーノルドだった。
鉛の足を動かして恐る恐るアリラの近づき抱き寄せる。ぴちゃ、と朱殷の水溜りに落ちた雫が嫌な音を立てる。
もう背景など存在していない。
ダンは己の服の裾を破り肩の止血にとりかかった。
(どうしてー………何故ー…)
ダンは歯を喰い込ませた乾いた唇に血を滲ませながら、
「ー…アリラ。少しだけ我慢してくれ」
揺れる手に力を入れようとする。
アリラは首を縦に振らなかった。荒い息の中僅かに瞳を開き、ダンの頬に欠落していない手で触れた。
「…………な……いて…るの? ……」
ダンの全てを見透かす様に微笑みその涙を拭う。
頬を伝う涙の感触を感じていなかったが、アリラの透明な液体の中に、涙の水滴が溶け込んでいくのを見て初めて自覚した。そして、より一層目頭が熱くなるなる。
「……止血を……させてくれないか」
「……わかって……るのでしょう? ……だから…………泣いてる……わたし……見える、みたい……」
――ずっと、止まらない。抑えても抑えても流れ続けて…………信じたくなくて。
アリラのいない世界なんて。信じられなくて。
生温かくぬるりとしたものが腹の傷を抑えている掌から抜けていく。
柔らかく包むように微笑えむ姿も、どんどん消えて簿やける。
「自分を……責めないで……」
そう言って、呆気なく、死んだ。
――アリラ。アリラ、アリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラアリラ。
最強とも言われた男が最愛の妻を殺した。その事実に。過去にないほどの盛り上がりを見せる観客。
不思議と怒りは沸かなかった。ただ、信じ難いほど心が割れつらく切ない。たった今この男は孤独になってしまっただけなのだ。
兵士を半分以上殺したとき、男は気付いた。
――死んだ人は戻ることはない。と。
ダンは怯んだ残兵を放置し、剣を投げ出しアリラの遺体を拾い集め大事に大事に両手で抱え持ち上げた。そしてそのまま扉に向かって行く。
頭の中にドス黒い霧が浮かんでは渦巻き、浮かんでは消えてを繰り返していた。
――悲しい? 絶望? 笑わせるな。そんな生温い気持ちなんかじゃない。
――アリラが死んだんだ。
たったそれだけのことだ。それだけのことなのに。人、一人殺すなど容易かったはずなのに。
――あまり泣けない君を泣かせた。
その事実に。
――守りたかったはずなのに苦しめた。
その事実に。
――俺が殺した。ただ君に愛を囁き一緒に幸福を魅せたかったはずなのに。
ただ、幸福を魅せたかっただけなのに。
瞳からは活力も意思も消え失せ、もうそこには廃墟人がただ死体を持ち歩き存在するだけだった。
ダンは座り込み女の亡骸を抱いていた。あの日から明け暮れ、片時も離れたことはなかった。
「………………殺せ……」
口元を布で隠した全身黒1色の大柄の男に囲まれていた。
蝿の音に加えて数分前から外に十数人、忍び足で接近してこちらを伺っていた事に気付いてはいた。刺客だ。気づいた時点で容易く対処出来たが、それをしなかった。
「流石、
刺客の集団の中から一人の男が歩み寄るのが亡骸の片隅から視界に入り込んだ。
ダンは蝿が集り変わり果てた亡骸の頰に手を添えた。
(…………)
鈍い音と共に添えてない方の掌を口を当てた。
「まったくー…。つくづく貴方の相手はしたくないですね。心臓を狙ったことをわかった上で彼女に血をかからないようにするなんて」
男の声を遠くに聞きながら、視界の左手で刺された剣が引き抜かれ、心の臓の筋肉がえぐらる。
遠のく意識の中、やっと開放される気がした。
――アリラと過ごしたこの家で、アリラの隣で終わるのも悪くない。
最後の瞬間まで。
アリラの冷たい頬に触れながら、眺め続けて思う。
どんなに変わり果てたとしても。
――変わらず綺麗だ。
『影鷲』《エイジュ》の人生が終わりを告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます