第1話 影鷲《エイジュ》


 ファーを右肩に身に着けた。

 いや違う。

 そいつは取り立てお洒落なものではない。所々に朱殷色や土が付いてるし、約80キログラムなのか少し重い。何より致命的なのが、皮膚に接触している部分が冷たく硬い。その上、全く毛が付いていないのだ。

 それもそのはず。

――人間。

 そいつは鎧を着けた人間なのだから。

 どこからか歓声が湧き上がる。

 たった今、戦の終わりを告げたのだ。半年も長引いていたランス王国対カーベルト帝国とのウィルドネス戦に。

「ダン! やったのか? その肩に担いだ奴、カーベルト帝国の『百狼』だろ。総騎士団長のよ」

 荒地に転がる数々の人間を避けながら、とんがり帽子を被った一人の男が近づいてきた。

 近くに転がっていた、敵国の副団長と思われる奴も逆の肩に担ぐと、ずっと溜めていた息を吐いた。

「……殺してはいない」

――殺してはいないが。やはりここで殺してしまおうか。そのほうが、この男達のためにも良いだろう。

 戦は終わったが、ダンの仕事が終わったわけではない。

 カーベルト帝国の騎士軍や国民を連れ帰還し、玉座の前で、芸をしなければならない。

「しかし、あれだな……毎度思うが悪趣味な王だよな。後に反乱を起こさないためだの言って、敵の騎士と民の大半を殺すだなんて……俺がそんな目に合わされたら逆に殺しに来ちゃうよ」

 とんがり帽子の男が転がっていた兵を、同じように担ぎながら言ったその時。

 風がないのに服が揺れた。源は左肩からだ。

 担いだ男に、目覚める気配がした。

 ダンは直ぐさま指先に力を加える。

「……!」

「ー…動くな」

 少し気絶させる時、甘かったのか。何百何千と相手していると手元がつい狂う。

「……お前がー…ダン・アーノルド! 『影鷲エイジュ』がなぜー…」

 手足を暴れさせ、若い男が逃れようとするが、その姿はまるで、親に強制連行される子供の様だ。

 状況確認で右に振り向いた時、息を呑むのがわかった。

「ー…だん……ちょう……。ルヴトー総団長! 起きてください! ……嘘だ。こんなのー…嘘に決まってる! 俺たちが負けるだなんて、ルヴトー総団長が負けるだなんて!」

 若い男に気づかれないよう、とんがり帽子の男が腰に挿してあった、二刀の短剣のうち、一つを抜く。

 背後から―― ダンからすれば正面から、若い男の息の根を止めるつもりだ。

 殺されては困る、そう思った。

「ー…な、にを!」

 反射的に若い男の頭を掴み、低姿勢を作る。そのまま、頭を少し傾けさせながら、とんがり帽子を被った男の懐に入り込み、頸動脈と短剣のガードが空中で重なった瞬間。低姿勢を解いた。

 脳震盪を起こし倒れた若い男。

 ダンは、この男をしばしの間、見つめ考えると、この顔に見覚えがある事を思い出す。

――この男は、確かー…。

 ダンは、ちょうど一ヶ月前のことを回想していた。



 ウィルドネス戦――敵陣中央地に潜伏していた時だ。

 その日は雨の日で、潜伏が淀み、騎士団長の一人であるダンは、静かに苛立ちを募らせていた。

 そもそも、戦に乗り気ではなかったダンが何故ここに居るのか。それは、戦の勝率――国政に関わるほど影響をもたらしてしまうからだった。

 ランス王国は小国だが兵力が強く、戦が絶えなかった。その理由は明確である。


 病や孤児、家族も友人もいない命知らずが多い。

 血を好む狂ったやつが多い。


――ダンもそのうちの一人だった。

 孤独からくる寂しさの飢えを、己の手を汚してでも、戦をすることで忘れられた……。

 だか、今は違う。

 家族がいるのだ。唯一、たった一人の妻が。

 守るべき人が、守りたい人がいる。

 一緒に静かに過ごしたい人がいる今、死に場所を探して戦う理由がダンにはもう無かった。

 ダンは騎士団長の一人と言えど、勝率を左右するほど強く、この国トップの剣の戦力を持っていた。

 ランス王国からすれば大事な要だった騎士団長を失うわけにはいかず、戦には極力出ず、出るにしても敵陣が半分、半年以上かかる場合のみという条件で非常勤騎士団長として留まったが。

(……完全に先走りだ。この戦、まだ半年も経っていないではないか)

 草木の間に佇みながら、入口付近にいる警兵二人の松明で照らされるテントを見張る。

 雨でぼやけて視界が悪い。

 動きの見えない時間に考え始めた事は、戦とは無縁のことだった。

(……家から出ていなければ良いのだが。滑らせて転倒していないだろうか……。やはり家に居れば良かったか)

 雨の日はいつもより心配する。

 ダンは、妻の事を心配をしていた……。ただし、僅かな動きも気づけるよう、体の神経だけは研ぎ澄ませる。

 別の方向から松明がゆらゆらと警兵の一人に近付いてきた。それは、武装をした若い男だった。

「ジュール副団長!……そちらは?」

 ジュール副団長と呼ばれた武装をした若い男は、長く連なる縄を持っていた。

(あれはー…ランス王国の民か)

 ボロい服装をし、ぬかるんだ地面で裸足に泥が付いた民たちが縄で結ばれている。

(十五人。カーベルト帝国が捕まえて来たか……或いは、戦で緩んだ警備兵の目を盗んで、奴隷商が民を売ったか……)

 どちらにしろ、それは許されることではないが。かと言って、ここで出ていく訳にもいかない。

「上層部が奴隷商から買ったそうだ。中には貴族とか良いとこ令嬢とか、大切にされてた奴とか居るらしいから人質だそうだ」

 ジュール副団長は、自分で言いながら、納得出来ないと言う顔をしていた。

「ランスの民なのに殺さないのですか?」

 警兵が縄を受け取った。

「ああ、見張りを頼む。あと、人質コイツラに手は出すなよ。殺しもだめだ。女、子供は戦には関係ないからな。人質なんかいなくてもルヴトー総団長が勝つに決まっている! 上層部はわかってない。あの人の凄さを」

 そして去り際に、

「逃げれはしないと思うが、一人変な女が居る。手が滑って殺さないように」

 と言い残し雨の中に消えていった。

 どうやら奴隷商が売った、後者のようだ。

 ジュール副団長が去った後、警兵一人がテントの中に縄で結んだ民を連れ入っていった。

 雨音だけが静かに聞こえていたが、途切れ途切れに女の嫌がる声、子供のなく声、警兵の怒鳴り声が、聴こえてきた。

 気になったのか、一人立っていた警兵もテントの中に入っていった。

 見える範囲で三角形に並んだテントが三つ。そのうちの右端にある一つ。警兵とランスの民が入ったテントだ。

(奥にもテントがまだあるかもしれないがー…)

 テントの中で油断をしている警兵から、服装を奪うのが得策だ。

 音を立てないよう右側の草木からテントに回り込んだ。

 中に入ろうとした瞬間。

「待て! 女が逃げたぞ! ……ん?俺にぶつかってきやがった」

 中が騒がしくなった。

 どうやら、テントの中で女が一人逃げ回っているようだ。

「ハハハッ。女が男に力で勝てるはずないだろ? ……逃げるから物にぶつかるんだろ、おとなしく捕まっとけ。おいおい次はどこに向かって行くんだよ。」

「……バカッ! お前が油断してるうちに入口に向かっただろーが」

 布一枚挟んだ入口の前に立っていたダンに、逃げ出した人物がぶつかった。

 歪に膨らんだテントの布を退けると、フードを被った女の腕を引っ張り、背後に行かせる。

「……? ………? ………?」

 フードを被った女は状況が飲めていないようだ。

「何者だ貴様!」

 味方の服装とは明らかに違うダンに、警兵たちが武器を構える。

 ダンは、手ぶらだった。刀一本すら持っていない。潜伏中金属の擦れる音を恐れたためだ。

 逃げもせずに、二人が動くのを待った。

 警兵たちが何人で来ようと、武器を構えた時点で結果は目に見えている。

――隙だらけだ。

「……女よ、少し下がっててくれ」

 フードを被った女は、首を少し傾け、曖昧に頷く。しかし、ダンが警兵の一人を仕留めようと動き出した時、抱き締めてきた。

(……! この女、敵だったのか?否、そんなはずはない。ならば、俺を止める気か……!)

 様々な考えを巡らせている間にも、警兵が接近する。

(この状態では、背負投は出来ない……。ならばー…)

 警兵の腕が掴める間合いに入ったとき。素早く刀を持った腕を引っ張り、同時に右足を前に踏み出しながら、右手で顎を下から強打撃する。

そして、間髪入れずにもう一人が間合いに入ったのを確認し、同じ技で仕留めた。

 フードを被った女の予想外の行動に、少し焦ってしまった。

(俺としたことが……気絶させるつもりが、少し力を入れすぎてしまった……)

 顎の骨を砕いた音と掌に残ったその感触があった。

 固く震えながら、抱き締められる腕をどうしたものか考えていると、外から泥水を踏む足音が聴こえた。

 泥水がズボンの裾位まで跳ねる音――ジュール副団長か。

 百発百中ではないが、特徴あるテンポにダンの予想は当たっていた。

 首元から嫌な冷や汗が出る。

「おい、警兵! 中で何をしているんだ! 入口の守備はどうした? ……中に入るぞ」

 入口の布が開けられた。

「……お前は?」

 警兵の服を着た男がフードをかぶった女を縄で縛っている最中だった。近くには、ジュール副団長と話した二人の兵が転がり、眠っているのか動かない。

 何事もないようにダンは、返答する。

「夜食の時間でしたので、代わりの警兵でございます」

「なら、なぜ動かない。……その女は?」

「私が着いたとき、女が脱走しようとしていたため捉えました。警兵は……恐らく、この女の予測不可能な動きによるものかと……」

 怪しむジュール副団長。しかし、女がフードを被っている者だと知ると、納得したように笑った。

(……?)

「そこで寝ている警兵には言った気がするが、そいつ変な女だろ?」

 去り際に言っていた女のことだろう。

「変ー…と、言いますと?」

「他の女、子供が叫んだりしている時、まだ心配をするのはわかる。奴隷で敵国に売られたのに状況が全く読めていないのだよ。泣いてるやつがいても『え?』とか『大丈夫?』の繰り返し、おまけに言う事聞かないときあるし」

 笑いながら言うその姿はまるで、恋人の話を語っているようだ。

 ダンは、先程女に抱きしめられ止められたことを思い出していた。

 縄を結び終え、フードを被った女の様子を見ると、首を傾げていた。

 その様子を見ながら。そうですか、と言う言葉しか出てこなかった。

 ジュール副団長が「飯を食べてくる」と、テントを出た。

 他の女、子供は眠っているらしい。

 顔を見られたからには一刻も早く情報を手に入れ、戻らなければならない。

 フードを被った女に向かって言う。

「俺はランス王国の兵だ。戦が終わるまで待ってくれ。ジュール副団長からできるだけ離れないようにしとけ。アイツは女、子供に手出しは許さないはずだ」

 立ち上がろうとしたダンの腕の裾を、フードを被った女がためらいながら掴んだ。その手が小刻みに震えている。

「不安だろうが安心しろ。ランス王国が……俺たちが勝つから。そして……必ず助ける」

 フードを被っていて、女の顔はよく見えない。しかし、まだ何かを伝えたいのか、頭の整理がついていないのか、女は迷いながら、掴んだ手を離した。

(……ジュール副団長が言っていた通りだな)

 ダンは、急いでいた。

 テントを出るとき、不意にフードを被った女が気になり、振り返った。

 女は首を少し、傾げていた。

 その姿は戦の人質だとは思えず、何故か可愛らしい人だと感じたー…。



 左肩に担いだ男が――ジュール副団長だったのか。

(フードを被った女も含めてまだ生きているだろう……ランス王国の民を殺さないでいてくれたジュール副団長への仕打ちは悪いと思うが、感謝をせねばな。しかし、戦では甘過ぎる。若い男だから仕方ないが、戦は甘いほうが負ける……)

 ジュール副団長は戦に向いている人ではない。

「……大丈夫か」

 尻餅をついたとんがり帽子の男に声を掛けた。

 地面に刺さった握っていたはずの短刀を、信じ難く眺めている。

「悪いが……陛下に気絶させた状態で連行するよう言われている。いつも通り生きた状態で連れてこい。……俺にも家族ツマが居るんだ」

 王の命令に逆らえばどうなるかくらい、容易に想像できる。

 もう何日も会えていない妻に、無性に会いたくなった。

「さすがは、ヒョロっと現れ何百何千と気絶させオウジョウへ帰ること『影鷲エイジュ』だな。やはり、お前は凄いよ」

 ダン・アーノルドは、敵兵を担ぎながら王宮へと向かった。




 










 

 


 

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