第8話 満州戦役

008 満州戦役


時は戻って。


米国の起死回生の奇襲爆撃作戦と時を同じくして、中国国民党軍の大軍は山海関を超えて満州国へと侵入し、侵攻を開始する。


それに先立ち、米国から借り受けた、B17爆撃機の大部隊が前線の満州軍(すでに軍隊を創設し、満州人が自国の防衛に当たっていた)部隊を爆撃、満州国は大混乱状態となる。

関東軍も油断していたために混乱状態に突入した。


1945年9月8日から始まる中国国民党軍の侵攻作戦を満州戦役と呼ぶ。


国民党軍は連合国側(アメリカのこと)から兵器の供給を受けられるようになり、共産党軍を西の果てまでおいちらしていた。


そして、米国の決起とともに自身が掲げる『満州国は中国の一部』を奪還するために、大軍をもって、山海関から侵攻を開始したのである。


満州空軍は、旧式の零戦改、隼改(ともに零戦、名前が違うだけ)で迎え撃ったが、B17や護衛戦闘機を討ち払うまでには行かなかった。


連日の爆撃で戦果を上げた国民党軍は破竹の勢いで進撃した。


勿論満州軍と関東軍(まだいた)が驚いて上手く応戦できていなかったことにも問題がある。



・・・・

奉天、関東軍司令部


「一体何をまごついているのですか?」

そこには、全く関係のない海軍の軍服を来た男が作戦室に入ってきたのである。


「徹底的に反撃し、国民党軍を壊滅させるのです。」

「あなたは!」作戦室で指揮をとる、石原莞爾大将は驚いた。


「私は、統合作戦本部より派遣されました、参謀の高野中将であります」と海軍式の敬礼を返す。


陸軍の一部がシンパになっている、海軍の高野であった。

しかし、関東軍内では受けは良くなかった。

関東軍を完全に動けぬように仕向けたからである。


その高野がなぜここにきているのか?そして今しがた言った言葉、敵を壊滅せよ!とはどういう風の吹きまわしか?関東軍の上層部は首をひねる。


「いいですか、10日後に、我が親衛隊が奉天に集結します。そこから一気に、敵を蹴散らし、逆侵攻をかけます。ボグドハーンにもモンゴル軍が中国へ侵攻するようにお願いしています。関東軍は直ちに非常呼集をかけて侵攻作戦の準備をするのです。」


すでに言っていることが、某辻中佐と何ら変わりがない状態である。


「しかし、高野中将、簡単に言われるが?」

「石原大将、これは、勅命ですぞ!一刻の猶予もありません」


「しかし、此方にも準備が必要ですし、それに物量から行くとなかなか難しいのではないか?敵には航空戦力がかなりある」国民党軍には、B17や米国製戦闘機(旧式)が多数援助されていた。


「全く、もって情けないですな、そんなものは、精神力で何とでもなるでしょう、心構えの問題ではないですか!」すでに別人格になったのかというほどの変わり身と言うべきであった。


「とにかく、奉天の航空基地の拡充を今すぐ始めなさい、我が親衛隊は空路で到着します。」

それと、第1戦車師団、第2戦車師団もおって、鉄道で来るでしょう」


すでに、格上に命令し始める始末である。


「だが、」

「くどい、私を誰だと思っているのか!」そう彼はただの海軍中将である。


「なにお!」そういって一人、陸軍佐官が胸倉に掴みかかる。

高野は軽く手首を掴んでひねると、佐官は床に投げつけられる。

「死にたいのか?」すでに、ブローニングが額に突きつられていた。


それを合図に、高野親衛隊の制服を来た人間が突入してくる。

皆が、突撃ライフルを構えている。


関東軍の司令部はあっけにとられるのであった。


「さて、満州国王殿、失礼した」この作戦室には満州国王溥義がいた。満州国は一応独立した形であり、大戦以前から自国軍の整備を行ってきた。


「勿論、満州国軍にも侵攻をお願いしたい。というか、満州国軍には、中国の占領をお願いしたい。我々が戦争すれば侵略戦争と言われる。だが、あなたなら、国を取り戻す戦いということになる」

すでに、佐官を蹴り飛ばし、銃をホルスターに戻した男は、かつての大清帝国の最後の皇帝にこう言い放ったのである。

「今から、大清帝国を復活し、その後満州を日本にいただきたいのです。とりあえず、できるだけ兵を集めていただけますね」


銃こそ抜いていないが、有無を言わせぬ雰囲気が漂っていた。


「大清を復活してもよいのか?」

「勿論です、是非頑張っていただきたい、北京を陥落させるまでは、お手伝いさせていただきます。」


・・・・・

満州軍歩兵20万人、関東軍10万人そして、第1戦車師団(通称:マンシュタイン師団)、第2戦車師団(通称:ロンメル師団)が集結した。

奉天郊外には、C130が次々と物資を投げ落としていく。


その進撃に先駆けて、富嶽、大鵬、海鵬などの爆撃機が積めるだけの爆弾を積んで、国民党軍に投下していた。


海上からは、通称:高野艦隊、ロシア艦隊(接収された)が艦砲射撃を山東省沿岸部に行っている。まさに手当たり次第に砲撃を繰り返している。そこにはすでに理性という言葉は存在しなかった。


迎撃の航空機部隊には、対空砲火が雨のように降り注いだ(下から上へだが)。

爆撃機の迎撃に向かった戦闘機隊は、紫電改部隊、震電改(F5タイガーに似たジェット戦闘機)と戦うことになるが、歴戦のエースが多数存在する高野親衛軍戦闘航空団通称:コンドル軍団(かつてのロシア義勇軍やロシア艦隊の空母軍の艦載戦闘機隊で構成された)の前では、全く通じなかった。


その中でも、異色まさに言葉通り、真っ赤に塗られた戦闘機集団が存在した。

彼らは、リヒトホーフェン航空学校の教導団(教官達で構成される、いわゆるアグレッサー部隊である)、特901航空戦闘団、通称:ベルケ部隊とリヒトホーフェン部隊であった。

彼らこそが、『赤い悪魔』と呼ばれる存在となる。

圧倒的な技量と戦闘力で次々と国民党軍の航空機を薙ぎ払う。



山海関を越えて満州国に侵入した国民党軍は瞬く間に、山海関まで押し返された。

しかも、別の情報では、モンゴル方面からも騎馬部隊が進撃し、長城で必死に防戦しているとのことである。


後に、蒋介石は、米国のスパイに乗せられたことを悔やむことになる。


山海関は長城の一部でもあり昔からの交通の難所あるいは要所である。

攻めづらく、守りの堅い要塞である。


その後方には、国民党軍50万人が存在していた。

まさに人海の国である。共産党と死闘を繰り広げた後にでも余裕でこれだけの兵力を集めることができる。ただし、武器はお粗末であった。米国からの武器供与が海路、陸路も封じられているため、空路に頼らざるを得ないためである。


なけなしの空軍も手もなくひねられてしまったので、防御に徹するほかない。

幸いにも、満州国も大日本帝国も中国本土には侵略してこなかった。

きっと人海が恐ろしいことを知っているのであろう、蒋介石は高を括っていた節があった。


山海関では、関東軍、満州軍と国民党軍が激しい要塞攻防戦を連日繰り広げていた。


だが、満州軍側の簡易飛行場が完成し、戦闘機による、護衛ができる範囲が近寄ってくると状況は一遍した。


大型爆撃機が大型爆弾や焼夷爆弾、サーモバリック爆弾を投下し始める。

特に、サーモバリック弾は、周囲にいる人間を隠れていようと完全に殺す兵器だった。

衝撃波は防げても、後にやってくる酸素不足が兵士を死に追いやっていく非常に人道的に問題のある爆弾だった。


瞬く間に死傷者が激増する。

満州に進行するために山海関の後方に集っていたのが祟った。


中国兵には、サーモバリック爆弾の爆発によって起こるキノコ雲がトラウマとなって刷り込まれる。

あっという間に、死傷者がうなぎのぼりであった。

20万人以上が戦死したのである。


山海関の要塞にも多数のサーモバリック、焼夷爆弾が落とされ、そのころには、親衛隊戦車師団が姿を見せる。


戦意を喪失した国民党軍は後退を開始した。


あちこちに、奇怪な死体が散在する有様、それはまるで地獄のようなという表現がぴったりだった。


山海関を突破した日満連合軍は航空支援、海軍の支援を受けて、秦皇島へと侵入する、戦車師団のカチューシャロケット砲が遠慮会釈なく、ロケット砲を街中へと撃ち込まれる。


その後戦車と歩兵が街中へと次々となだれ込んでいく。

此処での歩兵は、満州軍であるということである。

親衛軍の歩兵は戦車の回りから離れることはない。


満州兵(主に満州族)は、従来からの中華大陸での支配のやり方を知っているため、乱暴狼藉があちこちで発生する。

彼らは、漢人を従わせるためには、圧倒的な恐怖を与えねばならないことを知っている。

逆らう者は撃ち殺し、逆らわない者も撃ち殺した。

金品の略奪、強盗、強姦は凄惨を極めた。


さすがに、親衛軍部隊が、これ以上の略奪をやめさせるために、満州軍兵士数人を射殺する事件が起こったので少しは鎮静化した。


要塞を突破した、戦車師団に敵は無く、あっという間に北京に迫る。


北京は無血開城、紫禁城だけは、親衛軍が完全に占領した。

しかし、各地では、また略奪が横行した。


このニュースが満州で報じられると、満州軍に入隊する男たちが急増したという。


紫禁城の文化的遺産は、全て親衛軍が没収し、帝国本土へと輸送される。

満州軍に任せると、全てが略奪され、散逸することになるための、防衛的措置であった。


同じころモンゴル軍は中国国境を破り銀川に侵入し、同じようなことを行っていた。

モンゴル族も、漢人を支配するにはどうすればよいのかということを良くわかっていたのである。


満州、モンゴルには、日本製武器を十分供給している、その見返りが満州国本土や、モンゴルの銅(鉱物資源)とされた。


北京を占領した親衛軍は約束通り、満州軍に引継ぎ、次の戦場へと向かうことになる。

戦車師団は大連へと向かうことになる。

満州軍は引き続き、中国を清に戻す『反中服清』を目指すことになる。


満州軍はすでに、北京に50万人が集結することになっていた。


しかし、親衛隊が軍の規律を守っていたのだが、それが見えなくなると、またぞろ満州軍が暴れ出してしまったのである。


そして、大いなる悲劇『北京大虐殺』が起こってしまう。

数十万人もの市民が惨殺されたというが、真実は定かではない。


だが、悲劇はこれだけには終わらない。

勢いに乗る満州軍は、南京方面に進軍し、勝利を得る。

これは、やはり装備と補給の差だった。


南京を守っていた蒋介石は破れ、重慶へと後退していく。


そしてまた悲劇が起こってしまう『南京大虐殺』である。

ここでも数十万の市民が惨殺されたという。


しかし、問題をおこした満州軍は「あれは、国民党のパルチザンであり、市民ではない」

と声明を発表した。


戦闘の中では、一般人なのか敵兵なのかは非常にわかりづらい。

「彼らは、明らかに国民党に協力していた」

と満州軍の兵士は口々に語ったのである。


関東軍は「今回の侵攻にかかる事件には関与せず、国際連盟が調査する気があるならば、協力する」と声明を出した。

関東軍は北京を占領すると、満州へと帰還していた。











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