第9話 飲み会でいいとこ見せられますか?

「結局なにも用意できなかった。有給とりゃよかった」

 飲み会当日の今日までさんざん一人で語り、戦略を練っていたというのに、吉屋は不満げだった。

「別にただの交流会なんだから、気にすることないですよ」

 幸田がそっけなく言った。

 由佳子は最近、幸田のことをまじまじと見てしまう。

「なにかついてますか?」

「ん、別に」

 由佳子は慌てて首を横に振った。

「雑誌いろいろ読んで、休みの日に、服を新しく買おうかなって思ったんだけど、疲れてるし財布の中身も寂しいしで、結局したのはパックくらいだった」

 突然吉屋がシャドウボクシングを始めた。

「路上でいきなり、やめてください」

 幸田は吉屋の奇行にうんざりしていた。

「そのくらいの方がいいですよ、ただの飲み会で、バリバリに決めてたらそれはそれでひくのでは」

「イケメンが友達にいる勝ち組は余裕ね〜」

「そういう問題じゃないです」

 最近吉屋はことあるごとに、

「倉橋さんはイケメンがそばにいるから」

 と口にする。

 だからどうした。自分とは関係がない。

 有名人と友達、と自慢するただの人、みたいに勝手に扱わないでほしい。

 わたしと光太郎では、不釣り合いだ。

「あ、吉屋さーん、こっちです!」

 道の向こうで大きく手を振る人がいた。少々ずんぐりむっくりした男の子だった。

「梅ちゃん?」

 なんだかほんわかしていて、いい感じじゃないか。

「そう、実家が梅干し屋で、名字にも梅がついてて、勤め先まで小梅ときた。紅天女か梅ちゃんかってくらいの梅の申し子よ。なのに家業を継ぎたくなくって悩んでいる」

 吉屋が咳払いをした。

「じゃあ、戦闘開始ね」

「戦闘って……」

 由佳子たちは梅崎のほうへ向かった。


 梅崎が連れてきたのは、会社は違えど気のおけない営業仲間、だそうだ。同じ地区を担当しているから顔見知りになり、情報交換も兼ねてたまに飲むという。

「あ、うちの雑誌の付録を使ってくれてるんですね!」

 爽やか笑顔で吉屋の持っていたトートバッグを指差したのは、ファッション雑誌やブランドムックをだしている出版社の大岡だった。

 最初、目の前にいる爽やか営業に気後れしていたらしい、内弁慶気味の吉屋に、笑顔を向けた。

 店ではあんなに威勢がいいのに、これじゃ借りてきたネコよりおとなしい。由佳子はおかしかった。

「そうなんです、使いやすくって、これ」

 そう言って吉屋は照れた。

 由佳子は知っている。吉屋が雑誌の付録のサンプルを適当に使い回していることを。

「孫の分までトートバッグ持ってるわー」

 と宣っていることを。

 しかしここでは口にしない。よその出版社の付録でなくてよかった、のだろうか? 話のとっかかりができた、ということで。

「みなさんばりっとしてますねえ」

 わたしは適当に褒めた。

 なにをどう話したらいいものやら、わからなかった。由佳子は気づいた。自分はずっと、こういう人脈作り、とか出会い、から離れて生きてきた。

 大岡も、横にいる縁なしメガネがお似合いの佐藤も、ネクタイがハイブランドだと露骨にわかるものを絞めている。

「ああ、これ実は広告の連中に借りたんです」

 佐藤がネクタイを緩めた。文芸系出版社の営業をしている彼は、幸田とは顔見知りらしい。

「広告の連中、ブランド本社に出向いたりするでしょう、そのときに他のブランドのものを身につけたら失礼だから、って、せめてネクタイはって用意しているんですよ」

「そうなんですねえ」

「僕、サカエのメンズライン、よく買いますよ」

 大岡が由佳子に言った。

「そうなんですか」

「去年もコートを買いました。オンオフ使えていい買い物しました」

「ありがとうございます」

 由佳子はメンズラインの仕事をしていたわけではなかったけれど、嬉しかった。思わずファッションの話に花が咲いた。

「コレクションのスナップを見る限り、次にくる色って……」

 熱弁してしまい、はっと我に帰った。

「書店員っていうよりアパレルっぽいですね」

 大岡が笑った。

「いえ、そんなことは」

「面白いなあ、倉橋さん」

 悔しさを誤魔化すように横を見ると、吉屋は黙々と酒を飲んでいた。

 幸田は佐藤と、先日の芥川賞の選評で誰が一番面白かったか、というちんぷんかんぷんな議論で盛り上がっている。

「吉屋さん、なにか頼みますか?」

 梅崎が吉屋を気遣った。

「いい」

 吉屋が答えた。

「お水頼みましょう」

 梅崎が手を上げて店員さんを呼んだ。

「ひさしぶりの飲みですもんね」

 少々目がぼんやりしている吉屋に、梅崎が優しく言葉をかけた。

 横にいた大岡が梅崎の肩を叩いた。

「梅、気が利くよなあ」

 話をしていた佐藤も、

「梅ちゃんがいると飲み会が安定するんだよなあ、周りをちゃんと見てくれてるし」

 と声をかけた。

「なんだよそれ」

 梅崎が照れた。

「飲み会を仕切ったり盛り上げたりするんでなくて、梅は言うなればプレイングマネージャーみたいなもんだなあ」

「飲み会でそんな立場、全然楽しくないよ」

 彼らはただただ梅崎を持ち上げた。そのたび梅崎は照れ臭そうに笑う。仲良し男子の飲み会の鑑賞会みたいだ。

 これはもしや。

 由佳子はなんとなく察した。

 もしかしてこれは、梅崎が吉屋にメンズを紹介する、という場でなく、このグッドルッキングガイたちが梅崎のいいところをちょいちょい口を揃えて褒め称えているということは……。

 さすがに確証もないので、由佳子は放っておいた。吉屋は梅崎のことをどうとも思っていないらしい。

 梅崎は足繁く、店に通ってくるという。

 注文や新刊発注をとらずとも、吉屋の担当する児童書棚を見て、「いっぱしの口で」感想を述べるという。最初、吉屋は煙たがっていたが、他社の新刊や売れ筋情報を提供してくれるので、いまでは重宝しているらしい。

「長居されると正直邪魔なんだけど」

 などと言ってはいるが、楽しそうだ。

「うちの絵本、僕とおなじで地味だから」

 飲み会の終盤、梅崎が言った。

「先月の新刊、すごくいいんですよ。『梅の王子さま』っていうんだけれど」

 大岡が、ぶっ、と飲んでいたハイボールを吹きそうになった。

「梅が梅の本を売るのかよ」

「梅干し屋を継ぐのが嫌で東京にきたのになあ」

 梅崎が笑った。

「どんなとこがいいのよ」

 しばらく黙って飲んでいた吉屋がぽつりと言った。

「えっ」

 梅崎は顔を強張らせた。

「梅の王子があちこちの星を飛び回って最後ニューヨークに行ってたけど、どこらへんがよかったのよ。あんた、初めて会ったときからまったく変わってないじゃん。自分で成長止めてんじゃないよ」

 いや、なんだその絵本。めちゃくちゃ気になるんだけど。由佳子は深掘りしたかったけれど、できる雰囲気ではなかった。

 吉屋の目は座っていた。

「すみません」

 梅崎は謝った。テーブルにくっつきそうなくらいに頭を下げた。グラスが倒れそうになり、横の大岡がずらした。

「よその出版社の本をやたら薦めてくれるけどさ、極秘情報のリークも、そりゃありがたいけど。自分のとこの本が自信ない、いいところを伝えられないって、営業としてどうなの。あんたわたしに言ったよね。『今回はちょっと地味で』って。すごくいい、って言わなかったじゃん。『これはいい』ってちゃんと伝えろよ。さっきからみんなに気を遣っているけど、誰もあんたのグラスがしばらく空なのに気づかなかったよ。そんなんで楽しいの?」

 ニューヨークに行ったのに地味? わけがわからなさすぎる。

 それからずっと、吉屋は一言も喋らなかった。


 結局、吉屋が自分をアピールすることも、梅ちゃんの脇を固める男子に爪痕を残すこともなく、飲み会は終わった。

「吉屋さん、大丈夫ですか?」

 梅崎が吉屋に声をかえた。

 そのトーンがあまりにも優しくて、急に、光太郎に会いたくなった。そんなふうに思わせる、せつなさだった。

「うるせー、梅、このやろ!」

 吉屋が突然梅の胸を小突いた。

「落ち着いて」

 幸田が吉屋の腕を掴んだ。

「お前んとこの新刊、全然売れねえし、もっと売れるもん作れって言っとけ! それができねえならもっといろいろ考えろ!」

 声で怒鳴り出し、みんなぎょっとした。道行く人たちもじろじろとわたしたちを見た。

「すみません」

 梅ちゃんは抵抗せず、恐縮したままだった。

「吉屋さん!」

 由佳子は叫んだ。酔っ払っているからって許されることではない。

 そんな失礼なことを酒の力を借りて言うもんじゃないだろ。自分がうまくいかなかったからって、人に言いがかりをつけるなんて。

 吉屋は続けた。

「でも、あれはすごくいい絵本、あんたが言ったとおり。わたしはね、子供たちにわたしみたいになってほしくないんだ。ひねたりすねたりなんかしてほしくない。ちゃんと素直に世の中を楽しんでほしい。地味だけど、地味すぎて埋もれちゃいそうだけど、あの絵本にはそういう気持ちが詰まっていると思う。最後、ニューヨークでダンサーになるとか、意味わからなすぎて、最高だった。だからわたしもめちゃくちゃ目立つようにするから、バカ売れさせてあんたを出世させてやる。だから、仕掛けっぞ!」

 吉屋が宣言した。

 なんでこの人、突然仕事に目覚めているんだろう。由佳子にはさっぱりわからなかった。そして『梅の王子さま』を明日絶対に確認する。

 吉屋はしらふのときは芸能人のスキャンダルと漫画の話しかしないのに。

 そして悟った。

 わたしはきっと、ちゃんと、書店員になることはないだろう。呪いなんて、かかっていない。資格がない。

 不思議の国に迷いこんだアリス。異界を経て戻ってくる人。多分ここにはとどまらない。

「ありがとうございますっ!」

 梅ちゃんが深々と頭を下げた。

「以上、帰る! お疲れ」

 吉屋が「タクシー!」と叫んで手をあげると、ちょうど車がやってきて止まった。

 そしてそのまま吉屋を乗せ、山手通りを走り去っていった。

「なんですか、あれ」

 幸田がタクシーを見送りながら首を捻る。

 男性陣も呆気にとられている。

「あのタクシーの止め方、サラ・ジェシカ・パーカーかあの人は」

 由佳子は笑った。

「『セックス・アンド・ザ・シティ』、人生の教科書らしいですからね、憑依したのかも」

 幸田は呆れた顔をした。

 それにしてはずいぶんおしとやかなことだ。そして、不甲斐ないまま突然爆発。まったく面倒臭い。

「最後の最後にやっと馴染んだのかな」

 由佳子は笑っていいものかわからず、眉を下げることしかできなかった。

「梅、どうするよ」

 大岡が梅崎の肩を叩いた。

「あそこまで言われたら本気ださないと」

 佐藤が言った。

 いい仲間たちじゃないか、と由佳子は感心した。

「うちの本って地味じゃないですか」

 梅崎が話しだした。

「吉屋さんだけがたくさん注文してくれたんです。そもそも僕は絵本なんて興味がなかった。正直梅干し屋を継ぐ以外だったらどんな仕事でもいいと思っていたんです。営業だって、発注書を渡して、少し世間話でもすりゃいい、と舐めていました。売れないのは本のせい、自分は悪くはない、と。次にさかえブックスに行ったときです。キャラクターのぬいぐるみを作って、一番いい場所で売ってくれていたんです」

「そうですか」

 わたしは頷いた。

「近頃吉屋さん、焦っているように見えました」

「そうですか?」

 たしかに仕事は従業員が少なくて慌ただしいけれど、そんなふうには見えなかった。

「売上が伸び悩んでいる。小さい子に本を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいか。さかえブックスさんは、以前は児童書の売り上げがよかったんですが、最近苦戦している、と。小さな子が本屋にやってきたとき、手に取ってもらえるようにするにはどうディスプレイしようか、って」

「そんなことまで話していたんですか」

『梅干し?』なんて言いながら、梅崎と話すことが、大事な作戦会議(とリフレッシュ)だったんだろう。まったく、ひねくれてる。

 さっきの罵詈雑言だって、

「一緒に戦おうぜ」

 という宣言だったのかもしれない。

「僕がすべきことは、書店のみなさんと面白いことをする、ってことで、彼女のメンタルを癒すなんておこがましかった、です」

「いや、十分だと思います」

 由佳子は頷いた。

「ある意味、お二人、相思相愛です」

 光太郎を思い出した。あれくらいまっさらな言い方をできたら、どんなによかったろう。

「だったら嬉しいんですけど」

 梅崎は力なく笑った。

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