第8話 営業は異業種なんですか?
「異業種交流会」
『進撃の巨人』を読みながら、光太郎は言った。
「サカナクションのライブ参戦くらい、今年最大級のイベントなんだって」
光太郎の部屋は学生の頃から変わっていない。いかにも男やもめ、といったところだ。床に鉄アレイが転がっていたり、ストレッチ用のマットが隅に立てかけられたりしている。男くさいかも、と窓をあけている。洗濯物が揺れていた。風が時折部屋に入ってきた。
「いいじゃん、出版社と話したらいいアイデアが浮かぶかもしれないぞ。たまには酒飲むのだって悪くない、由佳子はいつも頭をフル回転させすぎなんだから、たまにはさ」
光太郎の頭を由佳子は眺めた。
綺麗に七三分けになっている。たしか二週間に一度美容院でカットしている。今では由佳子より身だしなみを気にしている。できる営業である。
会の開催を告げられたとき、幸田が、
「倉橋さん、ほんとうに鷹村さんってお友達なんですか」
と訊ねた。
「もちろん」
なぜそんなことをいま言うのか、由佳子は戸惑った。
「え、なに? 彼氏いたの倉橋さん。写真見せて?」
吉屋が食いついてきた。さっさと帰りたい。由佳子は金庫に準備金をしまった。
「いません、友達です」
由佳子は首を振った。
「どっちでもいいよ、写真見たい」
仕方なしにスマホの写真フォルダから、一番みっともなさそうな写真を選んで見せた。酔っ払って頭にネクタイを巻いて一升瓶を抱えて呆けている、しょうもない姿だった。
「なにこれ、え、モデル? 俳優?」
「一般人です」
由佳子は呆れた。
「一般人の可能性を拡張してるじゃん、ほら、韓ドラの『愛の不時着』の人だよね、この人」
酔っ払いの写真から、どうすればそう変換できるのか。加工アプリを駆使したって無理だろう。
「似てないですよ」
「あっ、朝ドラ出てた俳優さんに」
「よくわかんないけど多分ぜったい違います」
「それくらいの国宝級イケメンだってことよ、そうよね凛ちゃん?」
話を振られ、幸田がびくっとした。
「そう、ですね」
歯切れの悪い返事である。気を遣わせている、と由佳子は同情した。
「いいなあ、倉橋さん、こんなかっこいい人と付き合ってるなんて、カルマ解消したようなもんよ、こりゃ、現世の運を使い果たしたね」
吉屋が断言した。
「何度言ったらわかってくれるんですか、付き合ってませんし成し遂げてません」
訂正すればするほど、由佳子はみじめな気持ちになった。
わたしと光太郎は付き合っていない。
勝手に、好きなだけだ。大庭ニナと光太郎が付き合う前から、ずっと。
吉屋の詮索は続く。終電に間に合わなかったらどうしてくれるつもりだ。早く切り上げたかった。繰り出される質問に答えながら、由佳子は帰りの支度をしだした。
「身長は?」
「185かな」
「部活なにしてたの?」
「水球」
ぎゃー! と吉屋が足をじたばたさせながら騒いだ。閉店したからって、自由すぎだ。
「鼓膜が破れるかと思った」
「仕事は」
「営業です、スポーツクラブの」
「仕事までイケメンかよ。紹介して」
吉屋が由佳子の肩を掴んだ。
「光太郎、好きな人がいるからダメですよ」
嘘をついた。
いや、嘘ではなかった。いまもずっと、光太郎は大庭ニナのことを忘れられないのだ。
「残念」
吉屋はどっかと椅子に座りこんだ。
「もう帰りましょう」
幸田は沈んだ表情になている。
「なんだかこんなもの見せられたら、そろそろわたしもちょっと本気ださな〜ってなるわ」
吉屋は唸った。
「合コン」
幸田が興味なさそうに言った。
「梅干しの梅ちゃんがさ、出版社の営業友達と飲むんだって、で、一緒にどうかっていうのよ」
「そこ、参加していいものですか?」
そもそも合コンなのだろうか、と由佳子は思った。
「いいのいいの。もうね、わたししばらく人と付き合ってないのよ、この店で勤めてからずっとよ、この店、そういうバリアーでも張られているのかなって思うくらい」
「忙しいからじゃないですか」
幸田は帰り支度を終えていた。
「たしかに、休みのときなんてどこにも出かける気起きないし、買った本読んでいるうちに日が沈んで、飲みに行こうって思っても翌日朝から働くのかと思ったら面倒になっちゃうしで、このままではやばい、って梅ちゃんに話していたのよ。そうしたら、誘われたってわけ」
営業になにをぼやいているんだか。やたら長く話していると思ったら、世間話は短く切り上げたほうがいいのではないか。
「梅ちゃんて人、気になるんですか?」
由佳子はあのとき挨拶をする余裕もなかった。丸っこくって、くまみたいだった。いい人そう、というのが見た目の印象だった。
「ぜんぜん、なんかいいやつ、って感じで話も合うんだけど、そういうのとは対象外」
「そもそも営業をそんな目で見たことないです」
幸田が口を挟んだ。
やっぱりいいやつなのか。吉屋が捲し立てているのを丁寧に頷いていた。
「もうここで働いていたら関係者から付き合いを始めるしかない、と思ったわけ。ユーチューバー同士でやたら付き合ったりするじゃない、そんな感じ! 書店業界で自給自足ってのもなんだかなあと思うけどさ。そもそもこの店にいる男子は、遅番の屁理屈ばかりこねている連中と、森のおじいちゃんしかいないんだから。それに凛ちゃんみたいに囲いがいるわけでもないし」
「やめてください!」
幸田が睨んだ。お客さんを「囲い」と呼ぶのは失礼極まりない。
「ごめんごめん、でも、今回ばかりはお願い!」
吉屋に強く頼まれたのだった。
「まあいいんじゃないか」
漫画から顔をあげて、光太郎が言った。
「そうかな」
いくら断っても「お願い」の一点張りだった。最後には根負けした。
『他人の都合に自分の時間を譲ってしまうと、自分がぶれしてまいます』
森の言葉を思い出した。
嫌ならしっかり断るべきだった。自分は本当に、どっちつかずだった。
「本屋だけじゃないんだから、本屋を知るためにはその周辺で働く人たちのことも知っておかないと」
「そうだね」、
光太郎は知らない。有吉の伝搬力によって、店中に誤情報が流れていることを。
「倉橋さんの彼氏って、キンプリの人に激似なんですって? どのコ?」
有吉がアイドル雑誌の表紙を見ながら訊ねた。
「わたし彼氏いません」
どうしたらそうなるんだよ、似てるの一人もいないよ。
「店長の付き合ってる人、東京オリンピック出るはずだったそうじゃないっすか。すごいっすねえ」
遅番の男の子に感心された。
「誰それ」
由佳子の知らぬ間にオリンピック強化選手になったらしい。水臭い。教えてくれたらよかったのに。
「タカムラコウタロウってことは、じゃあ倉橋さんの下の名前はチエコかな?」
これは森さん。
なにを仰っているのかわらず、適当に笑ってごまかした。
由佳子はさかえブックスのカバーのかかった文庫本が床に置かれているのを見つけた。
「あれ、読んだの?」
「小説って苦手なんだよなあ。これまでの人生でちゃんと読んだ小説って『ボッコちゃん』だけだし。読書感想文、全部星新一で書いたんだぜ、俺」
自慢にもならないことを光太郎は言った。
「そう」
大庭ニナが愛読していた小説が、光太郎の部屋にある、というだけで気持ちがざわついた。
「あと少しで『巨人』読み終わるんだけど、絶対ハマるから由佳子も読めよ」
由佳子は光太郎を見た。
この人の心の内側を、自分はまったく理解していない。
好きだから、理解できないのかもしれない。
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